沖田×土方/No.1
「土方さん、セックスしやせんか?」 ドアで顔面を叩け 仕事をするでもなく机に片肘を突いて、抑揚のない口調で沖田は云った。脈絡もなく、唐突に。 ぶはぁっ、と傾けていた湯呑みの茶を盛大に噴き出した土方は口端からぼたぼた滴るそれを拭いもせず瞠目して沖田のほうを向く。 「ついにイカれたか?」 「ついに、って何ですかィ。失礼なひとでさァ」 「じゃなかったら、さっきのセリフにどう説明つけんだよ」 「説明も何も、俺は正気で本気ですぜ」 見た目だけは大真面目な顔で口を尖らせる沖田を、土方は胡乱なものに向ける眼差しで見詰めた。正真正銘の真顔でとんでもないことを云いだすのがこの男だ。油断できない。 というか、本気なのだとしたら余計に厄介だ。 零した茶が染み込んでしまったスカーフを外し、口許を拭く動作をしながらバレないように重たい息を吐いた。 答えは決まっている。だが、何処まで食い下がられるか分かったもんじゃないとなると呼気以上に気が重い。 「で、返事はどうなんですかィ?」 「断固却下に決まってんだろうが」 間髪いれずに断言して、ポケットから煙草のパッケージを取り出す。 色好い返答を期待していた風でもなかったのに、あからさまに落胆した沖田は見ないようにした。爽やかな容貌を裏切る腹黒さを飼っている青年のポーズだと分かっているのに何だか悪いことをしたような気分にさせられるからだ。 心を鬼にしても、身内には鬼になりきれない甘さがあることを自覚している。――普段、隊士に鬼副長だ悪魔だと叫ばれていることは棚上げしておいて、少なくとも土方自身はそう思っている。 机の端にあった灰皿を引き寄せ、銜えた煙草に火を点けた。灰色の一息をついて顔を上げると、さっきよりも近い位置に――異常なほど近くに沖田の顔があってギョッとする。 口から落としそうになった煙草をすかさず沖田が攫っていった。指に挟んだそれに試すような仕草で口をつけて、顔を顰める。眉間に珍しく皺を寄せて、灰皿で火を揉み消した。まだ長かったそれを土方に返すという発想はなかったらしい。 「よくこんなマズイもんを好きになれやすね」 「俺にとっちゃ酒より美味いんだよ。だから無駄にすんな」 「口寂しいんですかィ?」 「莫迦云え。巫山戯たことばっか云ってっと斬るぞ」 「またすぐそういうこと云うのは悪いクセですぜ。屯所内でまで帯刀するもんじゃないでさァ」 即座に取れる位置に置いた刀の鞘を土方が掴み、柄に手を掛けているのが見えているだろうに、沖田はけろりとした顔のまま変わらない。 そしてまた唐突に。 「分かりやした」 「あ?」 一体何が分かったというのか、意味不明な沖田の言葉に怪訝な声を返す。彼は妙に納得したような、仕方ないと子どもの癇癪を宥めるような様子で口を開いた。 「いきなりセックスが嫌ってんでしたら、べろちゅーはどうですかィ?」 「何も分かってねぇだろ、てめェ! 妥協か? それで妥協したつもりか!? 云っとくが全然できてねェぞ!!」 「何だい、これも嫌ってんですかィ?」 「当然だろうが! だいたい、何で男となんざヤらなきゃなんねぇんだ!?」 「ああ、それは安心してくだせェ」 「はァ?!」 沸点の低い激昂のあまり立ち上がって刀を抜き放ちかけている土方の鬼の形相にも、沖田は平然としている。あまつさえ教授するようにピッと立てた人差し指を土方に突きつけ、その割には気楽な調子で云った。 「土方さんはばっちりヤられる側でさァ」 「叩ッ斬る!!!」 鞘から離れた刀身が横薙ぎに襲い掛かってくるのを沖田は軽い身のこなしで飛び退いて躱す。膝をついた着地点を狙いすましたかのように振り下ろされる刃も、頭上に掲げた両手で挟んで止めた。 その体勢で静止すると、時間が遅れて付いてくるような感覚に捕われる。時間が追い付いてくるまでの間くらいじっとしていられないのか、打ち下ろそうとじわじわ力を込めてくる土方の怒りに燃える眼を見上げた。 白刃取りなんていうデタラメな防御をされたせいか殺気立っているのがよく分かるが、沖田はそんなのはものともしない。通常、土方をからかうことに心血を注いでいるのだからそんなものは今更に過ぎる。 いつまでこうしていようか、呑気に考える。土方が諦めるまで粘ることもできないではないが、無駄に体力を消耗するだけのようで頂けない。 火花でも散らせそうな鋭さと激しさでもって睨み付けてくる土方から、沖田はふっと視線を外した。丁度、土方の背後にいるものへと焦点を合わせるように。 そして、大変なものでも見付けたのか僅かに眼を瞠る。 「あ!」 「?」 決してそちらを――沖田の視線の先を見ようとしたわけではない。この男を前にその行為は明らかな隙に繋がると知っている。 だが、一瞬でも意識が刀から逸れた、その瞬間に視界は大きく移ろった。 背中に感じた息の詰まる衝撃。少し離れた処に刀の落ちる音が床から鼓膜に伝わってくる。 「イ…ッテェ……何しやがる、コラ! 総悟!!」 「―――誰もいませんぜ」 仰向けに転がされた土方が上半身を起こそうとするのを、沖田は馬乗りになって阻む。彼の両の手首を掴んで床に縫いとめると、苛立たしげに表情が歪んだ。そんなに悔しそうにするから、余計に煽ってやりたくなるのだとは気付かないのだろう。 