銀時×土方/No.8
「あらあら、濡れ鼠じゃねーの。そんなんじゃ風邪ひくぜ?」 「……傘がねぇんだよ」 「そっか。じゃあウチ寄ってく、オニーサン?」 急な土砂降りで一気に濡れて、今更でも雨宿りすべきかこのまま屯所まで戻るべきか少し途方に暮れていたときにその声は聞こえてきた。 眼に雨が入らないよう鋭く眇めて声のほうを振り仰ぐと、黒い洋服の上に着流しを半分だけ引っ掛けた珍妙な恰好の男が二階の通路から死んだ魚の眼で土方を見下ろしている。降り頻る雨の紗でその男のくすんだ銀髪はいつも以上に烟って見えた。そして雨の湿度のせいか天パが更に膨張して好き放題飛び跳ねている。 誘うだけ誘ってこちらの返事を待たず玄関の奥に消えていったその背中から視線を離し、土方は万事屋へと続く階段を上っていった。 アイノアカシ 引き戸を閉め、三和土で立ち止まっているとタオルを手に銀時が戻ってくる。玄関の段差で少し高い位置からそれを頭に乗せられ、ぽんぽんと叩かれた。 「取り敢えずこれで軽く拭いて、床濡れっと掃除面倒だからあっち行って着替えな。服は洗濯機で」 上がり框に腰を下ろすとそれだけで水溜りができそうだったので、立ったままブーツを脱いだ土方は、銀時の言葉に頷いて足早に洗面所に向かった。歩く毎にじゅくじゅくと靴下の含んだ水分が足の裏に感じられて、不快感に眉をひそめる。 洗面所で土方は重くなった服を脱ぎ、次々と洗濯機に放り込んだ。隊服の上着だけは丸洗いできないから傍にあった洗濯籠に置いておく。人差し指を引っ掛けてずぶ濡れになった靴下を引っ繰り返すように脱ぎ棄て、それも洗濯機に入れると粒子状の洗剤をプラスチックの底が深いスプーンで掬って入れ、蓋を閉めた。 天人の技術が持ち込まれてから、洗濯もスイッチひとつで随分と楽になったものだ。ボタンから指を離し、動き出した洗濯機を見るともなしに見ながら思い、無意識に洗濯の手順を憶えて実行していた自分に気付いて土方は驚いた。 今時洗濯のひとつもできないなんて大人としてどうかと思うとか何とか適当なことを云って、銀時がこの家の洗濯機の操作方法を土方に教え込んできたのだ。殆ど聞き流していたというのにしっかりと身に付いてしまっているなんてと、土方は少し自己嫌悪に陥った。そこへ、気分の下降を加速させる緩い声が掛けられる。 「おー、できるようになってんじゃん」 「誰のせいだと」 「銀サンの教育の賜物だな。これでいつでもウチの嫁に来れるぜ?」 「誰が無職同然の野郎に嫁ごうなんざ考えんだよ」 「いやいや世の中稼ぎだけが総てじゃねェから。大事なのは土方を好きっつー気持ちだから」 「へー」 ぼんやりとした生気のない顔で首を振った銀時に土方は酷く無感動な返事を返した。あまりに軽く流されてしまって少しだけ、めげそうになる。 けれど銀時は正常に動いている洗濯機にちらと視線をやって、笑んだように少しだけ眦を細めた。持ってきた青墨色の着物と色の淡い秘色の帯を洗濯機の上に乗せ、家事一般に関しては優秀な助手のお蔭できれいに畳まれているバスタオルも取り出す。 「洗濯してんの乾くまでの間これ着といたらいいよ。俺のだからサイズはイケる筈だし」 「……見たことねぇのだな」 「箪笥の奥に入れっ放しだったやつだからな。こないだ整理してたら出てきたんだよ。んで、お前に似合いそうだから丁度いーんじゃねぇかと思って。バスタオルと一緒にここ置いとくから。体冷えてんだろ? ウチじゃあ大寒波到来の日にしかつけることを許されねぇストーブつけて部屋あっためといてやっからシャワー浴びてこいよ」 矢継ぎ早に云って、あれやこれやと世話をやく銀時に、土方は酷く不可解なものを見る眼を向けた。 よく厄介事に巻き込まれているから根がお人好しなのは知っているが、こんな甲斐甲斐しくひとの世話をするような男だっただろうかと思う。こんな風にあからさまにやさしくされると、酷く落ち着かない気持ちになった。 じっと見詰める土方の心を読んだかのように、銀時は今まで見せたこともないようなやさしげな笑みを浮かべる。 