山崎×土方/Thanks 70000hit
【犬の忠誠心と叛逆心に関する考察】 狗と飼い主 夜も更け、広間で騒いでいた隊士たちがちらほらと寝間へ移動しはじめる頃に鳴った電話に出るのは、殆ど俺の役目だった。月に一・二度この時間帯に掛かってくる電話の主と用件は毎度同じで、それを遂行するのはいつも俺だからだ。 「すみません。はい…はい、本当いつもすみません。すぐ行きますんで…」 電話口で相手には見えないのについ頭を下げてしまうのは、この国の国民性なんだろうか。自分に非はないことなのに何でいつも俺が謝らなければならないのか、理不尽なものを感じもするが仕方ない。 居酒屋で自分の上司が飲み潰れてるから引き取ってほしいと云われれば、平謝りするしかないじゃないか。 今やなつかしの黒電話――けれど屯所ではまだまだ現役だ――の受話器を戻して玄関に向かう。草履を突っ掛け、まだ春の肌寒さを残す昏い闇に足を踏み出した。 全くあの人は。 俺はそんなに呑んだことがないのに、すっかり馴染みのように通い慣れてしまった居酒屋の暖簾をくぐる。閉店時間間際だからか元からなのか客は疎らで、目的の人物は直ぐに見付かった。 店の女将に会釈をしてからカウンターの隅で突っ伏している黒い出で立ちの男に近付く。江戸の町でもまだ珍しい洋装――真選組の隊服――を纏ったその男の肩を俺は少し強めに揺すった。 「副長、起きてください!」 声を掛ければ、もぞりと然も気怠げに躰が身じろぐ。ゆっくりと俺に向けられる半ば据わった双眸は、それでも瞳孔が開いているのだから恐ろしかった。 一目見ただけで酔っていると判断できる顔色をした副長の手にはまだ日本酒の入ったコップが握られている。まだ呑むってか。どの程度呑んだのかは知らないが宿酔は確実であろうに、いい加減にしてほしい。 「……山崎、」 「はい、山崎ですよ。大丈夫ですか?」 「これくれェで、へばるかよ。山崎のクセに」 「はいはい。でも女将さんに電話貰って迎えに来たんですから。さ、帰りますよ」 支離滅裂な会話をしながら、気付かれないようにそっと副長の手の中から酒を取り上げる。幸いにその行動は覚られず――不幸にもそれだけ酔っているということにもなるのだが――、副長の手の届かない処にコップを置くと気の利く女主人が空いたツマミの皿と共に下げてくれた。 酔いのせいで相当眠いらしい副長はしきりに眼をこすって、体温の上昇に伴い紅くなった目許が更に朱を帯びたように見える。そうして、普段の酔った時でさえ尖った雰囲気は何処へやら、酷く気を抜いた様子で手を差し出した俺を凝視していた。 一応、一人で歩けそうですかと問うてみたが、無理、と一刀の下に斬り伏せられる。そりゃそうだ。一人でちゃんと帰れそうなほど意識がしっかりしていれば店の人が心配して屯所まで連絡を入れてくれたりなどしない。この人はどんだけ人に迷惑を掛ければ気が済むのか。しかも局長が出張などで留守の時ばかりこういうことをするのだからタチが悪い。狙ってんのか。もしかしなくても狙ってんだろうな。横暴の権化みたいなこの人のことだから、局長に知られなければ俺にはどれだけ迷惑を掛けてもイイということなのだろう。 だったら告げ口すればイイだけのことなのだけど、まぁこれも頼られてるとかっていう満足感があって――単にパシらされてるともいうけど――役得というか何というか。といっても、諸手を挙げて歓迎しているわけではない。不安要素が勿論あるからだ。 「全く、量を弁えて呑んでくださいよ」 「何で」 「何でって、今みたいに一人で帰れなくなるからに決まってんでしょうが」 最近は唯でさえ物騒なのに、そこに真選組副長なんて肩書きまで付いたら闇討ちしてくれと云っているようなものではないか。 