沖田×土方/No.3
逃げられないように さあ 針で留めなくちゃ 展翅標本 これから殺されるのだろうか。 考えながら、土方は穴が開くほど見詰めても変化のない天井を正面に睨み据えた。 強かに打たれた首筋のむずつく違和感に躰を捩ろうとして、殆ど身動きが取れないことを思い出す。 畳に仰向けに寝かされ、両腕を頭上に固定されている現状に舌打ちした。 眼球を動かして見えたのは、何の変哲も無い室内だった。畳の敷かれたそう広くない部屋に、箪笥と本が数冊あるだけの棚が置いてある。後は隣室に通じているだろう襖と窓と押し入れ。 本当に、何処にでもある部屋で、何故自分だけが非日常的な事態に陥っているのか。 動かしにくい頭と視界で何とか手元を見ようとすると、深い紺の着物から覗く手首にぐるぐると纏わりついている白い布が、畳に何本もの釘で留められているのが逆さに映った。少し隙間をおいてそれぞれ戒められた両手の間で、白布を縫い止める数点の金属が鈍く光を反射している。 布が破れるか釘が抜けるかしないだろうかと、腕に力を込めて引っ張ってみたが、全く戒めが弛む気配はなかった。手首が擦れる痛みに顔をしかめて無駄な足掻きをやめると、安っぽい笠つき電灯がぶら下がる天井との睨めっこを再開する。 頭を持ち上げるのもこの体勢では重労働なので見て確認したわけではないが、足も同様に拘束されているようだった。同じ布の感触がして、足を曲げることができない。 手足を張り付けられ、完全に躰の自由を奪われていた。 磔刑とはこんな感じなのだろうか、と思う。 すると不思議に心が凪いだ。 それならば話は簡単だ。自分が死ぬだけなのだから。 ――意識を失う前に見た、シュミの悪い茶番などよりよっぽど、簡単だ。 窓硝子から射し込んでくる夕暮れ前の深い陽光を遮ろうと瞼を下ろして、大きく息を吐く。 どれほどの時間、意識を失っていたのだろうか。午後一で市中見廻りに屯所を出てきて、川に突き落とされてずぶ濡れになった服を乾かすために沖田の家に寄った。 そこで、それから―――。 土方はギリ、と奥歯を食い縛った。 不覚としか云いようがない。ああも容易に昏倒させられるなんて、あまりの情けなさに吐き気がする。 唾棄してやりたいドロリとした気分を無理矢理喉の奥に流し込んで、瞼に込めていた力を抜いた。焦点を合わせるものもなく、漠然と眼に映るものを見ていると、自分が時間から置き去りにされたような気になる。 腕を頭上に固定されたせいで軋むような鈍い痛みを肩に感じつつ、無音に耳を傾けた。 時計の針の音すらしない。といっても、そもそもこの家にそんな物があるのかすら謎だった。あの男の生活に正確な時間が必要だとは思えない。 時間感覚のズレだけを明瞭に自覚しながら、幾度か拘束を解こうと躍起になったりもしたが徐々に強くなる痛みの為に諦めた。手首の擦れた箇所が疵になっているかもしれない。 抵抗することも天井を見続けることにも厭きて眼を瞑っていると、襖を引く静かな音がした。瞼を押し上げる。と、此方を見ている整った顔立ちの青年。 「なんだ、起きてたんですかィ」 襖を後ろ手に閉めた沖田が、壮絶な眼差しで睨め付けてくる土方を平然と見下ろして呟く。それから、土方など存在していないかのように素っ気無く視線を外して、腰に佩いていた刀を棚に立てかけた。 「屯所に戻って、土方さんはムチャクチャ熱があったから今日は直帰して、何日か休むって云ってきやした。そしたら皆が鬼の霍乱だって驚いてましたぜ」 「あいつらは…!」 何と無く予想できる『皆』の面子を頭に思い浮かべ、土方はむかつきを押さえ込んでうめいた。ぎし、と思わず力んだ手首が布に締め付けられて痛い。 のったりとした動作で隊服の上着を脱ぎ、不器用にスカーフを外している沖田の涼しい背中を睨んでいることが虚しくなって、土方は天井に視線を戻した。 誰にも予想できない言動をするのが沖田という男だったが、今回はいつにも増して奇行としか表現しようがなく、群を抜いている。 どうして土方を監禁などするのか。全くもってわけが分からない。 「何でこんな莫迦げたことをするんだ、てめェは」 「それは展翅でさァ」 ぶつけた疑問にまるで的外れな返答をされて、土方は眼を眇めた。 