ケツアゴ新八×神楽(+金土/金魂)
土方は腿の上に置いた手をぎゅっと拳の形に握った。 手のひらはじとりと汗ばんでいる。視線は正面に縫い付けられて動かせなかった。 高級そうなやわらかいソファに、足を組み悠然と身を沈めている女。派手な淡紅色の髪に紅く弧を描くくちびる、豊満な躰を黒い絹のチャイナドレスで包んだその女――神楽は艶やかに微笑む。 「そんなに緊張しなくてもいいわよ。楽にして?」 「……どうも」 やわらかすぎて落ち着かないソファに腰を降ろした土方は、完治した筈の脇腹に鈍い痛みがぶり返してくるようで眉間を寄せた。 職務で情報収集をしていた最中に、神楽に背後から襲撃されたときの記憶が脳裏に甦る。同時にじわりと浮かぶ恐怖を意志の力で押さえ込もうとするものの、躰はどうしようもなく強張った。神楽の身体能力は桁外れで、相対して勝てる見込みなど1割にも充たないことは骨身に沁みている。 危害を加えるつもりではないと何処まで信用に足るのかは疑わしい約束を最初にされたけれど、だからといって油断できる筈もなかった。 そもそも何の用なのだと睨め付けるように神楽を見据えるが、女の微笑は微塵も揺るがない。その細められた蒼い瞳にあるのは捕食者の色だ。 蛇に睨まれた蛙の気持ちなど知りたくもなかったと、土方をこの店に連れてきた金髪の男に心中でありったけの恨み言をぶつけた。 金髪碧眼の男――金時は飲み物を取りに行くフリで席を離れ、カウンターにいる新八の元へ避難した。 何の気紛れか知らないが神楽が土方に会ってみたいなどとのたまったのに逆らえず、こうして開店前の職場に連れて来たのだがやはりやめておいたほうが良かったと早くも後悔しはじめている。当然のことだが、一度神楽に打ち負かされたことのある土方は毛を逆立てて威嚇する猫のようにピリピリしていた。これは早く引き離したほうが得策だ。 そう判断し、金時はカウンターの上をトントンと指で叩いた。 「新八ィ、お前ちょっと神楽をメシにでも誘ってこい」 「は? これから店開けるのに無理ですよ。それに何で僕が動かなきゃいけないんですか」 平凡な黒髪に非凡な割れ顎の男――新八は呆れたような顔をして、さっさと席に戻れと云わんばかりにウーロン茶を3杯トレイに載せて寄越してくる。 薄情な奴だな、と恨めしげな視線で金時が見上げるが新八の態度は崩れなかった。金時のフェイクに慣れすぎて端から取り合うつもりもないらしい。 「大体、あのひとを神楽さ……神楽ちゃんから開放してあげたいんだったら金サンがどうにかするのが筋ってもんでしょう」 「それは無理。だって神楽の奴からオモチャ取り上げたりしたら俺がどうなるか分かんねーもん」 「それなら僕だって怖いですよ」 「オメーは大丈夫だって。神楽はオメーに甘ェんだからよ」 「そうですかぁ?」 新八の疑わしげな視線に、金時は真面目な顔で頷いてみせる。これは本心からだった。といっても、それは金時が朝陽を拝めずに海へ沈められるのなら新八は太陽が昇ってからになるだろうという程度の甘さではあるのだが。 「いっつも神楽が云ってんだろ。新八は私のものだって」 「ひとを物扱いしないでくださいって、僕はいっつも云ってると思うんですけど」 「そんなのァ今更変わんねーって分かってんだろ。とにかくさ、頼むって。ずっとあのまんまにしといたら俺今晩ベッドで寝かせてもらえなくなりそうなんだよ」 「……はい?」 「だーかーらー、不機嫌なアイツにベッドから追い出されるんだって」 「ああ……って、一緒に寝てるんですか!?」 冷蔵庫に仕舞おうとしたウーロン茶のペットボトルをゴトンと取り落として眼を見開く新八に、金時は平然と頷いた。しかも新八がそれほど驚く理由が分からないとでも云う風に、死んだ魚の眼は常と同じ様子である。 金時は無造作に飛び跳ねた金髪をくるっと指先で絡めたりしつつ、何気なくスツールに腰を下ろした。そうしてここに居座るつもりらしい。 「うん、まぁな。だって俺ン家ベッドひとつしかねェし。かといって土方をソファに寝かすのも俺が寝るのも嫌だしよ。寝返り打って落ちねーようにってデカいの買ったのがまさかこんなトコで役に立つとは思わなかったぜ。ヤローふたりでも余裕だし」 「はあ…そうなんですか」 要らぬ解説までしてくれる金時に、新八はもうツッコむ気力もなく曖昧な返事を返した。 