土方×神楽/No.1
けがは いのちを うばうの 強い弱さ 土方は舌打ちしたい気分で歯を食い縛った。 振り下ろされる刃を受け止め、相手の威力を殺さないまま刀身に滑らせて軌道を逸らす。 ズクリ、と右腕が痛んで呻く声はそれこそ歯で噛み殺して耐えた。悲鳴は呼吸を乱させる。 既に斬り伏せた奴を中心に広がっている血の絨毯に、ポタリ・ポタリと滴り落ちる己の血液が混ざった。路地裏で待ち伏せされ、躱しきれなかった不意打ちの刺撃でできた疵だ。 その右上腕の疵の痛みが、徐々に感じられにくくなっていることはむしろ恐ろしかった。派手に裂かれたから出血が酷い。 力が入らないし指先まで伝ってくる血でヌルヌルと滑るから刀の柄がまともに掴めやしない。 仕方無く土方は利き腕ではない左で応戦していた。 剥き出しの殺気を頼りに眼で見るより早く、斬りかかってきた男を刀で薙ぎ払う。舞った血飛沫が顔に当たり、土方は不快感を露わにして眉間に皺を寄せた。 辺りいっぱいに血の臭いが充満している。一撃を避けるときに鋭く吐いた呼気まで血腥い気がした。空っぽの肺に吸い込んだ空気は錆びていて、吐き気がする。けれどそれはいちばん自分に馴染みがあるもので、また最も相応しい場だった。 血と、肉と、死の。 原始的で、言葉が存在しない、ケダモノの住み処だ。 相手は待ち伏せなどという周到な計画を要す、確実に命を奪いうる手段で仕掛けてきたにも関わらず土方を仕留め損なった。大したことのない、小物だ。 だが、やはり左手で刀を振るうことには慣れないからか、一刀のもとに殺すことができず土方はもどかしかった。 文字を書くのと同じようなものだ。利き手の逆では原理は分かっているのに巧くゆかない。 思うように躰が反応しなくて、余計な動作や無駄な動きが増えるから息が切れる。急所を的確に突けず、一人の敵が息絶えるまでに何度も刺し貫かねばならなかった。 「っ……はぁ、ハァ………ッハ、ぁ」 獣が肉を貪り食うように、息を荒げ、ひたすら刃を突き入れた。一人、また一人と斬り伏せてゆく毎に脂で切れ味が鈍り、また多く刀を振り下ろさなければならなくなった。 何も考えていない。己以外の生命を尽く潰すことだけが疼いた躰を鎮める方法だとでもいうように、向かってくるものを叩き斬る。 気付いた時には立っているのは自分だけになり、血の海を踏み締めると靴に赤いものが掛かった。 汚れた靴を見下ろして肩で息をする土方の意識には、後で洗わないといけない、という普段の思考が現れない。 唯、刀は手入れをしないと、とぼんやり認識した。 殺し合いのそれと同じ動作で刀を振り、纏った血を飛び散らしてから鞘に収める。 そうして漸く、血を塗り重ねたような赤黒さに染まった精神が正常さを取り戻しはじめた。 「あー、クソ。気持ち悪ィ…」 不機嫌な声音で呟き、返り血で所々汚れたスカーフを襟元から抜き取る。その布の端を片方は歯で噛んで固定し、もう一方は左手に持って、未だ血の止まらぬ右腕の疵より上の位置でぐるぐると巻き付けた。思い切り引き絞って、緩まないように慣れない不器用な手付きで固い結び目を作る。 元より焼けるような疵の痛み以外の感覚など失せていたので、右手を動かそうという気にはもうなれない。代わりに、利き手で扱っていないのだとは思えないほどの素早さで再び抜き放った刀を背後の気配に突き付けた。 ヒュ、と空を切る音。身動ぎもしない影。小さな、影。 腕から手、その先に繋がる刀の切っ先まで眼で辿っていき、相手を認めて土方は片眉を吊り上げた。 「何だてめぇか」 「お前、物騒ネ。ホントに警察アルか?」 喉元に刃物を向けられても何ら動じた様子のない少女はそう云って可愛らしく小首を傾げた。華やかなピンクの髪がサラリと流れる。 彼女のペットらしい、巨大な犬が後方に控えていた。純白の毛が汚れるのを犬自身か少女かが嫌ってだろう、舗装されているから地面に染み込まれない血痕の外だ。 