上着を適当に放った沖田は眉間に皺を刻む土方の顔の直ぐ傍にしゃがみ込んで、手を伸ばす。刀を振るって人の命を奪うのだとはとても思えない華奢な手が、白布に拘束されている土方の手のひらをゆっくりと開かせた。 「蝶々は標本にするとき、翅を広げてピンで留めるんですぜ。それが、展翅」 滔々と喋る沖田の感情に乏しい顔を訝しげに見上げていた土方は、己の手のひらの中心をトンと突いた冷たい指先と硬い爪の感触に寒気を感じた。 鋭く尖った針で貫かれるという連想が脳裏を掠め、強張りそうになる表情を外に出すまいと息を詰めて堪える。 「本当は、本当に釘で手のひらを留めてやろうと思ったんでさァ。けど俺は手加減なんてできねぇから、土方さんを殺しちゃいけねぇと思ってやめたんですぜ」 さも尤もらしい口調で沖田は云い、スッと土方の手のひらから白布の上を通って腕へと指を滑らせた。濃紺の着物の袂を捲り上げながら、白く滑らかな肌の質感を愉しむようにゆっくりと、指は土方の腕の内側をなぞってゆく。 意味深な行為を不可解そうに眼で追う土方に沖田は上体を屈めて顔を近づけた。 「土方さんは、この着物がいちばん似合いまさァ。けど、もっと似合うのは――紅い色だ」 返り血のように、悪夢のように、真っ赤な色が、アンタには似合う。 耳元に囁いて、もう片方の手で衿を割り開くように心臓の上を撫でると土方はビクリと震えた。沖田の冷たい手に、あたたかい土方の体温がよく馴染む。 それが愉しくて、沖田が土方の耳朶を甘く食むと反射的に彼は顔を背けた。それで余計に晒されることとなった耳に舌を挿し入れると、抵抗しようとした土方の手を阻んだ布がギュッと鳴く。 鼓膜を直接に刺激する唾液の濡れた音が大層不快であるというように、土方は眉根を寄せて口を引き結び、耐えている表情を見せた。 土方の胸に押し当てていた手の下で鼓動が早くなる。 「やめ…ッろ、総悟……!」 堪えきれず弛んだ彼のくちびるから荒い呼気と声が吐き出された。 それがとても不思議な声音に聞こえて、顔を上げた沖田はきょとんとする。 「土方さん、感じてるんで?」 火花が飛び散るんじゃないかと思った。 それほどに激しい光を湛えた土方の双眸に睨みつけられ、沖田は口端を凶悪に吊り上げた。 怒りと怨みと悔しさを、これほどに感じていながら、彼はそれをどうすることもできない。何もできない。――捕らえられたのだから。 今の彼には抵抗手段がこれしかないなんて、何て愉しい。 激情に燃えるような苛烈さを宿した眼球を刳り貫いてやりたい衝動と独占欲の手綱を沖田は何とか掴んだ。本当に刳り貫けば、その光が失われることくらい自分にも分かっているから。 強く噛み締めすぎた土方のくちびるに血が滲んでいるのに気付いてキスしたくなったが、今やれば確実に舌を噛み切られるだろうことが予覚できたので我慢する。 さっきの頑なな拒絶の言葉に含まれた情欲の切っ掛けを思い出し、沖田は土方の首筋に顔をうずめた。鼻をひくつかせると彼が愛煙している煙草のにおいがする。 薄い皮膚の下を走る血管の脈動すら感じ取れそうなそこに舌を這わせ、きつく吸い上げた。思いの外くっきりと浮かんだ紅い痕に満足して、もうひとつ刻み付ける。 「……ッン、ぁ!」 同時に衿から忍び込ませた手で胸の小さな突起を抓むと、土方はまた、無駄な足掻きをして布を鳴かせた。 沖田は彼の浮き出た鎖骨に甘く歯を立て、上目にその表情を窺う。と、土方は酷い顔をしていた。声を発してしまって、滅茶苦茶自己嫌悪に苛まれている表情。それは辱めを受けているみたいで、そそる。 土方は顔を顰めて、これ以上声を洩らすまいと肩の辺りに蟠っている着物の袂を噛んだ。 「っ……、…ッ――!」 衿を寛げて胸の飾りを舌先で転がすように舐め、もう一方は指で弄んでやれば土方はきつく眼を瞑って声を噛み殺す。胸元から見上げた耐える表情と仰け反った喉のラインは奇麗でいやらしい。 着物を噛んでいる土方の口端に指で触れ、沖田は笑みを腹の底に押し込んで云う。 「声、好きなだけ出してくだせェよ」 我慢なんてするような人柄じゃないだろうに。 負け犬みたいに、感じるままに鳴けばいいのに。 ――屈服してしまえ。させてしまえ。 甘い毒を流し込む己の声が体内を谺する。 眼の端に朱を上らせながらも殺気の漲った視線で此方を睨む土方の無言の反抗に、その声は一層大きくなった。 ――そんな風に人を煽るくらいなら、どうしてあんな簡単に捕まったりするのだ。 沖田は徐に刀に手を伸ばし、慣れた所作でスラリと鞘から引き抜いた。曇りひとつない、鏡面のような刀身に映る自分の表情を見下ろして、抑揚のない声で呟く。 「俺はね、土方さん」 磨き上げた刃物と同じ感情のない眼が、土方をひたりと捉えた。 沖田は軽く握った柄をしっくりくるように何度か持ち直す。その鋭利な刃が、喉元か心臓に突きつけられるのではないかという危惧に土方は厭な興奮を憶えて、鋭く息を呑んだ。 「俺ァ、蝶々は嫌いなんでさァ」 自分がとびっきり奇麗な翅で羽ばたいて、誘惑しているのにも気付かず。 その翅を毟り取る機会を狙っているヤツが、たくさんいるのにも気付かず。 ひらひら無防備に飛んで、簡単に捕まってしまうところが、大嫌いだ。 「だから、」 「……ッ!」 無造作に刀を走らせると、布の裂ける音と人の肉の感触。 手のひらが憶えているその感触に酔いそうになりながら、刃に付着した鮮血を一瞥し、後ろに眼を遣った。 土方の左足を戒めていた白い布が千切れ、そこに赤い液体が染み込んでゆくのを確認して、笑う。 ねぇ、捕まるところなんて見たくなかったんだ。 誰かに屈服するところなんて見たくないんだ。 大嫌いだから。 「だから、俺が捕まえてやったんでさァ」 うっそりとした笑みを浮かべたまま、もう片方の足を床に繋ぎとめていた布も切り裂いて、沖田は刀を手の届かない処まで放り投げた。 その落下音を耳の片隅で拾いつつ、恭しい所作で土方の左足を持ち上げる。布が擦れてできた疵とは別の、意図して疵付けた足首の裂傷にくちびるを寄せた。 内側の踝からとろりと垂れる血を舐め上げれば、鉄錆の匂いが口腔に充満する。また滲み出てくる血を舌で掬い取ると、ビクンと手の中で土方の足が痙攣するように強張った。 「痛ッ…ぅ、あっ」 「ああ、土方さんも血で興奮するんですかィ」 「っ、ちが……!」 「違いませんぜ」 沖田は忍び笑いを洩らして、疵口を舌先で抉りながら緊張を解すように土方の足を手でやさしく撫で上げる。着物の裾を割って、大腿までを晒せば逃げを打つように土方は身を捩った。 そのささやかな抵抗を封じ、吸い付くような肌の感触に沖田は手のひらを当てて、細いがしなやかな筋肉のついた足を開かせる。 ちゅっ、と別れのキスを疵に施した沖田は大きな眸を猫のように細めて笑った。 「だってほら、もう濡れてるじゃねぇですか」 閉じられないように土方の足の間に躰を挟んで、肌蹴られ殆ど用をなさなくなった着物の下から手を忍び込ませる。そうして土方自身をつぅと撫で、眼を見開いて震えた土方に見せつけるように、指先についた透明な液を赤い舌でぺろりと舐め取った。 「血で、感じるんだ」 「だ、から違うって…あっ、ァァ、っはぁ…ン、やめろ――!」 「違うんだったら、まだ触ってもいなかったのにこんなに感じちゃうなんて、やらしいなァ、土方さんは」 「うぁっ…ア、ぁん…! ンンッ、……そぅ、ごっ」 緩急をつけた動きで自身に絡み付く沖田の手から波のように広がる快楽に土方は為す術なく呼気を嬌声に変えた。土方の腕を搦め捕る布が身悶えに合わせて悲鳴を上げる。 先端から溢れるものを塗り込めるように動く淫らな指の持ち主は、情欲を感じさせない眼で、喘ぐ土方を見下ろしていた。子どもが新しい玩具で遊ぶときのそれに似た透明な沖田の眸に、忘れかけていた理性と羞恥が甦る。 「総悟ッ……やめ、っろ…やめ―――ウ、ッ…ぁ!」 「力抜いてよ、土方さん。でなきゃイタイ目見るのはアンタですぜ」 土方を嬲っていた手で後ろの窪みを探り当て、細い指を手加減なしに突っ込んだ沖田は後からそう囁いた。 とろとろと垂れてくる先走りの液でもぬめりが足りないのか、きつく閉ざしたままのそこを揉み解そうと刺激を与えると、純粋な痛みの声を土方は食い縛った歯の隙間から零す。 それに気付いた沖田が伸び上がって口吻けると、険しかった土方の顔から苦痛が抜け落ちた。