銀時⇔土方/No.3




 手の中にあるものを、今更のように確認する。
 然程大きくないサイズの箱だ。
 それ以外の何ものでもなく、また周囲の状況が変わるわけでもない。
 住所だけを頼りに来た、二階の玄関の前に佇んで、非番なので私服の土方は何もできずにいた。
 インターフォンに伸ばした手を躊躇わせて、踏ん切りがつかずに腕を下ろす。
 男らしくない、情けない、と胸中で自分を罵って鼓舞し、のろのろともう一度手を持ち上げる。
 意を決して、インターフォンを押した。

  ピンポーン

 安っぽい呼び出し音が鳴る。







     迷宮の名前





「どうしたんだ、コレは…」
「差し入れです、全部」

 後ろから覗き込んだ土方に振り返って山崎は答えた。嬉しそうに声が弾んでいる。
 座卓に山と積まれた、片手で掴めるサイズの箱を土方はひとつ手に取った。包装紙に印刷された店名には見覚えがないが、それなりに重量があるし、差し入れということは食べ物だろうか。

「中身は」
「芋ようかんですよ。知らないんですか? 美味いって有名な店なんすよ」

 大袈裟に眼を丸くして見せる山崎に、土方は興味なさげに相槌を打った。
 実際に甘いものには興味がないのだから、名店だろうが何だろうが知らないものは知らない。どれでも同じじゃないのかとすら思う。
 違う、とパフェ用の柄の長いスプーンを振って否定する男が脳裏に浮かんで、土方は直ぐにそれを追い払った。
 何であんな男のことを思い出さなきゃならない。癪だ。物凄く癪だ。あんな男、忘れるならまだしも思い出すなんて、苛立つだけじゃないか。なのに何で思い出したりするんだ。
 自分の思考が分からなくて土方はムッと顔をしかめた。

「……一個貰ってくぞ」
「はい…って、えええ?!」

 さっきよりも更に大袈裟に驚く山崎を思いっきり睨みつける。しまった、と云うように山崎は口を手で押さえた。

「文句あんのか?」
「全然、全く、これっぽっちもアリマセン」

 背筋を伸ばして両手は膝の上、折り目正しい正座で山崎はキッパリと云い切った。その不自然なまでの真顔を睨み据えて、容赦のように大きく息を吐くと踵を返す。

「………。明日は雹でも降るのか…なぎゃあっ!」

 部屋を出て行く土方を見送り、口内で小さく小さく呟いた途端に、顔面目掛けて真っ直ぐ飛来してきた白刃を山崎は間一髪で躱した。
 ザスッと藺草を切る音が鳴り、畳に突き刺さった刀を恐る恐る振り向いて見る。すると追撃のように投げ付けられた鞘が後頭部に当たった。
 苦痛の声を上げつつ、「地獄耳だ」とは、今度は口にはしない山崎だった。





 インターフォンの音は、余韻まで呆気なく消えていった。
 これから戦いにでも挑むように身を硬く構えて、反応を待つ。が、待っても待っても反応は一向に返ってこなかった。
 土方は一気に拍子抜けして、自然と詰めていた息を大きく吐き出す。そして、家を訪ねるだけというのにやたら緊張してしまった自分に腹が立って、それをぶつけるようにもう一度乱暴にインターフォンを押した。
 緊張感のない暢気な音が鳴る。結果はやはり一緒だった。

「留守かよっ」

 苛々と、良かったと安堵しているのか厭だと感じているのか分からない感情を持て余し、土方は云い棄てる。
 と、それに答えるように、


「そりゃーまぁ、俺だって仕事しなきゃなんねぇし」


 記憶とあまりに相違ない、いつものヤル気ない声が聞こえてきて、眼を瞠る。
 声のほうを向くと、上の着物を怠そうに着流した男がのんびりと階段を上ってくるところだった。

「どしたの、多串くん」
「受け取れ」

 多串くんと呼ばれることに、ツッコむ気も起きない程度には慣れてしまったことを苦々しく思いながら、土方はぶっきらぼうに手に持っていた箱を銀時に押し付ける。怪訝さを滲ませた銀時は渡された箱を見下ろし、僅かな驚きと喜びに半分落ちていた瞼をぱっちり開いた。

「芋ようかんじゃねーか。なに、くれんの? それとも見せびらかしたいだけ?」
「誰がンなセコイ真似するか! ……黙って受け取っとけ」

 意外で仕方ないと云いたげな銀時の視線からさり気無く眼を逸らす。慣れないことをしている自覚はあったが、何だか自分がとてつもなく恥ずかしいことをしている気がしてきて、それを表面に出すまいと低く唸った。
 自分が人に物をやるというのは、そんなに可笑しなことだろうか。それとも相手が悪いのか。
 俄かに真剣に考えはじめた土方の前を通り過ぎた銀時は玄関に立ち止まった。

「折角だから上がってけば? 茶くらいは持て成すし。五番茶だけど」
「殆ど出涸らしじゃねーか!」
「失礼な、白湯よりはまだ味がするっての」
「絶対気休めだ! そんな茶葉はとっとと棄てろ!」
「うっせーなぁ。想像力だ、想像力。人間想像すりゃ茶の味だってするんだ…よっと」

  ガタン!
 銀時が徐に引き戸に手をかけ、持ち上げると大きな音がした。そのまま手前に引くように力を加えて、鍵の掛かった戸をガタガタと揺らす。
 突然の銀時の奇行に土方がギョッとしていると、やがてもう一方の戸と錠で繋がっていた部分が離れて、引き戸が玄関の枠から外れた。
 銀時は外れた戸を壁に立てかけ、土方に向き直って家の中を指し示す。