そんなことを云ってる暇があるのなら早く戻ってあげたほうが良いんじゃないだろうか、と酷く緊迫した空気に支配されている神楽と土方のほうを見遣って思う。神楽に席を外させるのは無理にしても、何なりと理由をつけて土方をこの場から離れさせれば話は簡単なのに。そう思いながら金時に視線を向けると、彼は困っているのか笑っているのか判別つかない微妙な顔で片眼を眇めた。 「いいか、トラウマとプライドってのァ微妙なバランスでたってんだよ。だから極力土方には手ェ出したくねーの。ったく、神楽に勝てる奴なんざそうそういねぇってことは分かってんのにそれでも悔しいんだってよ」 「凄い負けず嫌いなんですね」 「青いよなァ。ま、そこがまたかわいーんだけどよ」 頬杖を突き、ニヤリと口の端を緩ませる金時に新八は呆れた溜息を吐き出す。 このひとはもっとTPOとか他人に対する気遣いというものを憶えたほうがいいのではないだろうか。といっても、そんなものを身につけられるような人格ならば今頃こんな世界に身を浸さず、真っ当な陽の当たる場所で生きているのだろうが。 何故こんな処に自分はいるのだろうか、と時折降って湧いたように感じる疑問への答えを新八は回避し、弱った声で呟いた。 「……惚気なら余所でしてくれませんか」 「惚気られたくなかったら、ほら行ってこいって」 「嫌ですよ、そんな生贄みたいな役目。仕事もあるんですから」 「新八! 私と食事に行きたくないって云うの!?」 「ええっ!? あ、いや、そういうわけじゃなくてね神楽ちゃん…」 思い掛けない方向から飛んできた叱責に近い声音に、聞いてたのかと新八は焦った。神楽は彩度の高い蒼の眸で新八を鋭く見据えている。思わず息を呑むような光を宿したその双眸に、新八は勿論金時でさえも抗えたためしがなかった。 ―――臍曲げないうちに機嫌とっといたほうがいいぜ? 自分の有利に事が回りはじめたからか腹の立つ笑みを浮かべて金時は新八に耳打ちをし、スツールから立ち上がって離れていく。 しかし金時も神楽には勝てないのだ。 次に放たれた神楽の一言に金時は慌てた。 「嫌ならいいわよ。ヒジカタと行くから」 「ちょーっと、ストップ! それは流石にダメだって。ウチのかわいいコをこれ以上刺激しないでやってくんね?」 「いいじゃない、もっと仲良くなりたいの」 「云ってることと表情が合ってねーっての」 肉食獣じみた毒気の強い笑みを浮かべる神楽から護るように土方の眼を手で覆い隠して、金時は大きく息を吐き出した。間に割って入るつもりはなかったのだが、これ以上神楽と対峙して怯えさせるのも可哀想だと思う。後で自己嫌悪と悔しさから土方が荒れるのも心配だった。 両眼を塞ぐ金時の手を剥がそうとする土方の手も、もう一方の手で捕らえて抵抗を封じる。 「っ…放せ!」 「やーだ。だって今神楽見たら絶対瞳孔開くだろ」 「余計なお世話だ!」 「まぁ何にしてもこれ以上土方に俺以外を見てほしくねェからもう帰るわ」 「ちょっ、金サンはまだこれから仕事ですよ!」 「そんなの休みだ休み。今はこっちが最優先事項だから」 「オイ! 俺はひとりでも帰れるっ…」 「だぁめ。俺と帰んの。じゃーな、神楽。新八」 新八の制止も聞かず、金時は土方を引っ張って立たせると足早に店の入口から出て行ってしまった。 開け放たれたドアの向こう、ネオンの煌きはじめた夜の街にふたりは消えて、反動でゆっくりとドアが元に戻る。それを黙って見送り、神楽はつまらなさげに息を吐いて足を組み替えた。 「男の嫉妬は醜いわね」 「だったらやめてあげたらいいのに…」 「い・や。これくらい可愛い八つ当たりじゃない」 「八つ当たり?」 「そ。男の嫉妬は醜いけれど、女の嫉妬は恐ろしいのよ」 神楽が新八の黒い眼をひたと見据えて、含意を孕んだ微笑と声音で囁く。ということは本来その怒りを受けるべきは新八なのであろう。 だから思い当たる節を記憶から見付け出そうとするのだが、彼女の逆鱗に触れるような特別なことは何もなかったように思う。そう、特別なことはなかった。 しかし神楽の苛立ちの理由を新八は朧げに覚る。 「……全部仕事だよ」 「でなきゃ許してないわ」 ソファに立てかけてあった傘に神楽は手を伸ばし、その先端を新八に向けてきっぱりと云い放った。そこに仕込まれているもの――改造銃になっているのだ――を新八は知っている。 故に今日は間違っても酒を飲ませられないと判断し、新八は金時が結局運んでいかなかったウーロン茶を神楽に渡した。 |