そんなに意外なことだっただろうかと沖田は内心で不思議がりながら、癒してやるようにくちびるを舌で舐る。 そして土方の躰が脱力した瞬間を狙い澄まし、蕾に挿し込む指を強引に増やすと、全身を突き抜ける衝撃から逃げるように土方の腰が浮いた。それを押さえ込み、萎えかけた欲望に指を絡めて愛撫を再開する。沖田の手に敏感な反応を返す土方の姿態は、常にはない色香を放っていた。 沖田はそれに気を良くしながら、簡単な快楽を引き出してやると僅かに綻んだ蕾の奥をまさぐって、官能の一点を探す。潜り込ませた指の先、爪が内壁を薄く引っ掻くと、土方の躰が跳ねた。 「ッ…! ゥアッ、あっ、ん――!」 その箇所を今度は指の腹で擦れば、土方は高く啼いて、潤んだ眸から溢れた涙がこめかみを伝って流れる。それが苦痛の為のものでないことは彼の艶めかしい表情で容易に知れた。 唐突に沖田が限界まで張り詰めた土方自身から手を離すと、土方は咄嗟に腕を動かそうとしたが叶わなかった。自分の思うよう動けぬもどかしさが、土方の手首に見える擦過傷から窺える。 絶頂まで上り詰めたいのだろう。 その寸前で放り出されてツライのだろう。 だけど自分じゃどうにもできなくて苦しいのだろう。 それでも、誰かに縋り付いて懇願するなんて冗談じゃなくて、だから健気に耐えるんだ。 屈することを知らない土方の矜持を心中で嘲笑う。 蕩けた内壁の縁をくるりと撫でてから指を引き抜き、沖田は代わりに滾った熱を押し付けた。その細い指とは比にならない質量を土方は反射的に息を詰めて拒絶する。先端だけを突き入れたところでキツイ締め付けにあい、沖田は低くうめいた。 「っ、土方さん、イタイほうが好きなんですかィ。だったら、――手加減しやせんぜ」 「ア、んぁ……ァ、ぁぁあああっ」 一思いに最奥まで貫くと、土方は躰を弓なりに反らした。沖田の肩に担ぐように持ち上げられた両足は爪先まで突っ張り、ビクビクと痙攣する。 大きく息を吐いた沖田は土方の頬に手を触れさせた。快楽に染まった顔を覗き込むと、量は多くないが長い睫毛が涙に濡れて重たげに瞬きする。現れた深い色の眸の奥には、情欲と殺気が混じりあうことなく純然としてあった。 「悔しくて、舌噛んで死にそうな顔してますぜ」 「はぁっ…―――だ、れが、てめェのせいで死んでやるか…!」 艶っぽく掠れた声で、最高に憎々しげな口調で、土方は沖田を睨め付けた。 沖田は、心の底から沸き起こる純粋な愉しさを感じる。 それだから、手に入れたいんだ。 捕まえて屈服させたいなんて不埒な考えまで起こさせる眸。 ――その眼にいちばん、欲情する。 深く収めての静止から、内壁を擦って入口近くまで引いた熱を更に奥まで穿つ動作に転じ、一気に責める。 強く貫かれる度に沖田よりも体格の良い筈の土方の躰は簡単に翻弄され、揺れた。 「ン、ぁ……はっ、ィ、あっ、あ、んぅっ」 「ひ、じかたさ…っん!」 深い快感を生み出す一点を突くと、沖田を銜え込んだそこが痛いくらいに収縮する。それで一層ありありと感じる身の内の異物に土方は顎を仰け反らせて甘い声を迸らせ、手首に擦り疵を増やした。 沖田は土方の最奥を突き刺しながら、止め処なく零れる生理的な涙を舌で掬い取ってやり、手のひらで包み込んだモノにも刺激を与える。そのやさしい愛撫を拒絶するように土方は頭を左右に振った。汗や涙でしとどに濡れた髪がぱさぱさと揺れる。 「俺のもんになってくだせェよ。そしたら、ッ…帰してあげる」 「っほざけ…! あっ、ああ――!」 「強情だなァ」 「てめ、ェはっ…、そうやって手に入れても、……ぁッ、どうせすぐ――厭きて棄てるんだろうがっ」 息も切れ切れに喘いでいる土方の言葉には、妙に力があった。沖田は思わず動きを止めて、眼を瞠る。 そうして、嗤った。 「確かにそれは、一理ありやすね」 「くっ、ゥ…ア、アッ、総悟―――ッッ!」 揺さ振られ、脳が真っ白にスパークするような快楽に土方は白濁を吐き出し、奥底にぶちまけられた熱に躰を震わせる。 その弛緩した躰をそっと抱き締め、沖田は耳に直接声を吹き込んだ。 「だけど、少なくとも壊れるまでは手放しませんぜ」 04.07.20 |