銀時×土方/Thanks 20000hit

※第一四訓の後だと思ってください。





 祈るように、この日々を、重ねた幸福の色で、続けば良いと、一瞬で構わないと、祈るような、
 咲き乱れ、朽ち果てる、言葉にもならないような、そんな、自然なもの。







     幸福論





 窓の外には蒼い空。
 ふんわりと、それでいて少し重たそうにちょっとずつ移動していく大きな雲と、ずんぐりとした独特のフォルムの天人の船が小さく見える。
 寝床から何かの絵みたいなその風景が眼に入って、銀時は瞬きをした。
 午後の昼寝に丁度いい時間帯のかぶき町はとても静かだ。喧騒は遠く、窓枠が風にカタカタと揺れる。風が強いのではなく、建物がもうトシなのだ。
 こんな真っ昼間から自分の意志ではなく、ゴロゴロもできずにじっとしているのは大層暇だった。
 だが、陀絡に負わされた怪我がある程度完治するまではあまり動けないのだ。今ムリをすると神楽と新八を助けに行った後、疵がパックリ開くわ肋骨は更に折れるわで痛くて大変だったあの時の二の舞いだ。
 息を吸う度に骨が突き刺さるように痛んだ胸も、今はだいぶとマシになってきた。肋骨の骨折は治るまで放っておくしかないと云うが、まさか本当にそうされるとは思わず、怪我をしてからの数日は寝起きするだけでも痛みが走ってつらかった。それも今は、マシだ。
 だけど激しい運動はまだ控えろと云われて銀時は安静生活の真っ只中だった。
 布団に寝転んで、窓枠の中の平和な蒼い空を見上げる。変化に乏しいそれを、完成したミルクパズル並に退屈だと思わないのは、独りでいることと、誰かといることとの違いだろうと銀時は感じた。
 シャリシャリ、という湿ったやわらかな音は、寝ている銀時の隣で林檎の皮を剥いている音だ。
 時は緩やかで、心は穏やかで、意識せず言葉が零れる。


「……倖せって、こういうもんだよな」


「そうだな」


 と、思いがけず返ってきた同意の声に銀時は飛び起きた。
 常に半分落ちた瞼を全開にした銀時を怪訝そうに眇めた切れ長の眼が見返す。果物ナイフで林檎を剥く手が止まり、奇妙な沈黙が落ちた。

「何だよ」
「え…あ、いやね、絶対に呆れられるか鼻で笑われると思ったから」

 何故かしどろもどろになってしまう。それくらい銀時の隣に腰を落ち着けている男の――土方の肯定的な言葉は衝撃だった。
 珍しくまごつく銀時から興味無さげに視線を離し、土方は林檎を剥く作業を再開する。
 果実のヘタのほうから環状に、細く長く赤い皮の紐を作っていく土方の手付きはとても細やかで器用だ。スルスルと剥かれた皮は途切れることなく下に置いてある皿に重なっていく。
 手元に集中して伏せた眼の存外に長い睫毛を、銀時は見詰めている。やさしい陽光に照らされた土方の顔はそれでも何処か冷たそうで、素っ気無い声には似つかわしいような気もした。

「そう思うんならわざわざ口に出すな」
「それでも反応してくれるだけで良いんだって」
「安っぽいな」
「慎ましいって云ってほしいなァ。ずっと我慢してんだから」
「………」

 何を、とは問わない。
 ぷつり、と最後まで剥き終わった林檎の皮が白い果肉から皿に降り積もる。
 土方は視線を横に流し、光を鈍く弾いている銀髪の下の濁った眸を見下ろした。その眼は、意味ありげに細められる。絡んだ視線は蜜を垂らしたように濃密だった。
 ―――我慢するのは当然だろうが。
 そう思い、土方は空気の甘さを黙殺して瑞々しい白さを曝す林檎を真っ二つにする。それらを澱みない動作で切り分けて芯を取り、皿に三日月を八つ転がした。

