【 猫のきまぐれ 】
銀時×土方




 その行為に意味も感情も生産性も無くても。
 逃避でしか、無くても。







     dolce 甘美な





 白いものがふわりと視界を掠める。
 読み終わった新聞を畳みながら、土方は其方に眼をやった。
 ソファに寛ぐ土方の隣で、何故かソファに座らず床に腰を下ろした男の綿飴みたいな白い頭が揺れ動いている。床に広げたジグソーパズルに夢中の男は、抓んだピースの居場所を探して真っ先に作ったパズルの枠の中に眼を走らせていた。なかなか嵌まりそうな処が見付からないのか頭を振る動きで、ふわふわと飛び跳ねた銀糸が踊る。
 その一部重力に逆らった頭髪に土方は何とはなしに手を伸ばし、一房だけ掴んでみた。髪の毛の少し荒れた感触が、生来のうねりによる弾力を伴って土方の指先に伝わってくる。
 くん、と引っ張ってみると一時的には真っ直ぐになるのだが、手の離せばすぐに波打って跳ねる、自分のものとはまるで違う質のそれに、退屈さから土方は手慰みに指を絡める。
 居所の定まらないパズルを放り出した銀時が顔を上げた。

「多串くん、痛いんだけど」
「俺は多串じゃねェ」
「いや、そこントコをツっこんでほしいんじゃなくて…」
「我慢しろ」

 えー、とウンザリした顔で気怠い声を吐き出した銀時は、しかし何処か愉しげな雰囲気を忍ばせていて、土方の手を振り払わない。
 偶に、ごく稀に、銀時の元を訪れるようになった土方は、いつもチラつかせている狂気や殺気を下層に沈ませていた。いや、自然と鳴りを潜めているという風だろうか。
 土方を見ていると、そんな生き方をしていて疲れないかと思っていたのだが、そのことは本人もつくづく承知だったらしい。のらりくらりと人をはぐらかすのが本分のような銀時の傍にいてはじめて、倦怠感に従って一息つくことを、この男は漸く自分に許せるのだ。
 それを自分に厳しいからと云えば聞こえは良いが、程度が少々病的だと銀時は判断する。
 その気持ちを、少しは推測することもできた。土方は、常に何かしていないと落ち着かないのだろう。この男は存外に臆病だ。間違っても表面に出しはしないが、自分の知らないところで、自分の大切なものが何らかの脅威に曝されてはいないかと、いつも不安がっている。だから総てを把握しておこうとするし、神経を尖らせ眼を光らせているのだ。
 けれどずっとその調子で張り詰め続けていれば、いずれプツリと糸が切れることは明白だった。そうならない為の息抜きを、銀時に出会うまではどうしていたのだろうか。
 血色のいい白さの指に、僅かに光を弾く銀糸が纏わりついてキラキラと零れる。それを引き止めるような指の動きは何処か卑猥だった。
 特に面白いでも愉しいでもないという仏頂面のままで銀時の髪を弄っている土方の、何処か遠くを見詰めるような茫洋とした眸を捉える。
 膝に頬杖を突き、銀髪をくるくると指に巻き付けては解いていた土方がポツリと独りごちた。

「…違うんだよな」
「それは、多串くんの髪質と? それとも他の?」
「さあな」

 白々と嘯いて、奇麗な形の指は銀時に触れる。ゆったりと髪を梳く土方の手を掴むと、そこではじめて視線がかち合った。
 背丈が近いので普段はほぼ同じ高さにある目線を今は銀時が見上げ、土方が見下ろしている。ソファに背を預けている土方の捕らえた腕を引っ張ると、さして抵抗もなく彼は上体を傾けてきた。
 だから余ったほうの手を土方の後頭部に添えて顔を近付ける。結構顎を上げなければならなかったから、床に座っていたのは失敗だったかも、と思考の片隅で考えながら銀時はくちびるに触れた吐息を奪った。

「…ッ、………ふ…」

 誘うように薄く開かれた歯の間から滑り込ませた舌で上顎を擦ると、土方は苦しげな息を洩らす。少しだけ眼を開いたら間近に映る、閉じた瞼と長い睫毛。ぎゅっと力を込めて瞑られているのが分かる。歯列の裏を舐め舌の表面をなぞり唾液を注ぎ込んで啜り上げる、それに合わせ瞼は細かく震えた。
 そのとき肩に乗せられた手は拒絶かと思い、合わせていた口唇を離す。僅かな隙間に別れを惜しむような銀糸が垂れた。と、呑まれそうな色を有した眸が銀時の眼を射る。
 土方は紅く色付いたように見えるくちびるを挑発的な笑みに歪めた。肩の手がするりと銀時の背を撫で、腕が首に絡められる。
 人に擦り寄ってくる猫のようなしなやかな仕草で土方は口吻けを強請った。
 銀時が触れ合わせるだけをキスをすると、物足りなげな舌が塞がれたくちびるを舐る。それでも意地悪く閉ざしたまま喉の奥で笑ってから、声を紡いだ。

「構ってほしいんなら素直に云えばいいのに」
「アア? 涌いてんのか?」
「あれ、違う? じゃあ慰めてほしいのかなー?」

 間延びした口調で茶化す銀時の口を土方のそれが覆い、言葉を呑み込む。滑った舌を触れ合わせ、口腔を探り合い、交わる角度を変える度に濡れた音が聴覚を刺激した。
 ―――おや、いつになく積極的。
 少しの驚きでもってそんな感想を抱きながら、接吻に夢中になっている土方の脇腹をそっと撫で下ろす。擽ったさに身を捩る土方に確かな反応を認めて、銀時は撓垂れかかってくる躰を押し返した。
 深く吐息し、躰が離されるままに銀時の首に巻き付かせていた腕を解いた土方は、飲み下しきれなかった唾液を乱暴に手の甲で拭う。そして抵抗もせずソファに横に押し倒され、覆い被さってくる男を何でもない顔を装って見上げた。

