【 2度目のキス 】
近藤×土方
「トーシー」 朝の挨拶代わり。起こしに来た彼を抱き締めて、じゃれるように頬擦りすると「ヒゲが痛い」と文句を云われる。けれど擽ったそうに笑う、その険の抜けた表情が好きでカタチだけ押し返してくる手を掴んで頬を摺り寄せた。 そして口吻け。 この恋を伝えるもの ドタドタ、慌ただしい足音が近付いてくる。 遅めの昼食を摂る為に食堂の戸を開けた山崎が其方を向くと、近藤だった。 「お、山崎。なぁお前アレ何処にあるか知らねぇか?」 「アレ…っていうと?」 「それが名前が出てこねーんだよ。こう、喉まで出かかってて…あー、兎に角アレ、アレだ!」 だからそれじゃ分からないと云うに、近藤は手振りで何とか形状を伝えようとする。 それで取り敢えず、何だか細長い物らしいということはそのジェスチャーで判断できた。後はもう殆どヒントのない連想ゲームだ。電気配線、木刀、牛蒡、靴ベラと思いつく限りを並べ立てるが、それが正解に近付いているのか掠りもしていないのかさえ分からない。お手上げだ。 「局長ー! もっと具体的に! どんな物でどういう風に使うのかとか云ってくれなきゃ分かりませんよっ」 「だからこういう形でだ! かいたりするやつだよ!」 「か、書いたり?」 ますますワケが分からなくなって山崎は首を傾げた。 近藤の示す形・大きさが正しいとすれば、ペンや筆や紙などというものでないのは明白であるのだが。ましてや、そんな身近なものの名前が思い出せぬなど幾らなんでも問題だろう。それでも一応万が一と思い、それらも候補に上げてみたのだが、やはり違うと云われた。本当に、お手上げだ。 思い掛けない助け舟が出されたのはそんな時だった。 「それだったらさっき総悟が持ってったから、あいつの部屋にあるんじゃねェか?」 その声は食堂で昼飯の味噌汁を啜っていた土方のものだった。近藤と山崎が「え?」という顔で長机に向かっている土方を見下ろすが、当の本人は視線も上げず、沢庵を箸で抓んで口に放り込む。 「副長…何で分かるんですか」 「? 何で分かんねぇんだよ」 至極不思議そうに問い返され、山崎はそれ以上何も云えなくなってしまう。 そんな、まるで分からないほうが可笑しいみたいな眼で見ないで下さい、副長…。 トシは流石だな、と満面の笑みで喜ぶ近藤にも土方は素っ気無い顔で。そんなことはないと愛想のない言葉を返す。 律儀に両手を合わせて食事を終えた土方は空の食器を重ねて立ち上がり、返却口に置きに行くついでに山崎を見た。命令することに慣れきった口が言葉を告げる。 「山崎、お前取りに行ってこい」 「えっ、何で俺なんですか!」 「ンだよ、文句あんのか?」 見下すような尊大な顔で土方は眼を眇める。その瞳孔が開く様まで見えるようだった。睨み付けられて、日常培われてしまった反射で山崎はぶんぶんと首を左右に打ち振る。これは完全に肉食獣と怯えた獲物の構図だ。 それを見兼ねたのか山崎に同情したのか、まぁまぁ、と宥めるように近藤が間に入ってきた。 「いいって、俺が探してんだから俺が総悟に返してもらいに行くよ」 「近藤さん、アンタには急ぎの仕事があんだよ」 「いやしかし山崎に行かせるのも悪いだろ?」 近藤がそう云うと、さり気無く向けられた無言の土方の鋭い視線が山崎に突き刺さる。それはもう、グサグサと。血が出ないのが不思議なほどに。 それに耐え切れなくなって、いえ取りに行ってきます!と慌てて云って、山崎は逃げるように廊下を沖田の部屋のほうへ引き返した。 「そんなことがあったんですけど…」 不要なほど真剣な顔で正座をした山崎は、事の経緯を無表情で聞いていた沖田を見詰めた。その沖田はというと、相槌さえ打たずに欠伸は盛大に洩らして、山崎の話が終わるのを待っていた。 それから手にしていた写真を座卓に伏せて置き、胴と腕を思いっきり伸ばして部屋の端に転がっていた物を掴み取る。 「そんじゃァ、コレ返しといてくれィ」 呆気なくぽんと渡された物を見て、山崎は眼を瞬かせる。思わずぎゅっと握って手の中の感触を確かめてしまった。見た目と同じ、何処かやさしい冷たさをもつ木の感触。 平たくて細くて真っ直ぐな長い木の先端は、緩く指を曲げた人の手を思い起こさせる形状をしている。 ―――これは、 「……………孫の手?」 「俺が近藤さんトコから持ってきたのっていったらコレだけだぜィ」 「こんなの、何に使うんでしょう?」 痒いところに手が届かないのならわざわざ探さなくても誰かに云えばいいのに。 けれど、これで近藤の言葉の意味は納得できた。『かいたり』は、『書く』ではなく『掻く』だったのだ。 山崎の呟いた疑問に沖田は、さぁねィ、といかにも興味無さげに反応する。 「…隊長は何に使ったんです?」 