銀時×土方/No.5
若気の至り。 酒の過ち。 そんなものは、何処にだって転がっている。 限りなく黒に近い灰色 銀時の朝は基本的に遅い。 自営業というよりほぼ無職に近い生活状況で朝早くから起きている理由など何処にも無いからだ。朝食を食べ、洗濯などの家事を済ませてからやってくる新八に起こされるまで寝ているのが日常である。因みに神楽も大抵その時間まで寝ている。 そして今日は、いつもと変わらないのだから意味が無いだろと従業員には散々云われたのだが万事屋は休業日にしてあった。神楽も志村家に泊まりに行かせて、今この家にいるのは銀時ひとりだけだ。久々にひとり暮らし気分など味わおうと昨晩は呑み屋で有り金の許す限り呑んできた。 その結果がコレである。 ぼんやりと眼が覚めた銀時はのそのそと愚鈍な動きで寝床から躰を起こした。 (頭、イタ。いや寧ろ痛くねェ? 嘘。やっぱ痛ェ) 文句なしに二日酔いだ。 如何ともしがたい不快感に吐き気を憶えながら頭を抱える。この気持ち悪さは、昨夜居酒屋で偶然出くわした土方が突き出しにマイマヨネーズを山ほどぶっ掛けていたのを見たときの気分に似ていた。あれは本気で気持ち悪かった。思い出すだけでも立派に視覚的暴力だ。 頭はガンガンと痛みを訴えているというのに厭なものを回顧してしまったと銀時はウンザリした。既にほろ酔いだった状況も手伝ってか土方と案外仲良く酒を飲み交わしたのはまぁ良かったが、あの味覚とだけは一生分かり合えないだろう。確信できる。 顔でも洗って気分を一新しようと布団に突いた手に力を込めて立ち上がりかけたところで、銀時はまた別の痛みに気付いた。 鈍くぼやけた倦怠感も頭痛も内側からやってくるものなのに、外側から、皮膚からピリリと痛むものがある。背中だ。肩胛骨の辺りに、近頃は久しく感じていなかったが憶えが無いでもない類の痛みを感じる。 銀時はさっと室内に視線を巡らせた。同時に気配も探るが、やはり誰の存在も察知できない。手のひらで敷布をさすってみるが、そこはさらさらとすべらかな感触がするだけだった。 あれ、と思う。 もしや勘違いかと銀時は寝間着の下に手を突っ込んで背中に触れた。 「……ッ」 ビリ、と走る刺激に息を詰める。痛い。眼で見てはいないが感覚で分かる。幾条か縦に刻まれた疵。 爪痕、だ。 どうやら昨日はかなり羽目を外してしまったらしい。小さな少女が同じ家に住むようになってからというもの、お愉しみも減っていたから溜まってでもいたのだろうか。 しかし相当呑んでぐでんぐでんだったと思うのだが、そんな泥酔状態でも一夜のお相手を見つけられるなんて、俺もなかなか棄てたもんじゃねーんじゃねェの、なんて頬が緩む。 それにしても家主の男が目覚めるより先に自分の痕跡を総て片付けて出て行ってしまうとは、随分と冷たくてつれない性格の女だったようだ。 そこまで考えて、はたと厭な可能性に思い至った。 土方と居酒屋で他愛無い話をしながら呑んでた以降の記憶が、無い。 ひりひりする背中を持て余しながら、まさかなぁ…と銀時は頬の歪みを乾いた笑いに変えた。 背中を派手に彩っているであろう疵は女がつけたものだと云うには些か情熱的過ぎる気もしなくもないが。が、まさか。ありえないだろう。 考えそのものを否定するように頭を左右に打ち振ると二日酔いの意識がぐらりと揺らいだ。世界が回る。気持ちが悪い。酸っぱい味が喉元まで迫り上がってきて、銀時は慌てて厠に飛び込んだ。 あ。と思った。 朝――たとえ世間的には昼だったとしても銀時の主観としては朝なのだ――からの最悪な気分を振り払うべくパフェを食べようと、銀時は馴染みの甘味処まで出掛けようとしていた。二日酔いのときは家でゴロゴロ燻っているのに限ると思っているにもかかわらず、だ。 それは家にいても、いやに存在を主張する背中の疵が気になってロクな考え事をしないだろうと踏んだからであるのだが、道端で土方を見かけたときにはそんな己の行動を心の底から呪った。