さっきまで自分が見ていた辺りを上目に見遣って囁くと、それがどうした、と土方は吐き棄てた。 「この部屋には、俺と土方さんしかいない」 憮然としている男に覆い被さって見下ろし、確認するように繰り返す。 土方が手首の拘束を解こうと抵抗するのが、彼を押さえ込んでいる手に感じられた。 屈することを知らない強靭な双眸を覗き込んでそこに映る自分を確かめる。凶器のような笑みが口許を覆うのを止められなかった。 「此処で俺にキスされるか、市中見廻りのときにずっと手を繋いで大勢の人間に目撃されるか、どっちか選んでくれませんかィ?」 云うと、土方が息を呑んだのが分かった。それほど酷い選択じゃないと思っていたのだが、彼にはそれはとても残酷な響きとして届いたらしい。 それでも、視線を逸らすことはしなかった。真っ直ぐに沖田を見据えたまま、やがて食い縛った歯の隙間から呻くような声で言葉を紡ぐ。 「総悟、てめェ脅せば何でも自分の思い通りになるなんざ思ってんじゃねぇぞ。ちっとは我慢っつーもんを憶えろや」 普段の直情的に怒鳴るのではない、低く静かな窘めに、声を上げて笑ってやりたくなるのを堪える。 この人は、そうだ、何も分かっちゃいない。 「俺は充分我慢してますぜ。けどもう限界なんでさァ。今だって、本当は土方さんをメチャクチャに犯したいのを我慢して選択肢を提示してるんじゃねぇですか」 そう呟く沖田の眸の奥に底知れぬ闇を垣間見て、土方の脳裏に警告が過ぎった。それは、今までに幾度も死線をかい潜ってきたときに例外なく働いた危機の予感だ。 絶対的な不利。覆すことのできない状況。良くない、と本能が警告を発する。 ここで決定を避けられたとしても、後からより悪い条件になって選択を迫られることが目に見えていた。 …覚悟を決めるしかないのか。たったこれだけのことだと割り切ればいいのか。犬か猫に舐められたとでも思って。 「……舌は入れんなよ」 物凄く不機嫌な声でボソリと、聞き取れるか取れないかという声量だったにもかかわらず沖田の反応は早かった。 「俺は約束を護る男ですぜ」 その証拠のように、土方の鼻の頭に軽く口吻ける。 羽根のような軽さに思いの外沸かなかった嫌悪感を土方は持て余して、躰から力が抜けた。これくらいなら犬に噛まれるより痛くない分マシか。 「どうですかィ?」 「どうも何も、これくらい何ともね…ぇよ―――」 口に出してから、とんでもない墓穴を掘ったのではないかという危惧が浮かんできた。足を踏み出した処が落とし穴だったときの落下感を実体験するみたいに、ザァッと顔から血の気が引いた。 沖田が、したり顔でニヤリとくちびるを歪める。その企み笑いは幼い相貌とヘンにしっくりきて、何か薄ら寒いものが背筋を這い上がっていくのを土方は自覚した。 一度離した顔を近づけて、沖田は前髪とその下の額にくちびるで触れてくる。そのまま薄い皮膚の上を滑るように移動させて、反射的に閉じた瞼の片方を舌で舐めた。頬にはちゅっと音を立ててキスをし、口唇の端、喉仏の上、首筋と徐々にくちびるを下ろしていく。 特に見たくもなかったので眼を閉じたままでいると、鎖骨に濡れたやわらかい感触が当たってきて土方はうろたえた。普段はスカーフで覆われている筈なのだが、そういえば茶を零したので外していたことを思い出す。 「っ……ぅあッ! や、めやがれっ総悟ォ!!」 痛いくらい皮膚を吸い上げられて、思わず渾身の力で――沖田も多少なりと油断していたのだろう――己に圧し掛かっている躰を跳ね除けた。 派手に後転した沖田から距離をとって立ち上がる。見てなかった間にベストとシャツまで肌蹴られていたことに恐ろしいものを感じながら――何という手際の良さだ――、さっきは引っ繰り返ってしまった声を元に戻そうと乱れた呼吸を整える。 「土方さん、約束を反故にすんのは良くないでさァ」 「俺はここまで許した憶えはねぇ!」 「キスは一回だけとは云いませんでしたぜ。舌も入れちゃいません。これぐらいで騒ぐなんて土方さん、初心な生娘ですかィ?」 「そこへ居直れェェ!! 斬る!」 沖田に投げられた抜き身の刀を拾って振り上げた。その一撃もまた避けた沖田は土方の体に殆ど密着するように右半身から踏み込んでくる。 ふぅ、と意味ありげに首筋に息を吹きかけられ、土方は肌が粟立った。 「顔、赤いですぜ」 「ッ!」 沖田は動揺する土方を至近距離で満足げに眺めてから、用は済んだとばかりに離れていった。土方が追いかけてこないのをいいことに、廊下に出て後ろ手に扉を閉めると余裕の足取りで別の部屋に向かう。 (予備のスカーフくらい、何処かにあるよなぁ。見付かんなくても良いけど) けど、襟元からキスマークを覗かせた土方というのは隊士の精神衛生上宜しくないかもしれない。要らぬ憶測が飛び交うだろうし。 上司のゴシップなんてあっという間に広まるものだ。そのとき彼はどう弁明するだろうか。面倒くさがっていっそ噂をしていた隊士全員に切腹を命じ、介錯していくかもしれない。 (それも愉しそうだけど、知ってんのは俺だけでいいや) 予備スカーフが見付からなかったら自分のを貸そう。土方は相当厭そうな顔をするだろうが、それをからかうのも一興だ。 邪悪なオーラの漂う笑みを刻んで、沖田は適当に当たりを付けた部屋に入った。 04.07.07 |