「喰え」
「じゃ、イタダキマス」
「って、尻を触るなエロ親父かてめェは」

 尻をまさぐろうとする邪な手を叩き落し、ギッと睨み付けると手の主は残念そうに舌を鳴らした。そこには懲りた様子がまるで無かったから、傍に置いてあった刀を取って鯉口を切って見せると銀時は慌てて林檎を一欠片掴む。
 黙って銀時がそれを食べてから、土方も林檎に手を伸ばした。一口噛んで咀嚼する。
 程好く熟れた果実は自然な甘味で、シャクシャクとした歯触りも快くて美味い。
 小振りのものだったから直に無くなって、土方は籠に盛られた林檎の中から新たにひとつを手に取った。
 自分は銀時の怪我を悪化させる為に来たのではない。そんな後味の悪いことをするつもりはないし、まだ明るいうちからコトに及ばれるなど真っ平御免だ。
 憤然としている土方の神経を逆撫でするように、銀時の声はやる気なくおどけていた。

「あ、うさぎちゃん林檎にしてくれよ」
「てめェは皮ごと喰ってろ」

 皮を剥かずに切り分けた林檎を土方は果物ナイフでぐっさりと刺して、銀時に突き付ける。
 やっぱり駄目か、と思って調子に乗りすぎた自分の読みの甘さを銀時はちょっとだけ責めた。次はもっと巧く引き際を見極めなければ、折角心を許しかけてくれているのが水の泡になってしまう。
 見舞いだとは云わなかったが、林檎を持ってきたのは土方だ。そして、人工の糖分ばっか摂ってんじゃねぇ、といちご牛乳を取り上げられた。
 そのカルシウムが骨折を早く治すんだって、なんて云っても聞く耳を持ってくれない。
 林檎も良いけどあの底抜けに甘い飲み物も恋しくて、その気分を紛らわせるように血色のいい皮まで一気に果実を齧った。余計、恋しくなる。絶対に素晴らしいコンビネーションになると思うのだが。

「いちご牛乳〜」
「我慢しやがれ」

 ぴしゃり、と手をはたかれるような冷淡さで云い切られ、銀時は物憂げに溜息を吐いてみたりする。むやみに力んで痛い思いをしなくて良いように、そっと上体を起こした。
 今日は何だか些細な、他愛無い遣り取りばかりしている。それは銀時を笑うほどではないけれど何処か擽ったいような、悪くない気分にさせた。

「……また、倖せだと思うことがあるなんてな」

 遠くの、けれどいつも傍にある過去をぼんやりと見遣った一点に見付ける。
 思いがけず与えられた、急に騒がしく賑やかになった日々を振り返る時間は、一体どう扱って良いのやら分からなかった。使い方の分からない玩具を持て余しているようだ。
 妙に感傷的になってしまうのは自分のガラじゃないとは思うが、こんな日もあるだろう。なるようにしかならないのだから。

「過去に何があろうが、生きてりゃ倖せにだってなるだろ」

 三日月型の林檎の赤い皮に、くの字の切れ込みを入れる土方の横顔は何も喋らず、ずっとそうしていたかのように静かだ。己の言葉の影響がどれほどのものであるかを知らないのだろう。或いは知っているからか、銀時のほうを見ない。
 その瞳孔が今はあまり開いていない、と重大な新発見をしたように思った。

「まー、な。多串くんとこうしていられるってのも思ってもみなかったし。あ、そういやお前も倖せって…」

 それって俺といるから?
 銀時が暗に含めた言葉にまるで全く気付いてないように、林檎の切れ込みを入れた位置まで皮を剥いた土方は視線を少し宙に泳がせて考える素振りをし、白々しく嘯いた。

「ああ、倖せだな。大した事件もねェし、平和で非番で、いけ好かねェ奴は怪我で動けないときてる」
「うわ、性格悪いよ多串くん」

 ガックリと肩を落とした銀時に、土方は愉しそうに喉の奥で笑った。
 土方の手にある林檎の、弧を描く背にピンと真っ直ぐにとんがった赤い耳が立つ。そのうさぎを模した形状の林檎を、土方は文句を垂れている銀時の口にぐっと突っ込んだ。

