ごめん。残業になりそうだから先にメシ食ってて。 初期設定のままの着信音を響かせてケータイに届いたメールを開くと、銀時からの簡潔な文面が表示された。 最近多いな、と思いながらも文句を付ける気はなく、分かったとだけ返信してから土方はソファから立ち上がりキッチンに向かう。そして前夜に銀時が作っていったビーフシチューの鍋を火にかけ、あたためた。 銀時が大学を卒業して就職するときに、家事は半分ずつ分担だと決めた筈なのに八割以上を銀時が担っているのが現状だった。それは、土方に危なげなくできることが食器洗い機に洗い物を入れるとか洗濯機を回すといったスイッチを入れるだけでよいものばかりだったということもあるし、洗濯物を干すときなども気が付けば銀時が手伝ってくれているということもあった。 ひとりで食事を済ませ、教科書と参考書をテーブルに広げて翌日の授業の用意をする。黙々と集中していたら案外時間が経っていたようで、もう日付が変わろうとしていることに土方はふと時計を見て気付いた。本を総て閉じて重ね、その上に外した眼鏡を乗せて目頭を揉む。集中しすぎるきらいのある土方に、いつも適度なところで休憩を勧めてくる男が今日はいないからやたらと眼が疲れている気がした。目薬でも注そうかと思うが、場所が分からない。 仕方なく諦めて、肩の凝りを解すようにぐっと伸びもしてから眼鏡を掛け直した土方が風呂に入ろうと腰を浮かせかけたとき、玄関からガチャ、と鍵の開く音がした。 「ただいまー」 パタパタ、と靴を脱ぎ棄てる音の後にそんな声が聞こえてきて、リビングの扉が開かれる。銀糸の飛び跳ねた髪をした男が顔を覗かせて、二十代半ばの割には落ち着いた顔で土方に微笑んだ。その表情に土方もほんの少しだけ、つられて口許を緩める。 「おかえり。遅かったんだな」 「ああ、今ちょっと色々立て込んでて帰らしてくんなくてさ」 それでも、一分でも早く家に帰る為にできることは総て片付け同僚を振り払ってきたのだけれど。 ロクに休憩もとらず働き、急いで帰ってくるのはさすがに疲れるなと銀時は思う。外したマフラーとスーツをハンガーにかけ、かっちりと締めていたネクタイの結び目に指を掛けた。愛するひとのいる我が家に帰ってきた安堵よりも、今日ばかりは疲労の勝った溜め息を薄く開いたくちびるから吐き出しながらネクタイを解いて抜き取る。 気怠げに零される吐息と疲れを滲ませた表情、シュル、と微かな衣擦れの音を立てそうなネクタイを緩める仕草に土方の心臓が跳ねた。 銀時がそんな顔をしているのを、はじめて見たように思う。 まじまじと注がれる不躾なほど強い視線に気付いて、銀時がいつものようにいとおしむような笑みを浮かべた。それでも消しきれない疲労の影に、土方は急激に体温が上がっていくのを自覚する。 フックからぶら下げているハンガーにネクタイを掛ける為、こちらに向けられた銀時の背に土方は歩み寄っていくとぺたりと抱きついた。引き締まった背や肩が驚いたように揺れるのを、密着させた躰で直接に感じる。しかしそれは僅かなもので、すぐに緊張の抜けたぬくもりが肩口にある土方の髪をやわらかく梳いた。 「どうしたの? 十四郎……寂しかった?」 「……!」 そういえば、いつからコイツは自分を先生と呼ばなくなったのか。 そんなことが、今更疑問に浮かぶ。こうしていると銀時が自分よりかなり年若いということを失念しそうになった。 土方を愛していると真剣な眼差しで告げる、ひとりの男だ。 そんな当たり前の事実を、今思い知る。子どもではないのだ。本当は、もうとっくに。大人の恋人だった。 ―――好きだよ、先生。 脳裏でリピートされる声。その言葉を嘘だと疑ったことなどない。ない筈なのに、どうしてか最初に聞いたときよりも胸に響いて熱くなる。 ネクタイに絡んでいた細く長い指が今は土方の黒い髪をさらさらと丁寧に撫でていた。その指と手のひらの感触を躰が明瞭に憶えていて熱が疼く。 「十四郎?」 唯呼ばれるだけの名前に、心が乱されて土方は力任せに銀時を抱き締めた。 突如として起こった動悸が治まらない。その理由が全く分からなかった。 ―――ンだよコレ…。 これが恋というもの? 07.02.17 |