銀時×土方(幕僚×土方前提)/No.6




 この男の考えていることだけは分からない、と土方は思った。






     悪意なき暴虐者





 西に沈む月が、昇りはじめた太陽に白む空に薄っすらと見えている。見るともなしにそれに眼を遣った土方は、夜通し虐げられギシギシと軋む躰を引き摺るように歩いていた。睡眠不足で翳む眼をこすり、何もかもが億劫だという風に深くゆっくりと吐息する。人影もない早朝で、ひとりだからこのように気を張らないでもいられた。普段ならば、場所が私室で非番であっても土方は自分にこんなだらしのないことを許さない。大将を支えるものとして、副長である自分が隙を見せてはならないのだ。
 ―――当然、昨夜の毎度莫迦げた接待の席においても。
 破落戸紛いの芋侍が寄せ集まっただけの集団と謗られる自分たちの組織の存続を、揺るがせないだけの功績など天人に掌握された幕府においては大した意味をもたない。警察庁長官の松平だけでは心許なかったと云えば、とっつァんには悪い気もするが後ろ盾は多いに越したことがないのも事実で真選組が組織されて間もない頃、独断で幕府の中枢に位置する人間に接近を図ったのだった。そこでまさか何の見返りもなしにコトが進むとは考えていなかったが、あのような要求をされるとも思っていなかった己の認識を甘いとは、決して云えないであろうと土方は思っている。
 あんな性根の腐った好色野郎どもが国の決定を一端でも握っているなど世も末だ。
 尤も、そんな人間を相手に逸物をしゃぶり足を開き玩具を咥え込んで善がる姿を見せ、熱が欲しいとねだる自分も大概スキモノだが、と土方は口の端を自嘲に歪めた。
 貫き擦られた躰の奥と、縛られた痕の残る手首や足が熱をもってひりひりづきづきと痛む。歩くのもつらくて、できれば何処かで休みたいと思う程の疲労が全身を隈なく覆っていたが、こんな時間に開いている店もなければ皆が目覚める前に屯所まで帰り着かなければならないこともあって土方は足を機械的に動かし続けていた。
 ―――いつも、このときがいちばん惨めだと思う。
 口外できぬ戯れにわざわざ車で送り迎えをするような莫迦はいない。空が白み、悪趣味な宴が終われば自分は打ち棄てられるだけだ。
 月に二度、決まった日に自ら赴いてくる暇潰しの道具。自分はそれ以上でもそれ以下でもなく、唯思う存分甚振っても壊れない丈夫なオモチャでしかない。ひととして扱われたことはなかったし、土方もそうされたいと思ったことなどなかった。
 総て、こうなることを選んだのは土方自身だ。脅されたわけでも、何でもなく。選んだのだから、後悔も迷いもない。その筈だった。

 なのに。


 ―――それを、何故テメーは揺るがす。


「よーォ、副長サン。朝帰り?」

 ひらひら、と緩く上げた手を振る銀髪の男に土方は思い切り顰めた顔を逸らして舌打ちを洩らした。
 それはここ数ヶ月、幕僚の元から屯所へと帰る途中で毎回必ず行われる遣り取りである。道の脇で閉じたシャッターにだらりと凭れ、生気の乏しい眼で土方を待ち受けている考えの読めない男。
 奴――銀時に土方のしてきたことを、していることを総て知っているという眼で見られるのを痛いと感じたのははじめの数度だけであった。最初はその密事をネタに金でもゆするつもりかと思ったが、今までそのようなことを仄めかされたことさえないのだから恐らく銀時の目的は他にあるのだろう。そうとは云っても、訊ねてやる気など更々ないのだが。
 土方が黙したまま睨め付けていると、朝陽を鈍く反射させる銀糸の天パをがしがしと掻き毟った男がのっそりと気怠げに口を開く。

「……つらくねェの?」

 またそれか、と土方は再度舌打ちをした。毎度毎度、こうして夜明けの町で会う度莫迦みたいに繰り返される問いに神経を逆撫でされる。
 つらくない、わけがない。
 休ませてくれる筈もなく喘ぎ揺すられ熱を吐き出させられて、体力は消耗するし躰はガタガタになるしいつも散々である。
 ―――けれど、だからどうだと云うのだ。
 真選組に関する諸事を有利に計らってもらう為の繋がりを絶てない以上、躰を差し出すことをやめることはできない。

「テメーには関係ねェだろ」

 だから、これも毎度お決まりの返答だった。
 そう云うと、いつも笑うか泣くかどちらともつかない奇妙な表情を男がするのも、お決まりのこと。何を考えているのか読めない。知ろうとも思わない。
 この男の領域に踏み込むなと、本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。
 なにものにも捕らわれず自由に生きる銀時に近付けば、何もかも攫われてしまうのではないかという危機感は、関わる機会が増えるのと比例的に増していった。近藤も沖田も一目置いている男の引力に土方は引き摺られまいと抗う。なのに、そうして此方は突き放そうとしているのに距離を詰めてくる銀時の酔狂さに土方の苛立ちは募る一方であった。
 止めてしまった足を再び動かして銀時の横を通り過ぎると、当然のように後から足音がついてくる。隣に並ばれたのを眼で見ず気配だけで感じて、土方は奥歯を噛み締めた。
 重い躰に鞭打って歩調を速め、隊服の内ポケットから取り出した煙草をすいと口許に運ぶ。火を点して一息吐き出した土方は、一際強い視線を感じて渋々銀時に流し目をやった。

