お兄ちゃん+十四郎



*お兄ちゃんとは*
初期設定の土方は十四郎のお兄ちゃんなんだよというパラレルです。
お兄ちゃんは幕府のお仕事をしています。ふたりはブラコンです。兄弟愛。
設定元はNH.+b*bさまです。






 こんなに刀を重いと感じたのははじめてだった。
 稽古を重ね、自らの手指と変わらぬほどに馴染んでいる筈の愛刀が、今は相容れぬ異物であるかのように重く意思のままに振るうことができない。それが酷く歯痒く、憎らしかった。
 振り下ろされる凶刃を躱し、硬い靴の踵で斬りかかってきた浪士の脇腹を打つ。暑くもないのに汗の滲む手のひらでぐっと柄を握り直し、体勢を崩したその男の首を裂いた。そうして血を吹き出させ倒れ伏す躰には眼も向けず、十四郎は周囲に視線を走らせる。
 ひとりで町を歩いていた自分を取り囲んだ攘夷志士の数はまだ大して減っていない。なのにもう息が切れてきていることに十四郎は舌打ちした。
 両手で足りるかどうかという数の敵など、常であればひとりでも余裕だ。群れなければ歯向かうこともできぬような輩に、やられてやるほど酔狂ではない。だというのに、今は刀の切っ先が重く、心成しか足まで枷をつけられたかのように反応が鈍くなってきているように思えた。
 その理由が、十四郎には全く分からない。日々の鍛錬を欠かしたわけでも、何処かを負傷したわけでもない。尤も、このままでは無疵で切り抜けられるか危ういものだが。
 ―――なんてな。
 自らの思考を十四郎は嗤った。こんな雑魚どもに、掠り疵ひとつでも付けられるつもりはない。
 ふっと息を吐き、腕を狙ってきた一撃を刀身の根元で受け止めて流し、返す刃で逆袈裟に切り裂く。一斉に向かってくる浪士をひとりひとり捌きつつ確実に急所を仕留めた。

「―――ッ!?」

 背後の殺気に、身を翻す。
 クラリ、と視界が揺らいだ。
 咄嗟に足を踏ん張らせ、振るった刃で攻撃を弾き飛ばしたものの文字通りに眼の前が暗くなる。脳が揺れるような感覚に、戦慄した。外部からの衝撃ではない。なのに全身の平衡感覚が消え失せ、刀の切っ先が下がった。
 気配の位置が特定できない。
 今の状況においてそれは命取りでしかなかった。
 死を、覚悟する。
 しかし、上がった悲鳴はすぐ近く、己のものではなかった。
 同時に腕を何者かに掴まれ、心臓が竦む。


「大丈夫? 十四郎」


 信じられない声だった。
 そんなまさか、と思う。こんな処にいるわけがない。だって、どうして。
 けれど、間違える筈がない。声。
 力が入らず膝から地面に座り込んでしまった十四郎を支えるように腕を掴んでいる手が、今はこの上なく頼もしい。
 漸く回復してきた視野に、自分が倒した憶えのない男の屍骸と緩やかな風に翻る黒の長衣が映る。ゆるゆると視線を上げていくにつれて、十四郎は子どものように泣き出したくなった。
 幕府の人間であることを示す漆黒の洋装。いつも見上げる位置にある銀色の髪。低く落ち着きのある声。
 突然の闖入者に動きを止めた攘夷志士どもに油断なく視線を巡らせたその男が、打って変わってやさしげな眼差しで一瞬十四郎を見下ろした。
 やはり、間違いない。

「兄上……?」

 呆然と呟く十四郎に、銀髪の男は微かに笑みを浮かべて十四郎の黒い髪をくしゃりと撫でた。そして、安心させるような声音で言葉を発する。

「少し、待ってて」

 男の動きは速かった。
 粗野ではない流れるような足運びと剣捌きには無駄がなく、反撃を一切許さない容赦の無さで敵を薙ぎ倒す。
 程なく、その場に立っているのはその男だけとなった。
 刀身を濡らす血を払い、懐紙で拭ってから刀を鞘に納めた男はポケットから取り出した携帯電話を耳に押し当てる。そうして何処かに連絡を入れてから、地面に膝を突いたままでいる十四郎の元に歩み寄ってきた。
 差し出された手を十四郎は掴み、立ち上がる。するとまたクラリと一瞬地面が揺らいだような心地がした。ぐっと眉間に力をこめて、無様に地面へ逆戻りしてしまいそうになるのを堪える。
 眩暈をやり過ごしてから正面に立つ兄を見ると、いつも微笑みを湛えていることの多い男が今は怒りを含んだ酷く真剣な顔をしていた。
 見たことのないその表情に気圧され、十四郎は途惑ってしまう。

「兄上?」
「十四郎、何で熱があるのにひとりで出歩いたりしたんだ」
「え……?」

 熱って、何のことだ。
 思い掛けない単語に十四郎がきょと、と首を傾げると兄は深く深く溜息を吐いた。

「気付いてなかったの? 今、熱あるだろ。それもすっげー高い。顔見りゃ一発で分かるよ」
「けど、屯所出るとき誰も何も云わなかったし…」
「あのねー、お前俺を誰だと思ってんの?」

 見当違いな十四郎の言葉を男は途中で遮り、さっきより一層深い嘆息を吐き出す。それから大きな両手で十四郎の頬を包み込んで固定し、額同士をこつんと合わせた。
 色素の抜けた髪の割に深い色をした眸が、十四郎を捕らえるように見詰めてくる。真直ぐに弟を心配する双眸に、照れくさい居心地の悪さを感じて十四郎は微かに身じろいだ。

「兄上…?」
「そ。お前のお兄ちゃんですよ。だから分かんねェわけがないっての」

 正解を出せた子どもを褒めるように、兄は嬉しそうににっこりと笑む。
 こういうとき、いつも惜しみなく与えられる愛情を実感して十四郎はこそばゆくなった。嬉しくて、頬が緩む。

「さて、じゃあ帰ろっか。此処の掃除も頼んどいたし」

 血塗れの死体が幾つも転がる周囲を見回し、十四郎は兄の言葉にこくりと頷いた。
 指摘されて自覚したからか、急激に躰が熱で茹だったように怠くなった気がする。どうやら本当に熱が出ているらしい、とぼんやりする頭で思った。そして思考は一瞬で本日の残りの仕事をどうすべきかに移る。誰か、書類仕事を任せられる奴がいるだろうかというのが目下いちばんの悩みどころだった。はっきり云って、いない。
 そんなことを考えていたとき、躰が浮いた。
 腰と足を抱える腕の力強さと、ふわりと遠退く地面に十四郎は眼を瞠る。
 自分が肩に抱え上げられたのだと認識したのは、ゆっくりとしたテンポで兄が歩き出してからであった。

「え、ちょっ……兄上!?」
「何だい、十四郎。大丈夫だよ落としたりしないから」
「そういう問題じゃなくて…ッ!」

 ひとりで歩けるという十四郎の抗議の声を、兄は当然のように黙殺する。
 十四郎としてはこんな恥ずかしい状態で屯所まで連れて行かれるなど冗談ではないのだが、躰は重いし兄に乱暴なことをすることはできないという意識から暴れられなかった。だからせめて、落ちてしまわぬようにと己を抱き上げる兄の服にしがみ付く。
 歩いているときの、肩車や背に負ぶわれた昔の記憶と変わらぬ振動がえも云われぬ安堵感を齎した。ゆったりと、眠気が波のように躰の内を充たしていく。
 心休まる振動に身を任せ、十四郎は瞼を下ろした。





07.Mar.




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