「箪笥の隙間に入っちまった土方さんの恥ずかしい秘蔵写真を掻き出すのに使ったんでェ」 「…………」 ―――それにしても。 近藤のあの説明で、土方はよく彼が探していたものが孫の手だと分かったものだ。 沖田の発言とそれがどんな写真なのかはとても気になったが、自分の身も大事なので深く突っ込むまいと心に決めて、思考の矛先を逸らす。 お世辞にも要領を得ていたとは云えない説明では、山崎は全然、思考の片隅にも思い付けなかったというのに。 山崎がそんなことを云うと沖田が、 「あの人達ァ、そこらの熟年夫婦より通じ合ってんだろィ」 にまっと笑って、厭味のない口振りで云った。 急ぎの仕事は何とか、午後一で郵送して間に合わせることができた。 なのだが、近藤はまだ土方の仕事部屋にいた。気懸かりなのだ。何処か、いつもと様子の違う土方が。 黙々と書面に眼を通して必要な箇所にペンを走らせ、機械的ともいえる乱れのない動作で書類を捌いている土方の背中をじっと注視する。彼の横に積んである書類の中には本来自分が書くべきものもあるのだろうが、そういった頭を使う仕事が苦手な近藤に、チェックしなきゃならない分余計に手間が掛かるだけなんだよと云う土方が大半を引き受けているのが実情だ。 そのことを申し訳なく思う気持ちは勿論あるが、だからといって克服できそうにもない苦手なことをして、徒に仕事を増やさせるのも気が引けた。だから、他の隊務を土方より多く担うことでバランスを取ることにしている。 足りない部分はそうして補えばいい。協力し合うということも大切なのだというのが、近藤の考えだ。 けれど、土方はそうは思っていないのかもしれないと、今の彼の背中を見ていると少し不安になった。 彼だって、部屋に篭もって書類処理ばかりしているのが好きなわけではないのだ。知らぬ内に自分は無理強いをしているのかもしれない。 ふとそんな可能性に気付いてしまうと、部屋を立ち去れなくなってしまった。 「トシ、何か怒ってんのか?」 自分じゃどれだけ考えたところで推測しか立てられない。だから、思い切って訊いてみる。 近藤の問いに、土方が厚い殻を被ったのが分かった。彼は感情を隠すのが、時に恐ろしく時に哀しいほどに巧い。 返ってくる言葉は予想がついていた。 ―――別に、 「…別に、何も怒っちゃいねーよ」 「トシ。俺には誤魔化したって利かないぞ」 少し語調を強めて、けれど不思議とやさしさは損なわないあたたかな声音。 どうしたらそんな声を出せるんだと土方はいつも思う。 弱いんだ、その声には。 殻を砕き剥がすのではなく、熔かされるように内部に染み入ってくる。 観念したふうな息を大きく殊更に吐き出して、ペンを文机に放り出した。 振り向いて向かい合うと、打ち明けてくれるかという安堵の後に、それがどんな内容であろうと受け止めようという覚悟を覗かせて近藤が顔を引き締める。 …そんな大層なものではないのだが、まぁいい。 膝でにじり寄って、胡坐をかいた近藤の太腿にすっと手を突く。何事かとその躰に俄かに緊張が走ったのが、筋肉の張りで分かった。突いた腕を支えに上体を傾ける。 呼吸も忘れてしまったらしい近藤にくちびるを重ねた。 自然と閉じていた瞼を持ち上げると、間近で近藤はこれ以上ないほどに眼を見開いていた。面白ェ顔、と小さく口内で呟く。 「怒っちゃいねェ。唯、アンタがいつも口にはしてくれねぇから…」 その気持ちを表すいい言葉が見付からずに、語尾が空気に溶けた。 毎朝、腕に抱いて頬にキスされる。それだけじゃ物足りない、なんて強欲すぎるだろうか。 けれど頬にしてくれるなら、口に二度目が欲しい。 そう思っても、酷くはしたない気がして何も云えなくて。 「拗ねてただけだよ」 乱暴な口調で苦々しく顔を顰めるのは照れ隠しだと、きっとすぐに気付かれるだろう。頬はうっすらとではあるだろうが赤くなっていそうだし、首や耳まで熱い。 それでも眼を逸らしてしまうのは勿体なく思えていると、近藤は何かに耐えるような、込み上げる嬉しいものを噛み締めるような顔になって。拳まで震えているように見えたと思った瞬間、がばっと抱きすくめられた。 土方はビックリして身を硬くしたが、すぐに緊張を解いた。愛しい気持ちが膨れ上がって、それを伝えようと、がむしゃらな抱擁に応える。広いがっしりとした背中にしがみついて、鼻腔いっぱいにこの人のにおいを吸い込む。じんわりと感じる体温が倖せだった。 「何だよ、そんなの云ってくれりゃあ何回だって」 「いや、…それは仕事にならなくなるから困る」 近藤らしい豪快な手に髪を掻き回されて眼を開けてられない。 何だかもう吹っ切れてしまって、言葉に躊躇いをもたない自分が可笑しかった。 「じゃぁ夜だったらどうだ? それなら仕事も終わってるし構わんだろ」 それは、眠れなくなるから困る。 04.11.15 |