先生は、油断ならない。
 その危なっかしさを明確に感じるようになったのは、銀時が大学に入学して暫く経ってからのことだった。
 あのひとには貞操観念というものが、ない。銀時から見れば、皆無といっていいほどに。これでよく高校のとき浮気されなかったものだなと思う。
 先生はセックスが好きだ。単純に、気持ちいいから。だからちょっと好みの奴に誘われたらふらふら付いて行ってしまう。恋人という存在がいるにもかかわらず、だ。
 けれど先生は、俺が好きなのはお前だけだから、と云う。他の奴とセックスをしても、心はこもっていないからそれは浮気ではない、だからいいだろうというのが先生の持論なのだった。
 率直に云うと、何も良くない。全くもって良くない。浮気じゃない、わけがあるか。
 銀時と、概ね一般の認識は、ヤっちゃったらそれは浮気だ。キスだけでも許せない。嫌だ。なのに、その気持ちを先生は理解してくれない。このひと、一体どんな環境で育ってきたんだろうと思わずにはいられなかった。
 高校を卒業して世界が広がって、銀時は先生がいかに魅力的なひとなのかということをまざまざと思い知った。勿論、高校のときから分かってはいたのだけれど、色んな人間を見るようになってその認識は更に確固としたものになったのだ。町を歩けば思わず視線が吸い寄せられるような綺麗な相貌と均整の取れた肢体。それらはいつでも掛け値なしに色っぽい。
 だから、油断ならないのだ。
 眼を離せない。一瞬の隙に、誰に攫われるか分かったものではないから。

 そんな銀時にとって、恐怖の季節がやってきた。
 年末だ。
 十二月に入り先生が働いている高校の期末テストや終業式が終わって一段落すると、忘年会や土方に対する個人的な食事への誘いが増える。後者のほうは何が何でも断らせているのだが、職場の付き合いというものがあるから忘年会だけは用事もなしに断らせることはできなかった。
 そして今日が、その日だ。
 銀時は講義もないのに朝から起きだすと、仕事の支度をしている先生にきっぱりと告げた。

「迎えに行くから」

 だから、忘年会終わったら一緒に帰ろう。二次会は我慢してね。誰かにこっそり中抜けしようって誘われても、受けちゃダメだからね。
 小学生の子どもに寄り道せず真直ぐ帰ってくるんですよ、と云い聞かせる親のように銀時は先生の周囲に纏わり付きながら注意事項を挙げ連ねる。
 しかしそれに対する先生の返事は、寝起きの低血圧と銀時のしつこさに顔をしかめて、機嫌悪く単調なものだった。

「電車なくなるかもしんねぇからいい。泊まるトコだったらすぐ見付かるし」
「駄目! それがダメ!」

 先生が見つける泊まる処といったら、二十四時間営業の漫喫とかオールでカラオケとかじゃない。ラブホで誰かとヤるか、誰かの家でヤるかだ。
 だから銀時はこうして必死に迎えに行くと捲くし立てているのである。断られても、引き下がるわけにはいかない。だって、恋人の貞操が掛かっているのだ。

「電車なくなってもいいようにチャリで行くから!」
「寒いから嫌だ」

 縋りつく銀時に対して先生はにべもない。
 先生ってホントに俺のこと愛してるの?と思わず出かけた言葉を銀時は呑み込み、先生のスーツの裾を引き止めるように掴んだ。

「じゃあ、冷たくなった躰すぐにあっためてあげるから」

 暗に、帰ってきたらエッチしようと仄めかすと、銀時の手をものともせず玄関に向かっていた先生がぴたりと立ち止まる。手ごたえありと見た銀時は、ここぞとばかりにどうにか先生を説き伏せて、チャリで迎えに行くことを了承させたのだった。
 そうして先生を新婚夫婦よろしくキスして送り出し、決意する。

 ―――俺、車の免許とろう。

 でなければ、次はないかもしれないと直感したある冬の朝だった。





07.02.21




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