大粒の雨が飛礫のように傘へ打ち付けられ、聴覚の麻痺しそうな音が辺りを包んでいた。
 夏の割には少し涼しい今日など、この驟雨は冷たく感じられることであろう。
 ―――っつっても、動き回ってりゃ冷てェなんざ思わねぇだろうけど。
 傘も差さず細い路地に入っていく黒い服の男と、その少し後を追うように同じ道を辿る複数の人影に気付いたのは偶然だった。
 後に現れたお世辞にも柄がいいとは云えぬ風体の男たちには見覚えなどないものの、先を行く黒服の男は知っている。自分と浅からぬ因縁を持つ人間だ。
 けれど、だから気になった、というわけでは決してない。そこまで親しいわけではないし、銀時はお人好しでもない。
 それに奴にとって、こんなことは日常茶飯事ともいえることであろう。真選組副長、土方十四郎にとっては。
 雨では流し切れぬキナ臭い空気に、銀時は嫌なものに気付いてしまったと口角を下げた。
 過去には命の遣り取りだけが総てかのような日々に身を置いていたこともあれど、今は平々凡々な一般市民である。だからそんな場面を垣間見たとしても放置しておけばいい。関わり合いになる必要など何処にもない。下手に干渉するのもお節介というものだろう。如何にもあの男の嫌いそうなことだ。
 そんなことを考えて、それではまるで好かれたがっているかのようだと気付き銀時は己に呆れた。そんな莫迦な話があるものか。自分たちは、犬と猿だってまだマシなんじゃないかという仲の悪さなのに。
 そしてそれを改善しようという気はどちらにも全くない。それでどうして好かれたいと思うというのか。しかし顔を突っ込むと、それはそれであの男を心配している故の行動のようで癪である。
 ならばどうすればいいんだという心からの疑問を無視して、銀時の足は勝手に路地へと踏み込んでいた。



 傘の上で雨音がばらばらと激しく音を奏でる。
 幾重にも重なる雨のラインが景色をけぶらせ、総てのものの輪郭を曖昧にしていた。その中にあって個をぼかす雨を切り裂く、鮮烈な刀の軌跡にまず視線を吸い寄せられる。その刀身を彩る深紅は雨に濡れ薄くなって飛び散った。
 耳障りな低い断末魔と、地面の水溜まりに重いものが落ちる音が銀時の気配と立ち止まるときに跳ねた水音を掻き消す。
 剣戟の清んだ高い音が、今は濡れて鈍く響いた。土方は容赦のない強さで敵を薙ぎ倒し、蹴り飛ばし、足の靭を断って地べたに這い蹲らせる。急所を突いて命を絶たないのは、奴らから聞き出したい情報でもあるのだろう。そこまで頭を働かせているというのに振るう刀の太刀筋は粗野で武骨で、喧嘩師か獣のような戦い方だ。興奮と集中に瞳孔が開き、黒々とした中に篝火を灯す眸もそれに相応しいものであった。
 雨の紗にも滲まぬその射抜くような眼差しを直視してしまい、銀時はしくじったと眉根を寄せる。
 明確な理由は分からぬままに、ずっと危機感だけがあった。
 闇の只中で燃え盛る炎に、引き寄せられぬ者などいない。一度魅せられてしまえば、忘れられず手を伸ばしてしまうだろうという危惧だ。
 そのような感覚を覚えてから、銀時はあの男と真向から視線を交わさなくなった。そうなると取っ組み合いの喧嘩もできないから寸前でいなして、余計に土方の怒りを煽ることも少なくない。
 けれど、だって今の安穏とした生活を崩すつもりは更々ないのだ。銀時の日常に、あの攻撃的な視線は必要ない。あってはならない。それだけ、あの男の存在というものは銀時にとって脅威だった。
 だからいけないと思っていた筈なのに、遠目にでも銀時はそれを見てしまった。こちらを認識もしていない、唯目の前にいる敵だけに向けられた熱が、銀時の内に眠っていた炎をゆらりと揺らめかせる。そして胎動する何かは分からないそれを、暴きたいという抗いがたい衝動までが湧き上がってくるのだった。
 今まで感じたことのない正体不明の情動が目覚め、騒ぎ出すのはあの眼がこちらを見ればいいのにという強い思いだ。その欲求だけが鮮烈で、根源にある感情が何なのかが全く分からなかった。そもそも知らないものなのだ、これは。だから考えてみても答えが出ない。
 何か分からないものが自分の身の内にあるということが、落ち着かなくて煩わしかった。それを目覚めさせ、息衝かせてしまったことは仕方ないからもういい。それよりも、明瞭にしたいのだ。
 不逞浪士であろう男たちを残さず地に叩き伏せた土方は、刀を納めると濡れて額に張り付いた前髪を鬱陶しげにかきあげた。雨に打たれ、水を含んだ髪や衣服の黒はずっしりと酷く重そうに見える。間断なく鳴り続ける雨音が煩すぎて、男の所作は総てが無音だった。ずぶ濡れで煙草が吸えず、口端と眦を歪める様がいやに鮮明に見える。
 携帯電話を耳に押し当て、鋭い口調で指示を出していた土方が通話を切ったのを確認して銀時は足を踏み出した。