「てめェに慰められるほど俺は落ちちゃいねーよ」
「へー。まぁそういうことにしておいてやるわ」

 土方の云い分を受け入れているようで全く認めていない物云いで、銀時は組み敷いた男の首筋に顔をうずめる。
 何があったのかは知らないし訊く気もないけれど、この男が自分を求めてきたのはその為だと、銀時は思っている。
 土方は死んでも肯んじないだろうし知りないフリを通すだろうが、地位も身分も何も関係なく、詮索されない逃げ場所を求めているのだろう。
 だから銀時は何も問わない。
 予想や下世話な邪推はしてもそれを確かめはしないし、唯受け入れてやるだけだ。
 それが最大級の甘やかしだとは、彼は一生かかっても気付かないだろうけども。
 土方は自分に向けられ、与えられるものには酷く鈍感なのだ。それも仕方ないかと呆れ混じりに諦める半面、その報われなさに少し腹が立つとも思う。
 首筋から肩をなぞり、多分着物で隠れるだろうという位置にくちびるを押し当てて痕がつくように吸い上げる。するとその強さに柳眉を寄せた土方の、痕をつけるなという抗議の拳を頭に食らった。
 いつもなら何とも思わないそれが、今は凄く不当なものである気がして、悪戯心に押し上げられた言葉が銀時の喉を突いた。

「だったら何で此処に来んの?」

 突き放すような声音は故意に。
 答えに窮した土方が銀時の頭を睨みつける視線を感じる。そこにはワケを考えたくないという拒絶が含まれているように思えてならなかった。
 何ぞ気付きたくないことでもあるか。
 本能的な、直観的な、警鐘でも彼の脳内で鳴り響いているのだろうか。

「……別に、気紛れだ」

 まるで苦悶の声だった。
 気紛れに意味も理由もないだろうとでも云いたげな土方に、笑ってしまいそうになるのを銀時は腹の底で我慢する。顔に出して覚られれば即刻帰られてしまうのは必至だった。
 不快だった気分が晴れたのに満足して、彼を揺さ振るのは一先ずやめにする。
 行為を本格的なものに移すべく、土方の着物の袷を割り開いて肌を曝させた。後から思い出して帯にも手をかける。
 それを解こうとする衣擦れの音を遮って、ガラガラガラ、と戸を引く音が響いた。

「ただい…ってちょっと何してんのアンタらァァァ!!?」

 開いた玄関から壮絶な叫びが飛び込んできて、銀時と土方が声のほうを見遣ると顔面のあらゆる筋肉を引き攣らせた新八がスーパーの買物袋を落としたところだった。

「あ、おかえり」
「はい、ただいま…って何事も無かったかのように流せると思ってんスか!!」

 眦を裂いて怒声を上げる新八の背後からひょこっと神楽が顔を覗かせる。新八とは対照的に少女はその光景を目にしても眉一つ動かさなかった。
 至って平静な動作で番傘を閉じてから一度瞬きをして、少し落胆したように喋る。

「銀ちゃん、ソファでヤるのは賛成しないネ。がっついた余裕のないオトコと思われるヨ」
「んー、布団に移動したかったのは山々なんだけどなァ。多串くんに誘われてすぐ喰わないのもオトコの恥っつーか」
「なに平然と話してんの!? この状況フツウじゃないんだよ分かってる、神楽ちゃん!!?」

 うろたえながら真っ当なことを新八が喚くと、神楽は鬱陶しそうな見下すような眼で其方を見た。

「煩い、真っ最中だったワケじゃあるまいし騒ぐなやメガネ」
「待ってキャラ変わってるから!」
「生き物は日々刻々と成長するものヨ。私をいつまでも過去の女と思うんじゃないアル。さ、馬にケツ掘られたくなきゃ早く出て行くネ。銀ちゃん、夕ご飯前には帰ってくるからそれまでに済ませるヨロシ」
「掘られるって何!? 蹴られるじゃないの?!!」
「おお、何ならお泊りでもオッケーだ」
「アンタ最低な大人だァァ!!!」

 ソファに土方を組み伏せた体勢のまま、滅多にない本気顔でそう云ってひらひら手を振る銀時は、新八の罵言にも何ら堪えた様子は無かった。
 買物袋を放置したまま神楽に首根っこを掴まれて引き摺られ、硬直した足を強制的に動かさせられた新八の姿が閉じられる戸の向こうに消える。やがて階段を降りていく音すらも聞こえなくなって、室内には沈黙が流れた。
 するとそれまで口を挟む隙も気力も無かったから黙っていた土方が、徐に銀時の下から這い出ようと身じろぐ。銀時がそれを押さえ込もうとすると、折り曲げた膝で胸を蹴られて邪険に突き放された。

「ちょっ、多串くんイキナリ何?」
「帰る」

 簡潔に云い放った土方が銀時の躰を退かせて上体を起こすのを何と無く名残惜しげに見詰め、銀時は不服げに文句をたれる。

「えー、折角アイツらが気ィ利かせてくれたのに?」
「気が削がれた」

 けんもほろろな返答と同じしかめっ面で土方は床に足を下ろし、着物の乱れをてきぱきと正した。
 身嗜みを一通り整え終えて玄関に向かう土方の背をつまらさなそうな眼で眺め、銀時は拗ねたように誰もいなくなったソファにうつ伏せで倒れ込む。

「多串くんは気紛れだなァ」

 頬杖を突いてぼやく銀時に、戸口で振り返った土方は猫のように眼を細めてせせら笑ったように見えた。

「じゃなきゃこんな処に来るかよ」





04.08.31




* Back *