好きなひとができた。

 それだけで世界が眩いばかりの色彩を帯びるのだと銀時ははじめて知った。
 これまで歩んできた人生など霞んでしまう。そのひとを見るだけで夢のように倖せになれる。
 そんな気持ちにさせてくれるひとに、銀時は出会った。

 恋というのは偉大だ。
 相手が年上の教師だということも同性である男だということも関係ない。瑣末なことだ。
 この恋はほんもので、素晴らしいもので、世界を輝かせてくれる。それが、大事なことだった。
 美人でかわいい数学担当の土方十四郎先生。
 彼が銀時の恋した相手である。
 銀時のクラスの数学を受け持つことになって自己紹介をしていたときの声も高過ぎず低過ぎずで美声だった。文句なしのルックスに、丁寧で分かりやすい教え方。何もかもが好ましく、銀時のツボにヒットした。
 だからもっと先生のことが知りたくなったが、キッカケなんてそう都合よくあるわけはなくてウジウジしていたら悪友どもにウザがられた。しかしその悪友ども――高杉・坂本・桂の好意なのか揶揄なのか分からない助言と応援を受けて、銀時は決意する。
 キッカケは自分でぶつかって作り出すものだ。
 そう考えて、昼休みや放課後に先生のところへ押しかけることにした。
 最初の口実はやっぱり定番に、授業で分からなかった点についての質問だ。しかし何度も解説を訊きに行って失望されたくないから一生懸命眠りもサボりもせず真面目に授業を受けていたら、分からないことなどあっという間になくなってしまった。テストでも、たとえ他の教科の成績は地を這っていようが数学だけはほぼ最高点を弾き出していたのでそれなのにまだ質問に行くのは流石に不自然である。
 なので銀時は毎日手を変え品を変えて先生の元を訪れていた。

「せーんせ、教えてほしいトコあんだけど」
「……またお前か。そのノート寄越せ、何処だ」
「うん。あのさ、ここの問題の答えって何でsが付くの?」

 職員室で昼食後にコーヒーを飲んで一服していた土方は、すっかり厭きれ果てた顔をしながらも銀時に向けて手を伸ばす。
 そうして受け取ったノートには、多少歪な筆記体で英文が綴られていた。
 前述したが、土方は数学教師である。そうは云っても土方にも高校時代というものがあったのだから、高校レベルの英語を全く知らないということはない。しかし、かといって、英語の質問を土方にぶつけてくるのはお門違いも甚だしいだろう。
 英語に関する質問は英語担当教諭に。それが適材適所というものである。

「………………志村先生ー」
「来んな新八ィィィイイ!!」

 土方はぐるりと職員室内を見回して、目的の教師に声を掛けた。だというのに銀時が教師に向けるべきものとは思えぬ口調で志村を拒む。
 予想外の反応に土方が眼を丸くしているのを他所に、銀時は怒る志村に飽くまで反抗的な態度をとり続けていた。

「何で僕に対してはそんな態度なんですか!」
「うっせ! 眼鏡は眼鏡でも先生とは全く違うダメガネだからだよ!」
「そういうことはマトモに授業出席してから云ってください!」
「だーって、俺外国語聞いてっと眠くなんだって! 病気なんだよそういう!! それに、……!?」

 一向に反省の色が見えない銀時が尚も何か怒鳴ろうとするのを、土方は机を叩いて遮る。
 そして、まさか土方が怒ったのかと途端に弱気な顔になってこちらを窺ってくる銀時の腕をがしっと掴んだ。

「職員室で騒ぐな坂田!! 準備室行くぞ、付いて来い!」
「えっ……」
「……何でそんな嬉しそうなんだお前」
「え、いやそれは……ッ、行こっか先生! ほら早く早く!!」
「お、おう。じゃあ、あの、すみませんでした志村先生」

 こちらが連れ出すつもりで立ち上がったのに、すっかり引き摺られるような格好で職員室を出ながら土方は同僚に詫びた。





 何でこんなことになったんだか、という顔をしている土方を、銀時はちらりと振り返る。その間も足は休まず準備室を目指していた。
 思いがけず先生とふたりっきりになるチャンスを得て、心臓がドキドキしている。
 何か喋らなければ。一分一秒が惜しい。そう思うのに、頭はまるで働かなくて上手い言葉が思いつかない。だから口から零れたのは、取り繕った上っ面も何もない言葉だった。

「先生。俺ね、先生に訊きたいこといっぱいあんの。勉強以外で」
「ンだよ。誕生日でも訊きてェのか?」
「いやそれはもう知ってるから、もっと他のこと。たとえば、年下は守備範囲内?とか」
「特に興味はねェ」
「今付き合ってるひといるの?とか」
「黙秘権」
「……好みのタイプは?」
「哺乳綱霊長目ヒト科」
「……人間だったら、いいってこと?」

 それが男でも?とまでは訊き返せなかったが、恐らく先生のほうに振り向いた自分の顔はみっともないほどに真剣だったころだろう。
 ヒかれるかもしれない、と思った。けれどそれは杞憂に終わる。

「ご想像にお任せシマス、ってとこだな」

 笑った顔を見たことなくて、クールビューティで評判の先生がほんの少しだけ笑った気がして、銀時は思いっきり赤面した。





07.11.15




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