沖田×土方




「土方さん、ちゅうしやせんか?」






   ドアに足を挟め





 仕事に専念している土方の後ろでぐうすかと惰眠を貪っていた筈の沖田が、感情の読めない声音で云った。いつ起きたのかも分からぬほど、唐突に。
 土方はこめかみを引き攣らせて、一息つこうと持ち上げた湯呑みを机上にそっと戻した。そして沖田のほうを振り返る。少し前までならみっともなく茶を噴き出したりもしたが、何度も何度も同じことが繰り返されるので哀しいことにいい加減慣れてしまったのだ。

「野郎とキスして愉しいか?」
「愉しいですぜ。相手が土方さん限定で、ですがねィ」
「何でそんな不名誉極まりねェことになってんだ」
「厭ッそうに渋い顔をするのが愉しくって仕方ねェんでさァ。…ストレスでとっとと死んじまやァいいのに」
「よォし外へ出やがれ叩ッ斬ってやらァ!!」

 脇に添えてあった刀を掴んで振り抜く。
 本気で殺気立っている土方の横薙ぎの一閃を、沖田は立てた鞘の腹で受け止めた。硬い音が鳴り、防御されたことに土方の眼付きが更に険しくなる。瞳孔が開いて真黒な眸を、対照的に緊迫感の欠片もない無表情な眼をした沖田が見た。

「いいじゃねェですかィ。今更減るもんでもあるまいし」
「減んだよ、げんなりして俺の気力がよォ!!」
「そのままぽっくり…」
「その口縫い止めんぞコラァァァァ!!!」

 ぐぐっと力を込めて、焦った様子もなく憎まれ口を叩く沖田を押し切ろうとする。
 単純に力だけなら土方に分があった。しかし、力だけで負かされるような沖田ではない。先の重い衝撃に僅かな痺れを感じる腕で耐えながら、沖田は方策を考えた。
 一、刀の軌道をずらして避ける。
 ニ、土方の怒りが収まるまでこのまま待つ。
 三、セクハラ発言をかまして意識を逸らす。
 四、嘘泣きで泣き落として許してもらう。
 どれも一度はやったことなので面白くない。それにしても縫い止めると口では云いながら刀で斬りかかろうとするなど、一体どんな矛盾だ。
 この上なく凶暴な顔をした土方がすっと剣を引き、筋を変えてまた一撃を繰り出してきた。躱せば追いかけるように刃が迫る。鞘を落とし今度は刀身で沖田はそれを防いだ。弾き飛ばす。そして物分りの悪い子どもを諭すようにわざとらしく溜息を吐いてみせた。

「一度は許したんだから今更でしょうに。構わないじゃねぇですかィ」

 幼さを残しているがよく通る声に、土方はぐっと言葉に詰まった。柄をきつく握り締め、悔しげにくちびるを噛む。それを云われると弱かった。事実であるから否定できない。クソ、と土方が小さく吐き棄てた。
 沖田はその弱みに当然付け込む。

「男なら一旦認めたことでぐだぐた云うんじゃねェやい。見苦しいですぜ」
「っ…分かったよ! やるなら勝手にやりゃあいいだろうが!」

 捨て鉢になって声を荒げる土方に、沖田はニッコリと晴れやか過ぎて逆に胡散臭い笑みを浮かべた。そして、自分は逃げも隠れもしないとでも云わんばかりにどかっと腰を据えた土方から刀を取り上げる。これは今からすることには無用、というか邪魔な代物だ。
 刀も手の届かない処に置かれて、土方は苦虫を噛み潰したように口を引き結んだ。
 ムードがあるわけでもないのに、キスすると改めて宣告されたらどんな顔をして待てばいいのか分からない。沖田を凝視するのはどうにも憚られた。しかし、かといって眼を瞑るのもまるで期待しているようでできない。人形じみた秀麗な顔が間近に近付いてくれば緊張もしそうなものだが、土方は沖田の顔など既に見慣れきっていた。微妙な距離をおいて睨むように見詰め合っていると沖田が焦れたようでもなくゆったりと口を開く。

