新八×神楽(金魂)
「あれ、金ちゃんはいないの?」
ひょい、と裏口から店の控え室に顔を覗かせた神楽が意外そうに眼を瞬かせた。そして腕に抱えた白い仔犬の定春を抱え直し、天候に関わらずいつも差している傘をたたんで後ろ手に扉を閉める神楽に新八は笑みを向ける。
「金さんなら今日は休みですよ」
「珍しいわね」
「なんでも飼い猫が熱出してるのに篭城して宥めるのが大変だから手が離せないとか何とか…」
要約すると、よく分からない、である。
何しろ余程慌てているのか云っていることが支離滅裂で、電話から伝わってきたのは金時の大混乱ぶりだけだったのだ。だからその調子ではとりあえず今日は使い物にならないだろうと判断して休みを許可したのだが。
―――だって、猫が篭城とは一体どんな状況だというのか。まず有り得ない。
まぁ詳しいことは明日にでも訊けばいいと思いながら新八は神楽にソファを勧め、彼女の為だけに用意されているティパックの梅昆布茶を準備する。それを金時が間食用にと置いてあった饅頭と一緒に神楽の前に並べた。
「金さんに何か用事?」
「ううん、唯寄ってみただけ。あ、だけどじゃあ今日は私が新八独り占めできるのね」
「別にいつもふたり占めされてるわけじゃないけどね…」
自分のコーヒーをデスクから神楽の向かいに移動させ、腰を下ろして新八はきっちりと訂正を入れた。
神楽と、ついでに金時はひとを酷く自然にモノ扱いするきらいがある。
それに一々ツッコむのは骨の折れることであったが、だからといって聞き逃すこともできないのだから常識人をやめたいと思うときもあった。この世界で生きるのに常識人であることは何の得にもならない。
「そうだ、金ちゃんがいないんだったら今日はお店も休みにしたらいいじゃない」
「ダメだよ。臨時休業は信用に関わる」
「あら、店のNo.1が突然欠勤しちゃうのは信用に関わらないの?」
「その信用は本人にしっっかり取り戻してもらうから」
「手強いわね」
「ありがとう」
新八はケツアゴという多少厳つい顔つきでもやさしく見える笑い方で応えた。職業柄、どんなときでも笑うのは得意だ。
しかしそれに相対する神楽も負けず劣らず、本心を隠した淡い笑みで紅いくちびるを彩っている。
それでも、そう易々と云い成りになるわけにはいかなかった。幾ら彼女がこの店のパトロンであろうとも、店に関する一切は新八が取り仕切っているといっても過言ではない。それは私腹を肥やす為などではなく、神楽の活動を手助けするものなのだから尚のこと口出しはさせないと新八は思っていた。
思っていたのだけれど、
「なら云い方を変えるわ。私と店とどっちが大事?」
にっこりと勝者の笑みを満面に浮かべ、神楽が問う。その科白はジョーカー以外のなにものでもなかった。
ここで冗談でも店と答えようものなら、新八は二度と朝陽を拝めなくなってしまうであろう。
だから新八は重く溜息を吐いて、店の前に本日臨時休業の張り紙を貼るべく重い腰を上げたのだった。
平社員山崎×係長土方
「山崎ィ!」
「はいぃっ!! 今行きます!」
少し離れた係長の席から飛んできた声に応えた山崎は、話をしていた女子社員に謝ってから慌てて土方の元に向かった。
彼女は最近急に親しくなった年下の社員で、色々と教えるのはいいのだけれど範囲外のことまで訊かれて困ってしまうことも偶にあった。それでも頼りにされるのは嬉しくて悪い気はしないのが男心(だと思う)なのだけれど。
しかし上司に呼ばれればそうも云ってられないから、他のもっと詳しい人に訊いてねと伝えて土方の処に行けば遅いと開口いちばんに文句を云われた。それを横暴だと思ったが、山崎は口には出さない。それが最善の対策だ。
土方は山崎の直属の上司である。そして山崎が入社した頃から何かと関わりあうことが多かったせいか気がつけば雑用から何から云いつけられるようになっていた。片腕、というよりパシリのようなその役割に同僚は同情するような視線を向けてくるが、山崎自身はそれを不幸だと思ったことはない。仕事は遣り甲斐があるし、自分は土方のことを好きだから。だから雑用の半分は自ら進んでやっているといっても過言ではないのだ。
けれど、今日中にと渡された仕事の半端ではない多さには流石に文句を云わずにはいられなかった。
「ちょっ、ムリですよ! 終わりませんって!!」