少女は―――神楽は、赤い靴を履いているからというわけでもなかろうに、躊躇いもなく穢れたアスファルトに足を踏み入れている。 「刀向けられたくなかったらこんな状況んトコに暢気に近付いてくんじゃねぇよ」 ふん、と鼻を鳴らして土方は、腰の左側に鞘を留めてある為に逆手で引き抜き、握っていた刀を引いた。そして音を立てず静かに鞘に収める。 その間に右腕を一切動かさなかったことと、縛られた布に気付いた神楽がまた一歩近付いて距離を狭めてきた。 「怪我してるアルか。だったらウチがすぐそこだからついて来るヨロシ。手当してやるヨ」 「掠り疵だ。放っとけ」 しっしっと犬を追い払うように手を振った土方はポケットから煙草を取り出す。トントン、とパッケージを叩いて出した一本を咥えた。深く吸い込んだ紫煙を吐き出す。 それは、神楽がもうそこにいないような振る舞いで、現に土方は視線も向けない。その無関心さに神楽は何故だか腹が立った。 小走りに土方の正面に回り込んで、仁王立ちになって挑むように傘を突きつける。 「女の誘いを断るなんて男の風上にも置けないネ」 「お前それ使い処違うだろ」 呆れたような眼は、相手が女で子どもだからか射殺すような鋭さが少し和らいでいる。―――飽く迄、少しであるが。 随分と高低差があるがそれでもきちんと視線が合ったことに満足した神楽は、勝ち誇った笑みで表情を彩る。 「言葉をいつ何処でどんな風に使おうが私の勝手ネ」 そう云って何の気負いもなく土方を見上げ、目一杯に腕を伸ばす。ゆったりとした長袖の袖口を抓んで土方の頬に付いた血を拭った。 少しだけ背伸びもしたから浮いた踵を地に付けると、ピチャリと血が跳ねる音がする。 「それに、そんな血みどろで町を歩く気アルか?」 土方は一目見ただけでは服が黒くて分かりづらいが相当の返り血を浴びている。ここまで血塗れになった状態で往来を歩くのは確かに憚られた。 普段ならこんな酷い有様にはならないのだが、左手で刀を振るった影響がこんなところにまで表れている。 「銀ちゃんの服借りてけばいいヨ」 諾とは答えていないのに、土方の心を正確に読んだ神楽はペットが待っている場所まで戻り、来た道を帰っていく。乾いたアスファルトに靴底の血をこすり付け、煙草を消した土方は少女の小さな背中を追った。 ああ、電話を借りて屯所に詰めている隊士に死体の回収と現場の後始末を命じないと、と思った。 土方は血でじっとりと重くなった服を脱ぎ、借り物の着物に血がつかないように着ていたシャツを裂いた即席の包帯を疵口に巻いた。それから家主の箪笥を引っ繰り返すように漁った神楽が見付けてきた男物の着物――あの銀髪がこんな普通の服も持っていたとは意外だった――に袖を通し、隊服を大雑把にたたむ。 着替えが済むまで隣の部屋で待っていると云った神楽のいる処に土方は顔を出した。 「おい、ビニール袋か何かあるか?」 「黒いポリ袋ならあるネ」 「…まぁ、それでいい」 血に汚れた衣服をゴミ袋に入れて持ち帰るのもどうかと思ったが、どの道どれだけ洗濯してももうあの服は着れないだろう。またゴミ袋に突っ込むことになるのが関の山だ。 ジンジンと熱を持って痛む右腕はだらりと力を抜いたまま、左手だけで神楽が持ってきたポリ袋に服を放り込み、刀と一緒に掴んで玄関に繋がっている廊下に出る。 玄関に向かいながら、世話になった、と云おうとした土方の袖を神楽が掴んだ。眉根を怪訝そうに寄せて振り向くと、少女が片手に救急箱を提げていることに気付く。 「さ、右腕を見せるヨロシ」 「…は?」 「手当てするアル」 そういえば最初のほうにそんなことも云っていたな、と土方は今更に思い出す。しかしそこまで面倒をかけるつもりは無かった。溜息を吐いて、袂をぎゅっと掴む白い華奢な手を離させる。 「ある程度やったから後は屯所に戻ってからで平気だよ」 「駄目アル! ちゃんと消毒しなきゃバイ菌入って破傷風ネ」 ならないならない。 