心底不本意そうに云い返してくる酔っ払いに甲斐の無さをひしひしと感じながら諫言する。 「けど、お前が迎えにきてくれんだろ?」 だったらイイじゃねーか。 机に手を突いて立ち上がった副長が伝票をひらひらと振って笑う。そして覚束無い足取りで歩いていく副長を支えることも忘れ、俺は硬直してしまった。顔が熱い。 副長の言葉に他意はないと分かっている。それにその笑みは決して可愛くもない、すっと紅い眦を細めた含みのあるものだったけど。 けど、俺の心臓はきゅんとなってしまったのでした。 (どうしよう。俺、本気でMかも…) 誘惑の魔手 予め敷いていった布団の上に、半ば崩れ落ちるように土方を下ろした。殆ど自力で歩こうとしない酔った人間に肩を貸し、店から屯所まで連れ帰ってくるのはとんでもない重労働で息が切れる。山崎はへなへなとくずおれ、手と膝を畳に突いた。 疲れた。物凄く疲れた。 容赦なく体重掛けてくるんだもんなァ、と山崎は恨めしげな半眼を土方に向ける。けれど土方はそんな視線など気にも掛けずごろりと躰を横たえた。 「あ。副長、隊服皺になりますからちゃんと着替えてから寝てくださいね」 「………」 「って、だから着替えてからにしてくださいよ!」 無言で夢の中に旅立ちかけている土方の腕を掴んで上体を起こさせた。山崎の手を払い除けるのも億劫なほど酔っているのか、土方はさせるがままだ。その躰がドキリとするくらい熱くて山崎は思わず手を放しかけた。慌てて力を込め、きっぱりと語調を強める。 「明日困んのはアンタですよ」 「だりィ」 「でも駄目です」 普段は神経質なタチなのに、酒が入ると何もかも面倒くさくなるらしい。後ろ手に躰を支えた土方は眠たげなのか不機嫌なのか分からない風に眼を眇めていて、放っておけばすぐにでも隊服のまま寝そうな雰囲気だ。 それを見て、はぁと溜息を吐くと蹴られた。 酔っ払いの力なので常と比べれば全然痛くなかったのだが、油断していた山崎は体勢を崩して後ろに転んでしまう。予期せぬ至近距離からの攻撃に受身も取れなかったからモロに肩を打った。そちらのほうは痛くて呻くと、土方が愉しげにくちびるを歪める。本当に何処までも意地悪で性悪だ。 「何すんですか…!」 「だったら脱がせ」 「は?」 「テメェが」 そういえば酔ってるんだっけこの人。 掛かり過ぎた負荷に強制切断を起こした思考回路で、山崎は何とかそれだけを認識した。 でなきゃそんな、幾ら何でも自分の服を脱がせなどと云うわけがないだろう。酔っ払いの戯言と全力を尽くして貼り付けた笑みで流そうとしたが、それは首に伸びてきた腕に阻まれた。山崎の両肩に乗せられた腕が頭を抱き込むように距離を狭めてくる。間近に切れ長の双眸が見えて視線を逸らしそうになった。酒と煙草の噎せるようなにおいが山崎まで酩酊に誘おうとする。 笑いを孕んだ土方の声の振動が口唇から直に伝わってくるようで眩暈がした。 「何だよ、はじめてでもねーんだから構わねェだろ」 確かに、以前土方の服を脱がしたことはある。仮令それが脱がしたというより剥いだといったほうが適切だったとしてもだ。 土方と山崎は単なる上司と部下ではない。これでも恋人同士だったりする。何がどうなってそんな関係になってしまったのかはもう思い出せないのだか、まぁなるようになったとでも云うのだろうか。 そしてそういう仲であればセックスに及ぶことだってあるわけで、しかしその時の山崎の緊張は並大抵のものではなかった。結果血を見る羽目にもなった。若さ故の暴走というやつである。今ではそんな失態を犯すこともなくなったけれど、その行為に慣れたわけでは決してなかった。