「眼くらい閉じなせェよ、色気がねェや」
「……煩い。だったらテメーが閉じろや」
「土方さんからキスしてくれんでしたらいいですぜ」

 図々しい言葉を臆面もなく吐き出して沖田がにじり寄ってくる。頬を白く華奢な手に撫でられ、土方は諦念と共に瞼を降ろした。
 奴には何を云っても無駄だ。近藤には驚くほど素直なクセに自分に対してはどうしようもなく我が儘ばかりなのだから。それでも昔はかわいかったのに、何がどうなってこんな風に育ってしまったのだろう。
 自分の後ろをちょこちょこ付いて回っていた幼い姿が瞼の裏に甦る。それ以外は何も見えないうちに、やわらかな感触が口に触れた。啄むように重ね、舌が土方の薄い口唇をなぞる。そして舌先が合わせ目を突付いて歯列を舐った。土方は瞠目する。
 ぬるりと口内に舌を挿れられ、慌てて沖田の両肩を掴んで引き剥がした。
 何をする、という怒りの言葉も思いつけない土方に沖田は殆ど無表情のまま、見せ付けるように舌をべーっと伸ばす。

「何でィ、舌挿れるも挿れねーも大差ないですぜ」
「あるわ! 全然違うだろうが!」

 反論すると、然も失望したような視線と嘆息が土方に向けられた。或いは蔑んだようにも取れる沖田のそんな態度が頭にくる。
 怒鳴りかけた声は、しかし急に躰を押されて喉の奥に逆戻りした。後頭部と背中に畳の感触が当たる。言葉を失った土方の肩を押さえた沖田はニタリと口端を歪めた。

「鬼の副長ともあろう人がナニ生娘みてェなこと云ってんですかィ」

 油断していた。ナメてかかれば痛い目にあうと骨身に染みて知っている筈だったのに、それでも色事に関してはまだ子どもだと侮っていた。
 そのツケがこれだ。
 スカーフを掴み上げられ首の締まる息苦しさに口を開くと、舌が口蓋を舐った。歯をぶつけることもなく口腔を蹂躙する口吻けが何処となくこなれていて衝撃を受ける。いつ、何処で、そんなもん憶えてきやがったと。

「……ン、っ―――は、」

 口が離れる、僅かな隙間に息を継ぐ。それでも酸素が足りずに段々息が荒くなってきた。
 何でこんなことになったのか。
 そもそもの原因を思い返そうとする。しかし首元が俄かに楽になって、土方の思考は中断された。瞼を押し上げると沖田が土方のスカーフをひらりと投げ棄てる。
 それから細くて繊細そうな指が実に手際良くベストの留め具とシャツの釦を外しはじめて、土方は沖田を突き飛ばした。

「な、にしやがるコラァァァ!!」

 思い切り叫ぶと息が上がって咳き込んでしまう。肩を上下させて、ぜぇぜぇ喘ぐ土方をきょとんと見ていた沖田は、しかしすぐに不満げな顔をした。ムッと花唇を尖らせる。

「キスしてべろちゅーもして抱き締めて眠ったこともあるってェのに、これ以上まだ何をすることがあるってんですかィ」

 セックス以外にありはしないだろう、と沖田は言外に圧力をかけてくる。
 確かに、プロセスとしてはそう間違ってもいないかと思いかけ、土方ははたと気付いた。
 いや、待て。ちょっと待て。
 今、何かとてつもなく重要なことに思い当たった気がする。

「よく考えてみりゃ俺とオメーが進展する必要なんざ何処にもねェじゃねーか!」

「………」
「…………」

「チッ、気付きやがった」
「総悟ォォォォ!!!」

 瞬時に身を起こした土方は、離れた場所に置かれていた刀の下げ緒を引っ掴んだ。ぐんと手繰り寄せて刀身を抜き放つが、既に沖田も立ち上がって障子に手をかけていた。スパン、と小気味良く開け放して軽やかな足取りで逃げていく。かと思えば躍るように躰を翻して沖田は土方を見た。
 土方は眉間に深く皺を刻み、溢れんばかりの怒りを湛えて睨み返す。しかし沖田がそれで怯む筈もなく、笑みさえ浮かべてきっぱりと告げた。

「まあ土方さんのバックヴァージンは俺が近いうちにいただきまさァ」


 だから覚悟しといてくだせェよ。





05.07.06




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