土方があれやこれやと言葉を変えて否定するのに神楽は全く耳を貸さず、引き下がらない。ついに根負けする形で土方は居間に逆戻りするとソファに腰を下ろし、右の袖を肩まで捲くった。 そちら側に神楽は横を向いて正座して、膝の上に救急箱を乗せる。そして、訊いた。 「で、どうすればイイか?」 「………」 膝に肘を突いて額に手を当て、土方は深く嘆息する。横目でちらりと神楽を窺うと、本当に純粋に分からないから問うているという顔をしていた。 頭が痛い。分からないことをどうしてやろうとする。 「お前、自分からやるっつったよな?」 「でも手当てなんかしたことないネ。私、怪我しても基本的に治療するより早く治るヨ」 「…そうかよ」 確かにそれなら死ぬまで怪我の治療は必要あるまい。 一瞬、必要なものだけ借りて自分でやってしまおうかとも思ったが、目の前で土方の教授を待っているくりくりした大きな蒼い眼の少女はそれでは納得しない気がした。何と無く、だが。 何だか厄介な生き物に捕まったような心地で土方は半ば諦めることにして、包帯代わりにしたシャツの切れ端を解いた。 口と指先だけで指示を出して、右腕の手当て自体は神楽にやらせてやる。酷く沁みる消毒液の痛みに耐え、なかなかきちんと巻くことが出来ない包帯にもどかしさを感じながらも根気よく土方は神楽に手順を教える。言葉だけで分かりやすく説明することは存外に骨だった。 しかしその苦労の甲斐あってか、土方が片手でやったものより綺麗に正しく疵は覆われた。まだ痛みはあるが出血はほぼ止まったので、この分だと医者にかからなくて良さそうだと土方が考えている横で、神楽は消毒液と血の染み込んだガーゼを集める。それらをゴミ箱に放り込み、吐息のような小声で呟いた。 「人間は嫌アル。弱っちくてすぐ死んでしまうヨ」 「…それがお前の本音か」 神楽は沈んだ声に似合う表情をしているのだろう。 それを見ないように土方は眼を伏せて口に挟んだ煙草に火を点けた。風のない室内では煙は真っ直ぐに天井を目指す。 何と無く感づいてたから、やはり、という気持ちで吐いた言葉は少女を責めるもののようにも聞こえたが、わざわざ訂正する気にはならなかった。 まるで小動物のようにか弱いと云われているようで苛立っていたからだ。が、それをぶちまけるほど土方は短気ではなかった。 これでは、疵付いているのは誰なんだか分からない。 「そうアル。心配かけたくないから銀ちゃんにも新八にも云ったことないネ」 「だったら何で俺には云ったんだ」 「ひぃちゃんは部外者ネ。関係ないからヨ」 「……そうか」 ヒジカタだからひぃちゃんだと、いつかそう云って少女は無邪気に笑った。 それに加え、家に招き入れて疵の手当てをしている時点で無関係とは思ってないんじゃないか、と思ったが口には出さない。云った本人も苦しい云い訳だと気付いているだろう。 土方は肺の底まで紫煙を充たして、 「だったら、部外者からひとつ云わせてもらうとな…確かに俺たちはお前から見りゃ躰だって脆いが、」 神楽の顔に向けて、フーっと吐き出した。 「!?」 「案外しぶといもんだ。少なくとも、俺はそう簡単にくたばるつもりはねぇよ」 灰色の煙に軽く霞んだ向こうで、眼を見開いた少女の顔がくしゃりと歪む。 思いっきり噎せて咳をしながら神楽は手をバタバタと振って紫煙を追い散らした。 「ッ、ゲホ! 女のコに何するアル! 最低ネ!」 「そりゃ悪かったな」 蒼穹の眸に立ち込めていたつらそうな色が消え、神楽が元の調子で云うのに土方は意地悪くくちびるを吊り上げて答えた。 灰皿に煙草の灰を落とす土方の姿が滲む。 眦に涙が溜まるのは、煙草のせいに違いない。 04.10.15 |
オマケ。 「だいたい、ウチの総悟やお前の保護者の銀髪だって殺しても死にそうにねぇだろ」 「あんなマダオ、保護者じゃないアル。同居人ネ。けど、うん。銀ちゃんは思いっ切り車に撥ねられても骨折ひとつしなかったヨ」 「…それは、地球人種的には規格外だな」 |