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山土小劇場。(またの名を山崎多重人格物語)
 01:誰のものにもならないで

 それは無理な相談だな、と副長は紫煙を吐き出すと共に云った。
 俺は唯、そうですか、とだけ単調な声で返した。何故と言及することはしない。だって頭の片隅では分かっていたんだ。
 抱き締めてもキスをしても躰を繋げても両想いになっても、この人は俺のものには決してならないということは端から自明であったが、俺がこの人の意思に介入できることもまた、決してないのだと。
 しかし、それにしても、ひとつだけどうしても気になることがあった。
「てっきり俺はものじゃねェって云われると思ったんですけど…」
 そう答えられることで仮初の安堵感を得ようとさえ思っていたのに、予想はまるで外れてしまった。それは即ち俺がまだまだ副長のことを理解できていないということだ。情けない。
 けれど本当に、あの返しは予測の範囲外だったのだ。
 ―――もしかして、誰かのものになる予定があるとでもいうんですか。
 おずおずと切り出すと、副長は眦をすっと細めて笑った。同時に弧を描く薄いくちびるもやけに色めいて俺の眼に映る。
「ああ、あるぜ」
 事も無げに告げられた言葉に衝撃を受けて瞠目した俺の胸倉を、副長は思い切り掴み上げてきた。引き寄せられて顔と顔がぶつかりそうになる。

「悪ィほうにばっか勘違いする鈍感ヤローに、」

 くれてやる予定だ、という言葉を俺は口吻けで奪い取った。


 02:生きて、生きて、生き抜いて

「帰ってきましたよ」
 縁側の柱に凭れ、誰を待っていた風でもなく喫煙している副長を見て、にへらと気の抜けた笑みが顔に浮かぶ。口許に煙草を寄せる手の下であの人もほんの少し笑ったのが月明かりの下でも分かった。
「フン、当然だろ」
 尊大ともとれる態度でそう云った貴方の、煙草のにおいが血腥い地獄から俺を現実に引き戻す。


 03:あなたが好きなんです

「知ってるんでしょう?」
「知らねェな」
 畳に押し倒しても土方の鉄面皮は揺らぐことがなかった。押さえつけた手首の、浮き出た骨の硬さと無抵抗に山崎は低く呻く。
「嘘ばっかり」
「殴られたいのか?」
 抵抗する素振りも見せないのに?
「だって嘘ですもん」

 俺が貴方を抱く理由を、貴方は誰よりも知っている筈だ。


 04:たった数秒の出来事

 ヤバイと思ったときには何もかもが遅かった。
 思いっきり打ったミントンのシャトルが土方の額に直撃する。
 ラケットを振り下ろした体勢のまま山崎は硬直し、全身から一気に血の気が引いたのを実感した。ぽとり、とシャトルが地面を転がる。僅かな静寂。それは恐怖でしかない。
 やがて、低いトーンで空気を震わす激怒の声。
「や〜ま〜ざ〜きぃぃぃ…」
「は、はひ」
 舌を噛んだ。
「だから仕事中にミントンすんなっつってんだろうがァァァアア!!!」
「ぎゃああぁぁぁぁあああ!!!!!」
 一目散に逃げ出すがあっという間に追い付かれた。蹴り飛ばされ、殴り倒され、耳の直ぐ横に刀が突き立てられて意識が遠退きかける。
「墓標はシケモクでイイな?」
「いや、あの、できればもうちょっと生存希望です」
「てーかあの羽根、軽いクセに何であんなに痛ェんだよ」
「あ、それはシャトル打つと時速200キロくらい出るらしいんで多分そのせいかと」
 そういえば余程当たりどころが良かったのか、よく見れば土方の額は赤くなっている。少し痛そうだと思ったら自然と手が動いた。土方の長めの前髪を払い、地面から頭を浮かせて。
 舌を伸ばして赤くなった箇所をぺろりと舐めた。
「…………………」
(あ、瞳孔開いた)
 ついでに眼も見開いて放心した土方を見ていられたのは、残念ながら数秒だけだった。


 05:遠くで聞こえた声を辿って

「何が『何処にいてもどんな時でも駆けつけます』だ」
 ぶつくさとボヤキながら土方はやたらと入り組んだ迷宮のような小路を歩いていた。…道に、迷っていた。
 何たる体たらくだと、ふつふつと湧き上がる己への苛立ち。此処にはいない男に対して呟いた言葉が、それを解消する為の八つ当たりだとは分かっていた。
(副長が呼べば、俺は必ず――)
 臆面もなくそんな莫迦げたことを大真面目に云ってのけた山崎の顔を思い出す。
 まぁ今此処で実際、声に出して呼んだわけではないのだが。だって、ありえないだろう。物理的に不可能だ。どれだけ離れていてもたった一人の声が聞き取れて、その居場所が掴めるなど。エスパーじゃあるまいし。不可能だ。
「……山崎」
「はい?」
 不意に聞こえた声にバッと振り向けば、嘘か冗談のように山崎が其処にいた。眼が合うと少し残念そうにはにかんで、土方に近付いてくる。
「何だ、気付かれてないと思ってたのに…気付いてたんですか」
 まさか独り言で山崎の名を呼んだとは云えず、微妙な後ろめたさを誤魔化すように土方は煙草を咥えた。その先端に片手を風除けにして火を灯すまでの時間を使い、言葉を探す。
「よく見つけられたな」
「副長が俺のことを呼んだからです」
「要因を適切に把握して正しく説得力をもった答えを返せ」
「……監察の情報網と俺個人のツテを駆使しました」
 答えて、副長は現実的だなァ、と苦笑した山崎が手を差し出す。
「ちょっとの夢くらい、見させてくださいよ」
 拗ねたように云ってくちびるを尖らせるから、普段なら一蹴してやるその手のひらに土方は指を絡めた。