こんなことなら不吉な想像が脳裏を駆け巡っても何でも、家に引き篭もっていれば良かった。 いつもなら思いっきり顔を顰めて厭そうな顔をする土方を何やかんやとからかったりするのが常であるのだが、今日は自分のほうが気まずい。悔しいことに、後ろ暗いことを腹に抱えた犯罪者がこそこそと逃げ出そうとするかのように、足がにじりにじりと後退する。 けれど逃走は叶わず、口許の煙草に火を灯した土方が顔を上げてバッチリと視線がかち合ってしまった。 「……よぉ」 「あ、ああ」 土方が軽く手を上げる。 普段は向こうが避けようとするというのにどういう風の吹き回しだ。ばっちり二日酔いである自分と同じくらい酒を煽っていた筈なのだが、そして酒に対する耐性は同じ程度だと思うのだが、何ら変わらぬ様子の土方に今時の子は元気だなぁなんて老いたことを考える。 微妙な距離をおいて銀時の正面で土方は立ち止まった。長閑で平和な昼下がりのかぶき町は人通りも疎らで、春も近い陽射しが暖かい。思わずだんご屋の店先で茶飲み話でもしながら和んでしまいそうな陽気だと、みたらし団子ののぼりに視線をずらしつつ銀時は思った。 土方を直視できない。だって、つい、煙草を咥える薄く開いたくちびるだとか、剣ダコがあっても細く整ったカタチをした手だとか、隊服の下の刀を佩いた柳腰だとかに眼がいってしまいそうなのだ。とても正気とは思えないのだが、外見とか仕草とかにそこはかとない色気を感じてしまっている。マジでか。今まで微塵もそんな眼で彼を見たことなどなかったのに。 衝撃的な自分の変化に打ちひしがれて、土方の言葉にきちんと対応できているのか分からない。彼が訝しがっていないところを見ると、そこそこ無難な反応はできているのだろうが会話の内容は完全に耳を素通りしていた。 銀時の頭の中を占めていることは唯ひとつだ。この疑念の真偽を確かめぬことにはおちおち夜も眠れなくなってしまいそうだった。そんなのは御免だ。白黒はっきりつけたい。…黒だったら死にたくなりそうだが。いや、開き直るか。どうだろう。 コクリと唾を飲み込んで銀時は上擦りそうになる声を必死で平静に保とうとした。それは功を奏したと思う。少なくとも自分の耳にはやる気なさげなだらけた声に聞こえた。 「昨日さァ、……何も無かったよな?」 「あ? 一緒に呑んだだろーがよ」 靴の底で揉み消した煙草を意外にも几帳面に携帯灰皿に放り込んだ土方が不思議そうに答え、銀時はホッとする。 そうだよ。そうだよな。それだけだよな。じゃあ、やっぱ背中の爪痕――情事の痕跡は、やたらと情熱的なオネーサンを引っ掛けたからってことでいいんだよね。 安堵すると一気に気が抜けた。何をこんなに緊張していたんだと呆れるほど力が篭もっていた肩を下げる。 こんなバカバカしいこと、冗談でも土方には云えないだろう。 一瞬でも土方とヤってしまったのではないかと考えたなどと。とんだ妄想を抱いたものだ。恥ずかしいことこの上ない、こんなことは心の裡に秘め続けておくしかない。 二日酔いも忘れて気分が軽くなった銀時は嫌がる土方を巧く丸め込んで結局みたらし団子を二皿奢らせた。土方は隊服を纏っているから職務中なのだろうけれど、こんな平和な日に事件なんて起こる筈が無い。拗ねたように舌打ちをして、それでも見棄てずお茶に付き合ってくれる土方の表情がえも云わぬほど良くて、気分は上々だ。 「お、そうだ」 そんな上機嫌のまま別れようとしたら、数歩進んだ処で急に何事か思い出したような声を上げて土方が足を止め、振り向いた。 銀時は何と無く、土方の悪童のような笑みを見詰める。そのきれいな弧を描いたくちびるが言葉を放つのを見詰める。 「オメー、見た目じゃ何とも思わなかったんだが……挿れてみたら案外デカく感じねェんだな」 「?!!!!」 それは。 ソレは一体何の話デスカー!!? 混乱して動転して硬直した銀時を置いて、土方はさっさと立ち去って行った。 05.03.15 |