「遠慮無くゆっくりしてけよ」
「てめェには鍵を開けるっつー概念がねぇのか!?」
「いや、あるけど今日はアイツらが家にいると思って鍵持ってかなかったんだよ」

 揃って何処行ったんだ、アイツらは。などと文句をブツブツ云いながら玄関をくぐって行く男の後について、土方も家に上がり込んだ。外れたままの戸は極力気にしないようにして。

「はい、お茶」

 ソファに腰を落ち着けた土方の前に置かれたのは、割合にフツウの色をした冷たい麦茶だった。
 銀時は自分の分に同じものと、土方が渡した箱を置いて向かいに座る。死んだ魚の目のままのクセに、いそいそとした仕草で箱の包装紙を剥がし、蓋を開けて蒲公英色のようかんを手掴みにした。
 楊枝も皿も使わず、大きく口を開いて豪快に齧り付く銀時の食いっぷりを胸焼けしそうな心地で土方は眺める。
 芋ようかん一切れを二、三口でぺろりと平らげた銀時は土方の視線に気付いて、上目遣いに眼だけで此方を見た。手は既に次の一切れを掴んでいる。

「食う?」
「要らねェ」
「そ。んで、何の用?」

 喉が詰まったりしないのかと不思議に思うほど、麦茶に手をつけず只管ようかんをぱく付く銀時が首を傾げる。至って単純な疑問をぶつけられて、土方はコップを傾けた状態でピタリと固まった。
 それから茫然と、コップを机に戻す。冷えた麦茶の中で氷が回って揺れた。

「これ渡しに来ただけってことはねーだろ。刀持ってねぇからまた喧嘩しにきたんでもねぇし」

 芋ようかんを咀嚼しているせいで多少不明瞭な声は土方の耳を殆ど素通りした。
 云われるまで気付きもしなかった、自分の行動の不可解さばかりが頭を駆け巡る。
 用事なんて何もなかった。それは二人の接点を考えれば当然のことでもある。どんな用ができるというのか。
 だったら、どうして此処に来たのだろう。親しくもなければ恩もないし義理もないのに、わざわざ非番の日に、手土産まで携えて。
 自分は何の為に、何をしに、来たのか。何がしたいのだろう。
 早くも半分ほどが銀時の胃の中へと消えた芋ようかんの箱を見詰める。
 ……唯、思い出しただけだ。

「用は、ない。唯、それを見たときにてめェを思い出して…」

 言葉にしながら、土方は自分でもそれが理由になってないと分かっていた。
 思い出して、どうして会わなければならないのだろう。
 記憶に甦ってくるだけで、ムカツいて、苛立ったのに。

 ―――それは、何に?

 気に入らなかったのは何だ。
 鮮明に憶えているこの男の姿か、思い出してしまった自分か、――自分ばかりが記憶の中の相手に捕われているのではないだろうかという予測か。
 まるであの男に焦がれているようで、ふとした瞬間に思い出してしまうのは自分だけなんじゃないかと思うと悔しくて。厭じゃないか。癪じゃないか。
 自分だけなんてムカツクから、相手も同じように巻き込んでやりたくなる。
 むすっと口を引き結んで拗ねたような表情を晒していることに土方は気付かず、銀時は、笑った。

「へぇー。俺を思い出したんだ。で、会いに来てくれちゃったりしたんだ」

 にまにまと、口を三日月型にして意地悪な笑みを浮かべる銀時に警戒心を抱いた土方は、つい縦に振りそうになった首に制止をかけた。
 バカ正直に認めてどうする。と、今更なことを考える。
 土方がだんまりを決め込んで睨むが、銀時は飄々とした雰囲気を崩さない。弧に歪んだくちびるが正されることもない。

「なら、俺もいつもお前を思い出してるっつったらどうする?」
「はあ?」
「たとえば煙草を見たときとか、町で似たような服装の奴見かけたときとか。その度に多串くんのこと思い出すっつったら、」

 銀髪の下で、いつものとろんと眠たげな瞼の下で、真っ黒い虹彩が獲物を狩るように煌めいた気がした。
 土方は咄嗟に何か云い返そうと口を開いて、云うべき言葉を思いつけずに息だけを吐く。急に速度を上げた鼓動が煩かった。顔が熱い。
 何で。どうして。こんなに動揺してるんだろう。………わからない。
 どうしようもなく頭ごと目線を逸らして、顔を手で覆う。莫迦みたいに熱い体温が邪魔だ。

「バ…ッカじゃねぇの」

 それだけの言葉を、やっとの思いで吐き棄てる。その声音の力なさに歯軋りしたくなった。
 貶した筈なのに、銀時は堪えた様子も気分を害した様子もなく平然とにやけた顔で受け流す。

「照れちゃって、かーわいー。いや、けど相思相愛だったとは思わなかったなぁ」
「あ? 何の話だ」
「って、え、もしかしてまだ自覚ねーの?」
「だから、何のことだって訊いてんだよ」

 核心をぼかす云い回しに苛々しながら先を促そうとすると、銀時はあからさまに嘆息をついた。この男は、いちいち人の神経を逆撫でしなければ気が済まないのだろうか、と土方は思う。
 銀時は非難がましい視線すら土方に向けながら、新たに掴んだ芋ようかんを齧る。

「多串くんさぁ、鈍感過ぎるのも考えもんよ?」
「んだよ、云いたいことがあんならハッキリ云いやがれ」
「その言葉はそっくり返すわ。だから早く気付けって」
「何に」
「………教えたあげない」

 ぷいっと横を向いた銀時に僅かな殺気を抱いた。





04.07.24




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