 06:そんなこと怖くて聞けない

 俺は後悔していた。
「よぉ」
「…はひょぅほはいはふ」
 洗面所で、俺は歯磨きの真っ最中だったから朝の挨拶はとても不明瞭になってしまった。けれど副長はそれを気にしたようでもなく隣に並んで自分の歯ブラシを手にとる。歯磨き粉のチューブを絞っている副長の、何処か寝惚け気味な横顔を俺はこっそりと覗き見た。

 夜など存在しなかったかのように、朝はいつも通りやってきた。それは途方もなく平穏で、発するべき問いを忘れてしまいそうになるほどで。けれど、夜の帳を俺は確かに憶えている。
 瞬きした瞼の裏に、艶めかしい白皙の肌と濡れた双眸と淫らな表情の記憶。縋る腕。熱い体温。殺した吐息。小さな声。繊細な睫毛の震えまでが鮮明で、なのに拒絶の態度と言葉だけが抜け落ちていた。―――そもそも拒まれたのかどうかさえ、切羽詰まり余裕などなかった情事の記憶に埋もれてしまって分からない。けれど、されなかった筈がないのだと俺は思っている。
 ならば、
 どうして殴らなかったのか。(それで俺は正気に戻れたのに)
 どうして貴方は俺を斬らない。(俺はトチ狂ってしまいますよ)
 どうして。
 躰の芯が震えた。何にだろう。薄ら寒い想像と副長へ向かう感情の膨大さにかもしれない。
 口腔に長くとどまり過ぎた歯磨き粉は不味く、舌の根が痺れて何ひとつ言葉にならなかった。


 07:素直になれない理由

「分かってんだろ」
「全然分かりません」
「仕返しかテメー」
「何のことやらさっぱりです」
 白々しく嘯く山崎に、この野郎、と口内で噛み殺すように唸る。
(貴方の気持ちを、言葉で聞きたいんです)
 潔い声でそう云った山崎の真摯な眸に、不覚にもドキリとしてしまったのが敗因だ。
 そんな眼して、お前。分かってねェっつーつもりかオイコラ。
 ギリリと睨みつけてもこんなときの山崎は全く怯まない。山崎のクセに生意気な。強気な態度が癪に障る。一体誰のせいであれしきの言葉を告げるのにも躊躇していると思っているのか。
 腹が立ったので殴った。そういえばいつも暴力を振るっているというのに、どうして山崎は俺のことなんか好きになったんだ。マゾ…ではないと思う。多分。俺の何処が好きなんだ。問おうとして、やめる。分かるわけがない。俺も、どうして山崎に惹かれたのか分からないのに。
「山崎……俺は、」
 正体不明の感情だけが、そこにあって、そのひとつの言葉しか伝えられないもどかしさが嫌いで。
 しかもそれを真っ正直に云ってやったらコイツは顔を真っ赤にして黙り込むから、云いたくなかったのだ。
(俺まで恥ずかしくなってくんだよ、莫迦が)


 08:独占欲と比例して

 貴方は無関心を装う。
 執着を奥底に沈める。
 眉宇を顰め、無言で耐え、嫉妬を隠す。
 そうして密やかに吐かれる溜息と、そのときの貴方の表情に俺はたまらなく煽られる。
「今晩、部屋に行ってもいいですか、副長?」
「………勝手にしろ」
 だって貴方を狙っている人は多いから。何処から付け入られるか分かったもんじゃない。恋人というポジションを獲得しても油断できないし、ひたすら気持ちをゴリ押ししてるだけじゃダメなんだ。
 飴には鞭も必要で。
 迫って甘やかして従って殴られて、たまにはスパイスの嫉妬を少々。
 貴方の頭の中を俺でいっぱいにするのに、俺は結構苦労してるんですよ?


 09:その手を掴んで離さない

「…副長」
「……ンだよ」
「こっそり抜け出しちゃえば、無理して見なくてもイイと思いますよ?」
「莫迦か! ここまで見ちまったら最後まで見ねェと気になるだろうが!」
 小声で怒鳴り返してきた土方に、確かにそれも一理あるなと思いながらテレビの画面を見遣る。隊士もみんな固唾を飲んでテレビに見入っているようだった。
 静かでありながら床を這うようなおどろおどろしい音楽が次なる悲劇次なる恐怖を予感させる、沖田推薦の映画はクライマックスに突入していた。翌日から弱虫と罵られたくないなら参加するしか道がないホラー映画の上映会。土方も例に洩れず半ば沖田の口車に乗せられるカタチでこの部屋にやって来て、山崎と共にいちばん後方の壁際に座っていた。
「離すなよ、何があっても離すなよ!」
「分かってますよ」
 潜めた声で釘を刺してくる土方を可愛いと思うなんてどうしようもなく色惚けしている。繋いだ手を引っ張り寄せて躰を密着させても文句を云われないから山崎はこっそりと笑んだ。
(倖せだなァ)
 テレビは阿鼻叫喚の地獄絵図だったけれど。


 10:いつかこの胸の中に

 立てた誓いは唯ひとつだけ。

「山崎!」
「はいよっ」

 変わらぬ日常を関係を愛を。
 死が二人を別つまで。




お粗末さまでした。

配布元:山土祭

05.02.20




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