「冗談で良いからさァ、俺といるからとか云ってくれても良くね…っうぐ」
「意味に大差ないだろ」

 林檎を歯で挟んで何とか喉まで押し込まれることを避けた銀時は、きちんと長い耳のうさぎになったそれと土方の顔とを意外そうに何度も交互に見る。
 シャリ、と前歯で割って食べると、それはさっきのものより甘い気がした。きっと気のせいだが。
 指先についた果汁までしっかり舐めとってから、わざとらしいほど大袈裟に銀時は不満の声も漏らす。

「えー?」
「えー?じゃねェ。俺が、何でわざわざ来てると思ってんだよ」

 嫌いな奴が怪我をして幾らイイ気味だと思っても、いちいちそれを見にくるほど自分は暇な人間ではない。それに本当に嫌いなら徹底的に無視して、存在すらしないもののように扱う。存在していない者にどうして林檎を剥いてやっているというのだ。
 厭なところばかり聡いクセに覚ってほしい肝心なことに鈍感な男に土方は苛立った。果物ナイフを握る手に、意識せず力がこもる。
 横目に睨め付ける土方の視線を平然と受け止める銀時は顎に手を添えてうーんと唸り、それから何事かに思い至ったらしい。表情に殆ど変化はなかったが、面白がっている空気があった。今にもニマニマと笑い出しそうな。
 厭な予感がする、と土方は思う。そして、そういうものは往々にして外れないものだ。
 銀時が云う。

「それって、俺が大好きってこと?」
「はぁ?」

 口を大きく開けて溜息のように呆れた声を出した土方は心底厭そうな顔を隠そうともしない。下くちびるを突き出し、半眼で銀時を殴り飛ばしてやりたいような気持ちで見る。相手は一応怪我人なので、自制したが。

「自惚れんな阿呆。てめぇなんざ一生布団の中にいろ、そのほうが世の為だ」
「イッ…タい痛い痛い痛いって!」

 故意に怪我をしている肩を押して横にならせると銀時は情けない声で叫んだ。それほど強くは押していない。ざまぁみろ、と少し溜飲が下がる。
 下らないことばかり喋ってないで、疵付いた躰の回復に専念すればいいのだ。


「大人しく養生してろ」


 一瞬だけ、錯覚のように、土方は眼を細めて微笑む。

 何だこんなやさしい顔もできるんじゃないかと思わせる表情。見蕩れていたと気付いたのは土方が元の仏頂面に戻ってからだった。
 今度は疵の部位を避けて肩をポンポン、とあやすように叩いてから退かされた白い手を引っ掴む。怪訝そうにした土方の眼が見開かれるときには、銀時が上から覆い被さっていた。
 呆気に取られるしかない素早さで引き倒され、上下が逆転したのだと遅れて認識する。窓から入る日の光が眩しくて、見上げた銀時の髪の縁はプラチナのようにきらきらしていた。

「俺さァ、寝てばっかで暇なんだよな。だからヤろうぜ」
「なッ?! こンのっボケカス! 養生しろっつっただろ、たった今!!」
「あーアレ反則ね。愛されてんだなぁって思うとムラムラしちゃった」
「誰が誰を愛してるってんだアァ?! やめろ脱がすな腐れ銀髪!! その爛れ切った頭交換してこい!」
「多串くんと同衾なんて倖せだなァ」
「叩ッ斬られてェのかてめぇ! ッ、よせ…!」
「とびっきりやさしくしてやるからな」

 相手が怪我人ということも忘れて本気で暴れようとした土方は、その言葉に途惑うように抵抗を止めた。
 いつもの死んだ魚の眼で、だのにじんわりと染み透るように低く穏やかな声。そこには、ほんの僅かに余裕のなさが覗いている。
 疵が開く、も。
 誰か来たらどうするんだ、も。
 莫迦だろうお前間違いなく莫迦だろう、も。
 全部、土方は呑み込んだ。
 云っても無駄だ。分かっている。俺も、莫迦だ。
 差し入れた両手でやわらかな銀糸の髪をくしゃりと掻き混ぜる。引き寄せる。

「…好きにしろ」

 溜息は笑った銀時の口腔に奪われた。





04.10.20




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