総てが予め仕組まれていたかの様な、不可避の出逢い。





 車での社長の送迎を命じられ、一度だけ足を踏み入れた社長の屋敷。
 硝子戸の閉ざされた縁側を女中の後に付いて歩いていた銀時は、広く手入れされた庭にふと眼を遣った。深い緑の色と樹幹の濃褐色の中に艶やかな紅の椿が咲き誇る庭の奥にひっそりと離れが存在している。
 其の離れの窓際に、着物を纏った若い男が佇んで居た。
 艶のある濡れた様な黒髪に涼やかな切れ長の双眸や整った鼻梁、薄い唇と、遠目でも酷く綺麗な相貌をしている事が解る。緩く羽織られているだけの着物の袷は大きく肌蹴ており、その気怠げな雰囲気に銀時は入社したての頃耳にした噂を思い出した。
 曰く、社長の私邸には男が囲われて居るらしい。
 其れが途端に真実味を帯びる程、黒髪の男にはえも云われぬ色香が有った。
 知らず歩みを止めていた銀時を、女中が訝しげに振り返る。其の気配ではっと我に返った銀時は、引き剥がす様に視線を正面へと戻し平静を装った。
 あれに惹き込まれてはならない、と強く念じる。
 所詮は手の届かぬ花であるのだ。
 そう思いつつも、唯囲われて居るだけと云うには鋭過ぎる獣の様な光を湛えた眸が銀時の脳裏に焼き付いていた。





 そうして、運命は軋みを上げて回り始めた。





 新月の晩、星明りは微かにしか届かず街灯も乏しい町は一歩細い路地に足を踏み入れると完全な闇に支配されていた。
 その奥で出くわした光景。
 手首を掴まれ、塀に押さえ付けられながらも悠然とした表情を崩さぬ、黒髪のうつくしい男。
 見間違える筈等無い。あの日見た獣の眼をした男が、己の目の前に居る。
 愚かにもその男より優位に立とうという、見知らぬもう一人の男は銀時の出現にみっともなく狼狽していた。人格の卑小さが、其れだけで見て取れる。この国においては稀である月光の様な銀髪の若い男――銀時の事を、"鬼"とでも思ったのだろうか。くつ、と喉を笑みに震わせて笑い、唇を弧に歪めると弾かれたように浅はかな男は更なる闇へと逃げて行った。
 後に残されたのは銀時と、銀時が勤める会社の社長の愛人。
 決して触れられぬと思っていた花が、至近距離に在る。
「……何だよ」
 不躾な銀時の視線を真向から睨み返し、男は肩口迄寛げられていた着物の袷を手早く直した。この雰囲気は、争っていたと云うより、善い事をしようとしていたのだろうかと今になって思い至る。
「ああ、どっかで見たツラだと思ったらテメェはウチの社員じゃねぇか」
「…こんな下っ端の事まで知ってるたァ恐れ入りましたよ」
「たりめぇだろーが。あの会社は俺が……って、ンなことはどうでもいいな。それより、遊ばねぇか? さっきの腰抜けは逃げちまったしよ」
 妖しい笑みを口の端に浮かべる男は、毒があると知っているのに引き寄せられずにはいられない甘美な蜜の様な色香を纏っていた。
「いけません。貴方には旦那様が居るんですからこのようなことは」
「屋敷抜け出してるって事の口止め料だとでも思っとけや」
「でしたら尚の事駄目ですよ」
 窘める言葉とは裏腹に、タチが悪い微笑を浮かべる男に銀時も仄暗い笑みを酷薄なかんばせに刻んで見せた。

 ―――ひとのモノは欲しくなってしまうじゃありませんか。

 然う云い様、手を伸ばし細い腰を抱き寄せる。
 捕らえた腕を己の肩に乗せさせ、腰に回した腕で幼子を抱き上げるように優しく、しかし魂までも奪い取るような激しさで拘束した。





 しかし、運命の歯車は狂い出す。
 神の手を離れて。





 男――十四郎に教えられた離れのすぐ裏にある塀の抜け穴を通り、人目を忍んで逢瀬を重ねる。
「眼鏡かけてんの初めて見た。眼ェ悪いんだ」
「なきゃ生活できねぇって程じゃねぇがな。仕事ン時だけだ」
「仕事?」
「テメェが面倒看て貰ってる会社は、殆ど俺が動かしてる様なもんだからな」
 俄かには信じられない科白に対し、漸く吐き出せた言葉は無様に掠れていた。
「……冗、談」
「俺がそんな詰まらねぇ嘘吐くと思うか?」
 ―――態と誤解させる様な事は云っても嘘は云わねェ。
 正妻がいながら、離れとはいえ本邸の敷地内に堂々と住まっていられるのはその所為だと事も無げに云う。
「重役のジジイどもなんざ無能ばっかだよ。俺がいなけりゃとっくの昔にあの会社は潰れてらァ」
 そう語る土方の眸に灯る光に、背筋が震えた。尤も、恐れをなした訳では無い。此れは武者震いだ。
 どんな手を使ってでも此の男が欲しいと、思う。
 喉の奥から低く這い上がる笑いを銀時は止める事が出来なかった。





