或る日突然屯所を訪れた銀時に、偶々上がり框にいた土方は露骨に嫌な顔をした。銀時を好きだとは認めるクセに自分からは決してそのことを云おうとせず、それどころか物凄く不本意そうにする土方は銀時が職場に現れることを酷く嫌う。
 曰く、何か分かんねぇけどとにかくスッゲェ嫌、なのだそうだ。これには流石に疵付いてしまう。
 進路を塞ぐように前に立ちはだかる土方を銀時は上目遣いに見た。バチッと火花でも散りそうなほど鋭い視線とかち合って、今にも首筋に刀を突きつけられるような気持ちになる。それで本当に斬りかかられるというわけでもないのだけれど、簡単に斬られてやるつもりもないのだけれど、もう少し平和的に迎えてくれたってイイのではなかろうか。
 紫煙を上げる煙草を口から手に移し、土方は低く掠れた声音で凄んだ。

「何しに来やがった」
「ん、ちょっと野暮用」
「そうかよ。俺のほうは用なんざねェからとっとと帰れ」
「あー違う違う。今日はオメーに用があって来たんじゃねーの。ゴリラいんだろ? 会わせてくれよ」
「は? 近藤さんに?」

 近藤のことをゴリラと呼ぶなと注意することも忘れて虚を突かれた表情をする土方に、銀時はニヤリと犬歯を覗かせて笑った。それに加えてひとを揶揄するいやらしい声が土方の神経を逆撫でする。

「俺が此処来たら自分に会いにきたって思うとか、自意識過剰なんじゃないですかァ副長サン?」
「ぶった斬るぞテメェ! 普段の行い顧みてみやがれ!!」

 気紛れに土方の前に現れてはいつも散々ひとをおちょくって仕事の邪魔をして、公務執行妨害でしょっ引いてやろうと幾度考えたか知れない。土方はこめかみに血管を浮かせて思いっきり怒鳴った。しかし銀時がそれ如きで怯む筈もなく、マイペースにブーツを脱ぎ捨て上がり框に上る。そして制止の声を掛けられる前に土方の腕を掴み、案内してよ、と云った。
 土方は困惑し、悩ましげに眉根を寄せる。帰れ、とやたら図々しい男に向かって云ってやりたい。けれど近藤に用事があってやって来た、一応客を土方が勝手に帰すわけにもいかず、仕方なしに渋々局長の仕事部屋に足を進めた。
 廊下の古びた床板を踏み締めれば時折ギシギシと軋む。自分のものと、どういうわけか隣を歩いている男のもののふたつ分。廊下は狭いのだから後ろを歩けと思いつつも、その為には先ず掴まれた腕を解放させねばならない。柳のような銀時を相手にそれらの要求を通させるのは至極面倒で、それより黙って近藤の部屋にさっさと連れて行ったほうが早いだろうと土方は細い堪忍袋の緒で我慢した。歩調を速める。

「近藤さん、入るぞ」

 いつもより少し乱暴に声をかけ、襖を開け放した。ペンを手にして机に向かい、書類の文面にうんうん唸っていた近藤が顔を上げて振り向く。

「何だ? …もしかしてまだ増えんのか? 書類」
「もう暫くはねェよ。……客だ」
「お茶出してくれんなら和菓子も付けてほしいなァ」
「テメーに出す茶なんざあるかよ。近藤さんも忙しいんだ、早く済ませやがれ」
「客…って銀時がか?」
「そうデース」

 だらだらと茶化した声と共にやっと手が離れる。近藤の正面に腰を据えた――この男が正座をするところなど土方ははじめて見た――銀時の横顔を壁に凭れて見下ろす。腕を組み、煙草を咥えたまま紫煙を吐き出した。灰色の害悪は風もないのにゆらり、揺らめいて昇る。
 その煙草がぽろりと口許から落下していった。


「娘さんを俺にください!」


 銀時の言葉の、意味不明さに。
 近藤は独身だ。ましてや娘なんていない。思考し、土方は努めて冷静だと自分に云い聞かせ、身を屈めて畳に落としてしまった煙草を拾い上げた。藺草に焦げ痕が少し付いていて、後で謝っておかなければと思いつつ近藤に視線をやる。近藤は云われた言葉がピンとこないのか無表情に近い顔で銀時を見据えていた。

「…トシ、俺に子どもなんていたっけ?」
「アンタのモテねェっぷりは俺がいちばんよく知ってるよ」

 というか、仮にいたとしても精々幼児であろうから、銀時はロリコンの犯罪者ということになってしまう。いや、この捩れ上がった銀髪の男がそうであっても別に驚かないが。
 土方はどうでもいいという調子で近藤に答え、近藤は神妙そうな面持ちで首を傾げた。

「さっぱり話が見えないんだが…」
「あぁ? 何で。結婚前の挨拶の定番だろ?」

 一応下げていた頭を上げ、いつもの死んだ魚の眼で銀時が怠げにくちびるを突き出す。すると明らかに驚いた顔をする近藤と共に、銀時の視界の端で土方も僅かに眼を見開いた。

「え、結婚すんの? 誰と? ハッ、もしやお妙さんとでも云うつもりか?! そんなことは断じて許さんぞ!!」
「違ェよ。あーもう鈍いね、アンタら」
「?」

 勢い余って身を乗り出す近藤の勘違いを片手であしらい、銀時はわざとらしく溜息を吐き出す。近藤はともかく何故自分まで含まれているのかと煙草を取り出す手を止め、土方が眉根を寄せた。嵐の前の予感に似ている。
 銀時は恐ろしく真剣な、不気味なほど真っ直ぐな眼をして云い放った。

「多串く…じゃねェ土方をくれっつってんだよ!」

 シン、と風の音さえも静まる。
 永遠とも思える決定的な静寂が一面に吹き込んだ。思考ごと躰まで硬直したふたりと、彼らの反応を待つひとり。その沈黙を打ち破る声は存外に大きく響いた。

「俺ァ娘じゃねェ!!」
「気にする処はそこなのか、トシ?! お父さんはそれでもお前のことを大事に思ってるぞ!」
「そんなこたァ知ってる!」
「だって息子さんじゃ微妙だしアレみてェじゃねーか!」
「誰もンなこと考えねェよ、この阿呆銀髪!!」
「それ以前に、親子ってトコは否定しねーんですかィ?」

 後、男同士の結婚ということも。
 様子を観察しにきた沖田はいつもの感情が読み取れないかんばせにありありと呆れの色を混ぜて、ぎゃーぎゃー騒ぐ大人たちを見ていた。






* Text *