土方×神楽
眼を瞑れば、世界はわたしとあなただけ。 16:ふたり しとしと降り続く雨に窓の外が滲んで見える。 そんな景色と、雨垂れが歪な模様を描く窓ガラスを眺めて何が愉しいのだろう。 窓の桟に腕を乗せ、だらしなく撓垂れている男の後頭部に向けて神楽は黙ったまま文句をつけた。 今日は非番だ、と聞いて来た。情報源は姐御のストーカーに来ていたゴリラなので、これは確実性が高い筈だ。なのにこの男はいつもの黒い隊服姿だった。此処が屯所の私室だからか、上着とスカーフは取り払っているけれどそれだけである。休日まで仕事を持ち込んでいることに変わりはない。なんてつまらない男だ。 相棒である傘の手入れをしながら、溜息を堪えて息を潜めた。すると聞こえるのは静かな雨の音だけになる。神楽は更に感覚を研ぎ澄ました。 ふたりだけのへや。 ふたりぶんのけはい。 ふたりぶんのこきゅう。 雨音のせいで却って鮮明に感じる。 日頃じっくり聴くこともないそれに神経を張り巡らせたまま、傘の先端の銃口を覗き込んで異常がないことを確かめた。 外は雨天で、中は灯りもついていないから昼なのに此処は薄暗い。こんな部屋で書類と睨み合っていたら彼はいつか視力を悪くするんじゃないだろうか。 そういえば、先刻からあの男はずっと雨ばかり見ていて仕事をする素振りもない。 訝しく思い窓際に視線をやると、頬杖を突いた男の――珍しく煙草を咥えていない――口が小さく動いた。 「眠ィ」 「…仕事しなくていいアルか?」 問えば、今日は非番だ、と素っ気無い声が返ってくる。 そんなことは知っている。だから自分はわざわざ此処まで出向いているというのに、何を今更なことを云っているのか。しかも、仮にも自分という客がいるのに眠いとは失礼じゃないか。―――いつも窓から勝手に上がり込んでくる自分を男が客扱いしたことなど、かつて一度もないけれど。 下くちびるを突き出したまま喋ると、声まで不機嫌さを帯びた気がした。 「だったら何でそんな服着てるネ」 「服? ああ、朝起きて雨だなァって思いながら飯喰いに行ったらこン格好だった…」 寝惚けてただけかヨ! 普段の鋭い語調とは違う、外を降る雨のようにゆったりとした声に怒る気も殺がれてツッコミは声にならなかった。これじゃ立場が逆だ。振り回される自分と、意に介さない男。何だか悔しい。 ―――私はこんなじゃない筈。 もっと奔放に。いつも今までも意識しなくてもそうであった筈なのに。調子が狂う。雨のせいだろうか。 らしくもなく遠慮していたのが途端に莫迦らしくなった。 「休みなら幾らでも寝ればいいネ」 「他人がいるのに寝れるかよ」 お前は獣アルか。 ああ、だけど雇い主である銀時が男は皆獣だと云っていたからそうなのかもしれない。 まるで父親のような顔をするだらけた男の言を思い返しつつ、神楽はすっと傘を構えた。標的は窓際で微睡む黒髪の青年――土方だ。神楽は小首を傾げ、高らかに宣告する。 「寝たら殺るヨ」 「総悟の野郎みてーなこと云うなや」 「それこそ不愉快アル。撤回しろヨ」 「ああ分かった。分かったからそれコッチ向けんな」 ちらりと流し眼をくれた男はそう云って億劫そうに手を振った。まるで仔犬を追い払うような仕草で。ムッとすると同時に張り合いがなくてつまらない。 これも雨のせいだろうか。 傘を男に向けた格好は変えず、一応女にはモテるらしい横顔を注視する。こんな眼付きの悪い相貌の何処がいいんだか神楽には分からない。 もっと視野を広げるがいいネ。でなきゃこの男に泣かされるだけヨ。 「寝たくないなら私に遊ばれるヨロシ」 「寝てェんだよ」 「でも私がいる間は寝たくないんダロ?」 「………」 話の方向がズレている。 雨音に眠気を誘われ、今ひとつ明瞭にならない思考でも気付いたが軌道修正は無駄だとも分かっていた。この少女に正攻法は大抵が無意味だ。無茶苦茶な理論が返ってくる。 眠気覚ましの煙草は生憎と手元になかった。ハンガーに掛けて壁に吊るした上着の中だ。休日にこうしてゆったりとした時間を過ごすのは嫌いではないけれど、土方は少女の相手もせねばならなかった。いや別に義務ではないのだが、何となくしなきゃいけないような気になっている。 紫煙を吐くように嘆息してもぞりと体勢を変えた。窓に背を凭れ掛けた土方は胡坐を掻いた己の膝をぽんぽんと叩く。 曰く、此処に座れ、である。 何とも気軽に自分を呼び寄せようとする男に自尊心を突付かれて少女はツンと顔を逸らした。そんなお安い女じゃないネ、と普段から人を動かすことに慣れきっているといういけ好かない男に反発する。 その瞬間。 躰が浮いた。 瞬きの間、重力の消失。そして加速。 ぐいっと引っ張られて気付いたときには男の腕の中にいた。途端に少し前までは嫌いだった筈なのに、今や安堵を感じる煙草のにおいに包まれる。悔しいほど呆気なく、すっぽりと抱き込まれて少女は狼狽した。 こんなのは知らない。こんなのは知らない。こんな熱っぽい扱い、されたことない。 「っ…ひぃちゃん何か拾い喰いしたアルか?!」 ヒジカタだからひぃちゃんだと、最初にそう決めた呼び名を口にして神楽はもがいた。手足をバタつかせて暴れるがそれが全力ではないことなど明らかで、土方の手が癇癪をなだめるように少女の薄紅色の髪を撫でる。いつもの頭を揉みくちゃにする撫で方じゃないその手付きに驚き、神楽は眼を真ん丸に見開いて固まった。 抵抗がやんだので、ふぅと息を吐き出した男の声が近い。鼓膜の奥で自分の生き急ぐ音が聴こえる。雨音が聴こえない。 「抱き枕」 「だっちわいふは御免ヨ」 「何処で憶えてきたンな単語…」 ちゃんと意味を分かって云っているのか、この餓鬼は。 分かっていても何だか厭だし、分かってないのにこんな言葉を口にされても困る。複雑な気分に駆られてガックリと脱力した男の頭が神楽の肩に落ち、頬を黒髪が擽った。それを気紛れに一房摘み上げ、はらりと手放す。 「女の過去を訊くなんて野暮アル」 男が細い肩に預けた顔を横に傾け、神楽の表情を覗き込むように見上げた。優位に立てて満足げな少女の声に絆され、苦く口端を吊り上げる。そうして瞼を下ろした。 雨音のささやかな旋律と、適度な温度を宿した小さくやわらかな躰が土方を眠りへといざなう。 ふたりだけのへや。 ふたりぶんのけはい。 ふたりぶんのこきゅう。 それ以外のものは雨に流されてここにはふたりだけ。 05.Jul |