 のめり込んではならないと、戒めれば戒める程に加速する執着と云う名の想いはやがて悲劇を引き起こす。





「旦那様に隠れて火遊びすんのにも飽きてきた?」
「よく分かったな」
「退屈って、顔に書いてある。そろそろ違うゲェムに変えてみる?」
「……どんな、」
「俺と逃げてみねぇ?」
 抑揚の殆ど無い声音で云う銀時の真意を計るように、土方は汚れたシーツの上で仰向けに寝転んだまま隣に腰を下ろして居る男を見上げた。胸の底の底、本人さえ自覚していない深みまでを見透かすかのような眼差しを、銀時は何時もと変わらぬ不透明な眼で見詰め返す。
 見定めるのは信用出来るか否かでは無い。使えるか否か、だ。人々の意識の根底にまだ身分差別の染み付いている此の時代の中においても上下関係に怯まず、おもねらず、土方を愉しませてくれる人間。今までに出会った人間のようにあっさり陥落することもなく、愛を囁くでもこれ見よがしに匂わせて押し付けてくるでもなく、この遊戯を愉しめる同じだけ狂った精神を持つ男。加えて躰の相性も良いとなれば、恐らくこれ以上の逸材は二度と現れまいと思う。
「それより、もっと面白ぇ事があるぜ? 俺ァこの家の庭が気に入ってんだよ。だから、この家を会社諸共乗っ取っちまわねぇか? 取り敢えずテメーが副社長になるよう俺が手回ししてやっからよ」
「……いや、それには及ばねぇわ。半年くらいくれりゃあ自力で伸し上がっから。まぁ、ちょっとだけバックアップ頼むかもしんねぇけど」
 悪事に手を染める誘いに怯む事も無く、死んだ魚の眼のまま頭を掻き毟り銀時は衒いもなく云い放つ。その言葉に土方はどこか満足げに眼を細め、蠱惑的に笑んだ。
 こうでなければ愉しくない。
 ―――逃亡者なんざ、柄じゃねェし似合わねェんだよ。

「俺達は共犯者だろ?」





 仮令其れが誰にも認められぬ愛であっても。





「社長! 下に警察が……っ!」
「邪魔なんだよ、退けや」
 顔面を蒼白にし、社長室に駆け込んだ秘書の背中を十四郎が容赦無く蹴り倒す。
 己が買い与えた事の無い洋装で現れた情人に、松平はサングラスの下で僅かに眼を見開いた。
 しかし、其れと同時に何もかもに納得がいく。こうなる様に仕組まれていたのだと。
 松平は男を囲っていたのは無い。少しでも隙を見せれば主人に喰らい付く、貪欲な餓えた獣を飼っていたのだ。
「トシ…」
「よぉ、とっつァん。悪ィな、その席はもうアンタのもんじゃねぇんだよ」
「……全くよぉ、オメェがそっちに付いちまったら勝ち目ないじゃねぇか」
「そういうこった。愛しい俺と会社の為に、潔く捕まってくれよ」
 首筋にしなやかな腕が絡められ、落とされる口吻けに応えて松平は仕様のない子供を宥めるような顔で笑んだ。





 仮令誰を犠牲にしても。





「ああ、そうだ。云っとくけど、俺ァあのオッサンみてェに甘くねェから」
 そう云って、銀時は酷薄な笑みに眦を細めた。
 甘やかして飼い馴らそうなんざ端から考えちゃいない。
 頑丈な首輪と鎖で繋いで縛り付けて、俺が与える餌しか見れないようにして。
 そうして俺以外誰もアンタの視界に入れないように世界を閉ざしてあげる。
 ―――いずれ、俺の腕の中を帰る場所にしてやるよ。
 情事の後に囁いた言葉は、戯れの一つでは無かったのだと思い知れば良い。

「覚悟、しろよ」





 罪よりも罰よりも残酷な愛をお前に。




















嘘です。










以上、個人的にはムチャクチャ愉しかった『朝も夜もきみがすき』(フェアリー本)の嘘予告でした。
すみません。てんさんがお描きになった裏表紙の話をしていて、てんさんと妄想が止まらなくなりました。瞬間爆発がもふ教のウリです。てんさんにもアオリを考えてもらって裏表紙のに文字入れしてもらっちゃいました。より一層妖しい感じです。(笑)
フェアリー本の裏表紙を見ていたら平井氏のエレジーが、もふ教ふたり揃って(というか日和さんもだったらしいので、仮想鉄霰揃って)思い浮かんだのが発端でした。そこから不倫モノだよね。何か、大正時代なイメージだよね。この土方さん、囲われてそうだよね。などなど、喋り続けて止まらなかった妄想の結果がこれです。
ムーディにベタい感じを目指しました。(笑)

【文責・羽月/イラスト・てん】