「俺がこんだけ色々すんのはお前だからだぜ?」 鼓膜の震えが、心臓と背筋まで伝播して土方は息を呑んだ。 冷たい冬の雨に打たれ、冷えていた筈の体温が一気に上がる。指先や耳が、あつい。 「っ……! 慣、れねェこと云ってんじゃねーよ!」 「だって銀サンギャップでオトすひとだから」 耳まで紅くなった土方を視界の端で捉えて、銀時は後ろ手にひらひらと手を振って居間に戻っていく。その声音に滲んでいた笑みに、怒気を助長されたのだろうが云い返す言葉を思いつけなかった土方が乱暴に洗面所の扉を閉める音が背中で響いた。 好きも愛してるにも動じないクセに、やさしくされるのには弱いらしい。 ―――かわいかったなー、さっきのツラ。 思い出し笑いをする奴はエロイというけれど、このくすぐったい気持ちに胸を占められて笑うなというほうが無理だ。 知らなかった一面を知ると何だか初々しい気分になって、甘やかしたくなる。 奥の和室のストーブを付けて、あたたかなコタツにもぐり込んで縮こまっていたら規則正しくくぐもって聞こえてくる洗濯機の稼動音に睡魔を誘われた。冷たい卓に片頬をくっ付けて軽く下ろしていた瞼を、襖の開く密やかな気配を感じて抉じ開ける。横向きになった視界に、銀時の渡した着物を着ている土方が映った。 けれど銀時は不愉快そうに眉根を寄せる。ロクに拭かれていないらしい艶やかな黒髪の先から、ぽたぽたと水滴が肩に落ちているのが見えたのだ。 コタツからもぞりと這い出した銀時は腰を上げ、土方の前に立つと手を差し出した。 「土方、タオル」 「あん?」 「貸して。んでちょっと屈んで」 どうして、と理由を問うてくる土方の視線に気付かぬフリで早くと急かせば訝しみながらも土方はタオルを銀時の手に乗せる。 それを濡れ羽色をした頭に被せ、わしゃわしゃわしゃ、と僅かな怒りを込めてやや乱雑に掻き乱すような手付きで水気を拭った。揉みくちゃにするような手の動きに土方が焦り途惑った声を上げる。 「な、ちょっ、待てっ、オイ、やめっ、コ、ラ…………やめろっつってんだろーがァァアアア!!」 「イ゛ッ……!」 無防備だった脛を、思いきり蹴られて銀時は蹲った。 骨に直接響くような衝撃は後を引き、うっすらと目じりに涙が浮かぶ。銀時は床に転がったまま土方を見上げて、ぐしゃぐしゃに乱された彼の髪形に満足げに口の端を緩めた。 「おー、銀サン2号」 「莫迦云ってんじゃねぇ。俺ァ櫛で梳けばすぐ戻んだよ」 「そしたらまたお揃いにしてやるよ」 「ふざけんなっ、テメーがストレートになれやァ!」 眉じりを吊り上げ、土方が銀時を引っ張り上げるように銀糸の天パをぐいっと掴んで持ち上げる。 頭皮を丸ごと剥がされそうな痛みに銀時は慌てて片足を立てた。それでも尚髪を引っ張られて堪らず叫ぶ。 「痛い痛い痛い痛い! ムリムリムリ!! 銀サン直毛になったらそれもう銀サンじゃねぇから!! アイデンティティだからコレ!」 「コンプレックスの間違いだろ!」 「ひでぇ!!! おまっ、それ他人に云われるツラさを分かってんのか!? 自分で云うよりダメージデカいんだぞ! あーもー疵付いた! 慰めろコラァ!!」 「上等だ! 慰めて…………はぁ!?」 つられて思わず口走ってしまった科白の意味を後から認識して素っ頓狂な声を上げた土方に銀時が、我が意を得たりとでも云いたげにニタリと神経を逆撫でする笑みを浮かべる。 途端ふつりと湧き上がる怒りに拳を震わせ、土方は低く唸った。 「てめぇ…っ」 「めいっぱい抱き締めてちゅーしまくってにゃんにゃんな」 「何がだ!」 「何って、」 そんなことも分かんないの、という微かな落胆の見える銀時の顔は、しかしまだニヤニヤと笑みを湛えている気配を残していて土方はひくりとこめかみを引き攣らせる。 そして、答えを聞かなければ良かったと後悔することになる。今更、逃げることなどできないから。 「俺の慰め方だよ」 だから、さあ。愛をいっぱい伝えてくれよ。 07.01.27 |