「なァ、ソイツは隠しといたほうがいいぜ?」
「あん?」
「あ、俺こっちだから行くわ」

 じゃーね、多串くん。
 ソイツってどれだよと問うより先に曲がり角であっさり足先を変えて、銀時はひらりと手を振って離れていく。それを引き留めることはできなくて、土方はすぐ視線を引き剥がし屯所へ帰る道に曲がった。すると正面から射す朝の光が眼に沁みて、ぎゅっと瞼を閉ざし俯く。
 何をするでもなく、言葉を交わすだけで去っていく男の奇行にいつも振り回される苦い気持ちを紫煙に込めて吐き出した。
 それでも陰鬱な気分は全く晴れなかったが。








 僅かでも気を抜いていた自分を土方は心底憎んだ。

「トシ! どうしたんだその疵!!」
「は? ―――ッ!?」

 ばたばたと廊下を走ってきた寝巻き姿の近藤にぐいっと手を掬い取られ、土方は一瞬虚を突かれた。しかし、疵と聞いてその手の甲にくっきりと真新しい火傷痕が浮かんでいることを思い出し、ビクリと動揺する。
 更には手を持ち上げたことで下がった袖口から縄の形に赤く残る擦過傷まで見えそうになって、土方は慌てて近藤の手を振り払った。
 屯所に帰ってくると真先に風呂へ向かい、躰を流していたときに手の甲の疵には気付いていて、銀時が云っていたのはコレのことだったのだと分かったが、浴場を出て包帯を探そうとしていた矢先の出来事だったのでまだ疵は晒されたままだったのである。
 常にない土方の様子に、近藤が心配そうに眉根を寄せた。

「トシ?」
「…………」

 予期せぬ出来事に思いの外弱い思考では、何の打開策も思いつけず土方はきゅっとくちびるを引き結んで眼を伏せる。
 その気まずい空気に割り込んできたのは総悟の暢気な声だった。

「土方さん、昨夜はまた随分と激しかったようですねィ」
「激しかったって…」
「おや、近藤さんは知らなかったんで? 実は土方さんにはえすえむのシュミがおありでねィ…」
「巫山戯たこと云ってんじゃねーよ阿呆!」

 大真面目な顔をして間違った情報を植え付けようとする沖田に、ガツッと拳骨を打ち下ろす。すると沖田はわざとらしく頭をさすり、上目遣いに痛がって見せた。

「痛ッ! 暴力反対ですぜ土方さん」
「煩ェよ。おら、こんなもん気にしてねーで支度しろ支度。総悟も近藤さんも!」
「へぇい」
「って、メガホン持って云うんじゃねーよ総悟! 何云い触らす気だテメェ!!」

 さァ、何をでしょうねィ。と嘯いて廊下を足取り軽く駆けていく総悟に思い切り怒鳴りつけ、はぁと土方は溜息を吐く。その黒く艶やかな頭を近藤の大きな手がぐしゃぐしゃと乱雑に撫でた。遠慮の無い動きに思わず肩を竦めた土方は怪訝そうに眼を瞬かせる。

「ンだよ、近藤さん」
「いや……あんまムリすんじゃねェぞ?」
「大丈夫だって。つらかったらちゃんと云うからよ」

 近藤の、不器用な気遣いに胸があたたかくなる。
 土方は近藤の肩に額を押し付けて、いちばん大事なひとにもこんな簡単に嘘を吐けてしまう己を自嘲した。
 彼が、土方の嘘に気付かないわけがないと知りながらも、見逃して好きにさせてくれるだろうというやさしさに付け込む狡さまでも許してくれる心の広さに、自分はいつだって甘えているのだ。








 町は深い霧に沈んでいた。
 数歩先も判然としない濃い白に烟る道は、永遠に屯所まで辿り着けないのではないかという錯覚さえ起こさせる。土方は殆ど無意識に右手の甲をさすった。
 そこには火傷の痕が今もまだ淡く残っていて。労わるように触れた近藤のあたたかな手と、舐るように撫でた粘着質なつめたい手の感触が同時に甦る。その浅ましさに土方は奥歯を噛んだ。冷え込んだ朝の空気は停滞して、土方の足を鈍らせる。
 軋む躰は相変わらずで、けれどその殆どは疵の痛みではなく倦怠感だった。
 大抵は付いてしまう疵が、今日はほぼ無いと云っていい。手首に指の痣は残っているが、それも一日と経たず消えるだろうという程度のものでしかなかった。
 しかし、いつもある何らかの拘束具以上に、言葉のもつ束縛力は強い。
 抗わなければ痛い目には遭わせないと云いながら、奴らは幾許かは抵抗されることを望んでいるのだ。従順なだけではつまらなくて、抵抗するものを押さえ付ける快感がたまらないらしい。それならば兎狩りにでも行けば良いものを、と思いはするが口にできる筈もない。
 痕に残るものがないのは有り難いが、精神的な疲弊はいつもより酷くてうんざりした。加えて視界を覆う霧が、歩く気力を奪っていくような心地がする。歩いても変化しない景色に辟易としていて、油断していたことは否めない。