まだ多大な勇気と覚悟が必要なのだ。 そんな風に要らぬことをつらつらと考えていたら、焦れたのか決断を迫るように土方が腕に力を込めた。土方に眼を覗き込まれるのが山崎は苦手だ。忽ち平常心を失ってしまう。 小刻みに震える指が土方の隊服に掛かると、彼は満足げに腕を下ろした。土方はたったこれだけのことに惑乱している山崎を面白がっている。 山崎は土方の肩から上着を落とした。 腕を抜いて布団の外に滑らせるとさやかに衣擦れの音を立てる。屯所は寝静まっていた。急に、夜の闇がふたりの間にまでひやりと忍び込んでくるような心地がする。なのに手は緊張でじとりと汗ばんだ。 かっちり締められた堅苦しいスカーフも取り除いてしまう。襟元から覗く白い肌に手が伸びかけて、山崎は必死に方向を修正した。黒のベストの前を寛げる。 こうしていると否応なしに先を予感させられるようで山崎は後ろめたくなった。いや、これは後ろめたいというのだろうか。どちらかというと餌に釣られて鼠捕りに掛かったような、土方の策にまんまと嵌められているような態である。多分、からかわれている。分かっていたが、分かっていたからといってどうにかなることでもなかった。 胸の底で蠢く邪な気持ちを振り払うように山崎はできるだけ機械的に手を動かそうとする。けれど、白いシャツの釦を総て外したところでもう限界だった。 ギュッと眼を瞑ってシャツを握り締め、声を振り絞る。 「副長ッ…あの、あの……!」 「してェの?」 「…すんません」 「イイぜ、好きにしろよ」 ニヤと笑って、土方はあっさり布団に躰を投げ出した。 ―――ああ、だから服が皺になるって。 発情に渇いた喉で忠言が声になる筈もなかった。 マーキングの代償 視線が痛い。 ぐさぐさと突き刺さるような視線を、土方は先刻から延々と背中に受けていた。苛々する。それでも煙草のフィルターを噛み締めてペンを走らせていたが、ついに耐え兼ね口を開いた。 「仕事しろや」 「そう云うアンタはオフなんだから休みなせェよ」 「だから仕事しろっつってんだろうが! テメェが真面目に書類処理してりゃ俺ァ休めんだよ!」 声を荒げ、怒りを込めて判子を捺す。ガン、と衝撃で派手に文机が揺れた。そうして振り向くと声音通りにふてぶてしい無表情の青年――沖田と眼が合う。その額にはいつ見てもふざけた柄のアイマスクが乗っていて、土方の神経を更に逆撫でした。 こいつがちゃんと報告書を書けば俺は休日返上で机に向かわなくても良かったんだ。 そんな思いが虚しく土方の脳裏を過ぎる。何だって普段着の着流しで仕事をしなけりゃならんのか。無意識に強く握り締めたペンが軋んだ音を立てた。 眼力だけでひとを射殺せそうな鋭い双眸にも沖田は怯まず、外見だけはあどけない顔で小首を傾げる。 「土方さん、今日は隊服でいたほうがイイんでねェですかィ?」 「ンでだよ」 訝しんで問うと沖田は見下すように顎を斜めに上げ、逸らした首筋をトントンと叩いた。 襟首から氷を放り込まれたような、厭な予感が土方の全身を爪先まで駆け抜ける。 「飼い犬の躾くれェしっかりしなせェよ」 「っ山崎ィィィィィ!!!!」 即座に書類を放り出し、鬼の形相で部屋を飛び出していった土方を沖田は無関心な眼差しで見送った。 ひら、とその目の前に紙切れが降ってくる。沖田はそれを摘み上げたが、つまらなさげに直ぐ投げ棄てた。書類はそのまま微風に乗って机と壁の隙間に落ちてしまう。けれど沖田は最早眼もくれず、昼寝体勢に入りながら嘆かわしげに吐息した。 遠くから怒号やら悲鳴やらとかく騒がしい声がする。 (しっかし山崎の野郎もとんだMだねィ) DLF/05.06.10 |