はじめて自分の恋人でもある担任教師の家を訪れたとき、銀時は開いた口が塞がらなかった。
 後ろに引っ繰り返りそうなほど上を見上げていると、早く来いと苛立ったような声が聞こえてくる。その声に銀時は慌てて高層マンションに入っていく恋人――土方を追いかけていった。エントランスを抜け、乗り込んだエレベーターが大した音も振動もなくスムーズに上昇をはじめ、銀時の緊張は最高点まで高まっていく。
 噂好きの女子から、先生がどうやらいいとこの坊ちゃんらしいということは聞いていた。しかしまさかこれほどまでとは、と思う。だって、20代独身の教師が分譲マンションの一室を所有しているのだ。賃貸じゃないのだ。それは家賃の安いボロアパートで一人暮らしをしている銀時には夢にも見ないような金額なのだろうと、思う。
 しかもまた、エレベーターは最上階まで昇っていくのである。それは即ち先生の家がそこにあるということで、銀時は最早別次元にいるかのような気分になる。

「どうした?」
「……何でもない。唯ちょっと世の中の不公平を今しみじみと感じてるだけだから…」
「? そうか。部屋ここだから、気分悪いんなら休んだらいいぜ」

 通路を歩いていってひとつのドアの前で立ち止まった先生はポケットから取り出した鍵を鍵穴に差して回す。
 玄関に通されて、お邪魔しまーすと間延びしきった声で云った銀時は、また現実に打ちのめされそうになった。
 ―――広っ! ちょっ、広い何この玄関に入っただけで分かる部屋の広さ! だって廊下とかあるしこっからでもドア5つくらい見えてるし! トイレと風呂除いてもまだ何室あんの!? え、ちょっ、先生一人暮らしだっつってたよな?!

「何固まってんだ。早く上がれよ」
「え、あ、……うん」

 靴を脱ぐことも忘れて立ち尽くした銀時の横を先生が擦り抜けて――それだけの広さがあるのだ――、奥の部屋に向かっていく。その後ろを銀時はまた慌てて追い駆けた。
 本当に、広い。銀時が暮らしている1DKの部屋が何個入るだろうか、とか比べる気にもならないほどだ。そんな広い部屋を特に趣味も持っていない土方が使い切っているわけもなくて、唯の物置同然になっている部屋と、使われた形跡すらない空っぽな部屋がリビングに辿り着くまでの廊下から繋がっていた。
 ―――いやでもこれって、却って好都合だよな。
 ショックから漸く立ち直ってきた銀時は、そう思い顎に手を当てる。
 銀時にはかねてより、ひとつの野望があった。
 ―――ほら俺って身寄りもねェ苦学生だし。先生は俺の担任だし。松平のとっつァんに掛け合えば、イケんじゃね?
 土方が勤め銀時が通っている高校の教頭である松平は、銀時の後見人でもある。その男を上手く丸め込めれば、先生の家に転がり込むことも不可能ではないのではないかと考える。土方には内密で住民票を移してもらい、元のアパートの部屋を引き払ってくれば土方とて銀時を追い出すことはできないであろう。
 先生と同棲が、夢ではなくなる。
 ―――だって見たところ家具は全部揃ってっし、俺の部屋のも元からあそこにあったヤツばっかだからそのまま置いてくればいいし。寝床は先生と一緒のベッドで寝るんだから問題ねェだろ? 勉強道具……は殆ど学校だけどソイツと、着替えと漫画と、他何かあったっけ? まぁ大した荷物じゃねぇからすぐに持ってこれるよな。それをちょっとずつこの部屋に持ってきてあの空き部屋に置いていって、こんだけスペース余ってんだったら先生気にしないと思うし、そしたら最後に俺が転がり込めばイイだけだろ? イケんじゃね? これ、イケんじゃねぇの?

「…………うん」

 少し開いていたドアの隙間から見える今は何もないすっからかんの部屋に視線をやり、顎に手を添えたまま銀時は力強く頷く。
 その銀時の姿を見て土方は不思議そうに眉根を寄せたのだった。





07.02.11




* Back *