 唐突に。
 真横から伸びてきた腕に躰を掴まれ、抵抗する間もなく引き寄せられた。


「お前、ダメだよ。気付かないなんて」


 状況判断できない状態で耳元に響いた低い声に、土方は背筋を震わせ、腕の中から抜け出そうとがむしゃらに暴れて突き放す。
 ガリ、と剥き出しの相手の腕を引っ掻いた感触があったがそんなの知ったことではなかった。
 坂田銀時。
 いつも現れるこの男の存在を失念していた自分に土方は舌打ちする。

「て、めェ…!」

 噛み締めた歯の隙間から唸るように声を絞り出して銀時を睨みつける双眸の奥に、隠しきれない揺らぎを見つけて銀時はすっと眼を細めた。弧を描く口許を手で隠して、ゆっくりと問う。

「……多串くん、何があったの?」
「っ!」

 必ず真向から睨んでまんじりと動かない瞳孔が開き気味の眼を、土方ははじめて逸らした。逃げ道を探すような視線は、しかし白い霧の壁に阻まれて何も掴めない。
 薄いくちびるから紡がれる言葉は常套句で予想が付いていたから、銀時はそれを途中で遮った。

「テメーには関係…」
「うん、その言葉は聞き飽きた。何があったの?って俺は訊いてんだけど」
「…………」
「とうとう、バレた?」

 しん、と鳥の声さえ聞こえない静寂に包まれる。
 返事が無いところを見ると、図星か当たらずとも遠からずといった感じなのだろう。
 土方の表情から読み取れるのは、今まで見たことのない、微かな迷いの色。ずっと眼を背けていたものと相対する悲愴さや、足元の道が唯の細い綱だと気付いてしまった危うさであった。

「手前が、莫迦なことしてるって分かってんだろ? ゴリラがこんなこと望んじゃいねェって誰より分かってんのはオメーなんじゃねーのか」

 固く握り締めた拳に立てた爪を痛いと感じる余裕もなく、土方は再度銀時を睨み据えた。
 いつも。いつもいつもいつもいつも。

「だから、やめたら?」

 掻き乱して。惑わせて。何がしたい。何でこんなことを。


「お前に何が分かる!」


 朝霧に沈む視界がぐにゃりと歪んだ。
 眦から熱いものが零れ落ちる。
 しかし土方はそれを拭うことにさえ頭が回らなかった。
 タイミングが悪すぎる。この男は何処まで見透かしている。こんな、弱っているときに。誰よりもいちばんよく分かっている事実を突き付けてくるクセに、縋らせるようなやさしさを見せて。
 哀しいわけでも、悔しいわけでも、ましてや後悔しているわけでもないのに涙が堰を切ったように溢れて止まらない。

「つらいんだったら、銀サンが胸を貸すぜ?」
「いら、ね……っ」
「後から取り立てたりもしねェからよ」

 つらくても立ち止まるわけにはいかなかった。
 自分の選んだ道だ。進むしかないし、誰かに縋るなんて以ての外で。ずっとそうしてきたのだ。正しいか間違っているかなどは元より、もっと違う道があったかもしれないなんて、振り返ることもしてはならないのだから。
 だから、再び囲われた腕の中で土方はもがいた。
 逃げなければ。本能の訴える危機感に急かされて、何も考えられない。分からない。この男の思考も。自分の感情も。

「何がしてェんだよテメーは…!」
「泣かせたい」

 瞠った眼から、ぼろりと涙が零れた。
 両の頬を包み込むように添えられた皮膚の硬い手がそれを拭って、土方は言葉と拒絶を忘れる。

「泣かせて、ぼろぼろにして、メチャクチャに甘やかして、疵付けて、大切にして、引き離して、匿って、閉じ込めて、もうこんなことさせたくない」

 そしてそれら総てを同列に並べると、ぐちゃぐちゃに混乱してどうしたらいいのか分からなくなってしまう。歪んでしまう。けれど迷子になった子どものように泣き叫んでも、助けは何処からも来なくて。答えも何処にも見当たらないから、持て余してしまう。
 もう、飽和寸前までこの感情と見知らぬ奴に対する殺意は膨れ上がっているのに。

「なァ、どうしたらいい?」

 ―――そんなの知るか。
 震える声で言葉にして、逃げ出したかった。



 とらわれてしまう。





06.03.18




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