「けどやるしかねぇんだよ! 俺だって終わりそうにねーんだ、ごちゃごちゃ云ってる暇があったら手と頭動かせ!」
朝から早くも苛々している土方に突き放すように追い遣られ、今時滅多にない量の重い書類や資料を抱えて山崎はすごすごと席に戻る。
しかし肩を落としていても仕事が減るわけでもないし、やらなければならないことに変わりはない。なので山崎はよし、と気合を入れると我武者羅に仕事と向き合った。
そうしてずっと集中していたから、不意に肩を叩かれたときには飛び上がりそうなほど驚いてしまった。バクバクと早鐘を打つ胸を押さえて振り向くと、人がまばらになったフロアを背景に肩を叩いた手の主が立っている。
「昼メシ行くぞ」
「土方さん?」
「ムリ押し付けたからな、奢ってやる」
「え、本当ですか!? 有り難うございます!」
休憩にありつけると山崎が諸手を挙げて喜ぶと、土方は照れくさそうにふいっと顔を背けて先に行ってしまう。だから山崎は机の上を軽く片付けてから早足でその後を追いかけた。
土方は真っ直ぐに感謝の意を示されるのが気恥ずかしくて苦手らしい。そんなところが不器用で、好きだなぁと山崎は思った。
社外に出る時間はないからピークの過ぎた食堂で売れ残っていた定食を頼む。そしてテーブルに向かい合わせで座り、いつも味が薄いコロッケにかけるソースを手に取りながら土方が何気なく口を開いた。
「最近やけに仲がいいらしいじゃねェか」
「誰と誰がですか?」
「オメーと、あの髪の長ェ新入社員」
「ああ。って、そんな特別仲が良いわけじゃないですよ? まだ色々慣れないことが多いからじゃないですかね。俺みたいなのは話し掛けやすいんですよ、きっと」
「気があるんじゃねーかって噂だぜ」
「ええっ!? いやそんなつもり全然ないですよ!」
バタバタと手を左右に振りながら、俺には土方さんがいるのに!と云わなかったのはギリギリ働いた理性の賜物だ。食堂でそんなことを口走ろうものならどんな制裁を加えられるか、考えるだに怖ろしい。
「お前にじゃなく……いや、それならいい」
茶碗をトレイに戻した土方の、ふっと視線を逸らして口ごもる仕草がいつもの彼らしくなくて山崎は首を傾げた。そもそも彼が噂なんてものを気にしたり口にしたりすることも珍しいというのに。
―――だってそういうのは嫌いそうだし。
なのに何でだろうと考えて、ぴんと閃く。
「あ!」
「…………」
「もしかして、嫉妬、とか?」
場所が場所だったことと、そんなまさかという思いもあって声を潜めて自信なさげに云うと、土方は苦虫を噛み殺したような顔で山崎を見返した。食い縛った歯に阻まれたのか、土方の口から洩れる声は酷く小さく地を這うように低い。
「文句あんのか」
「っ、全然! 寧ろ嬉しいです!!」
けれど山崎はその返事を正確に聞き取って、思わず声を張り上げてしまうと眦だけを紅く染めた土方に頭をはたかれた。
その衝撃ではたと我に返り、山崎は周囲から一気に集まった視線に苦笑いを向けてお騒がせしたことを軽く謝罪する。
「ったく、恥ずかしい奴」
「だ、だってビックリしたんですもん」
周囲の興味を削いでから再び小声で言葉を交わしつつ、山崎は口角と眼尻がどうしようもなく緩むのを堪え切れなかった。
こんなことってあるだろうか。こんな、恵まれたことが。ずっと高嶺の花だと思ってて、恋人同士になれたというだけでも信じられないことだったというのに。一生分の幸運を今使い果たそうとしているんじゃないかとさえ思ってしまう。そして、それでもいいとさえ思ってしまいそうになる。
誰にも云えない関係だけれど、これならば不安を覚えることもない。
「じゃあ、今日のやたら多い仕事ももしかして俺が妬かせちゃったことへの腹癒せですか?」
「いや、アレは本当に今日中に仕上げねぇとヤベーもんばっかだ」
「……そうですよね、土方さんってそういうひとですよね」
「不満か?」
「いいえ!」
最高の上司で恋人ですよ。
周りには聞こえないように本音の声で告げると、土方は満足げに口の端を吊り上げた。
リクエストしてくださった方のみ持ち帰り自由でございます/06.Spring-Summer
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