【 治りかけの傷 】
沖田×土方




 後ろ手に部屋を閉ざした沖田の脳裏に、数日前の、土方を抱いた時の場景と感触と想いが甦る。






   螺旋と疵痕 ≪後≫





 分かってた。
 この人を閉じ込めることなんてできないと。

「あっ……ン、ぅ――そ、ぉごッ」

 先を促しているのか、制止しようとしているのか、どちらとも付かない仕草で髪を掴まれ、土方自身に舌と指を這わせていた沖田は上目で彼の表情を見た。
 苦しそうに眉根を寄せた土方の眦から光るものが、つと髪の中に伝い落ちていく。半開きのくちびるから洩れるのは荒い息と意味を成さない声。
 キモチイイのだろうかと思い、土方の先端にチュッと口吻けると全身が痙攣のように震えた。陸に打ち揚げられた魚のようだ。イヤラシイ、と貶してやりたくなったが口を引き結んで耐えた。
 愛撫を止めて、しっとり汗ばんだ大腿に手のひらを押し付け割り開くのに抵抗されないことが何だか物足りない。
(ああ、だけどコレって一応和姦になんのかァ)
 それはこの人の甘いところにつけこんで得た合意だけども。
 伸び上がって、屈辱に耐えて固く閉じた瞼にくちびるで触れる。すると余計嫌がるように身じろぐのが気に障ったので頬の肉に噛み付いてやった。
 痛みに低く呻き声をあげて、非難を込めた眼で土方は沖田を睨む。可愛くない。可愛げがないから、絡ませた指で土方自身を弄くる動きを再開する。予期していなかった急な刺激に土方の顔が泣きそうに歪んだ。

「…土方さん」
「さ、っさとヤれ…!」
「んじゃ、お望み通りに」

 硬く勃ち上がったものから溢れた透明な液を指に絡め、奥まった処へと滑らせる。その不快な感覚に、土方のしなやかな足の筋肉が強張って全身の緊張を沖田に伝える。

「あ、ッア…い、……ッん、ぐ…っ、ぅッ!」

 乱暴に指を突き入れて、やさしさなど知らない動きで掻き回せば土方は腹の底から込み上げる苦痛に押し出されたように掠れた声を迸らせた。例えようのない満足感が沖田を貫く。
 身も世もなく喘いで啼いて叫んで、だらしなく飲み込めなかった涎を口端から垂らして、そんな見苦しくて汚いこの人が一等可愛い。それでも己の高すぎるプライドに屈しきれない愚かなこの人だけが、自分の欲望を充たしてくれるのだ。
 唯一なんだ。誰にもやれない。だから捕まえたのに、それを自分は今手放そうとしている。
 分かってたんだ。
 監禁なんてそうそうできることじゃないと。この人がいなくなればいずれ騒ぎになるし、それだけが理由ではなく長続きする筈などないことが分からぬほど莫迦ではない。
 だけど理屈じゃなかった。
 唯、彼に知ってもらいたかった。思い知らせたかった。この苦しみの一端を。
 濡れた音が聴覚を犯す。その音はどれだけ淫らでも、一時的なものでしかないから沖田は興醒めした。意味ある声は、言葉は、耳の内側にこびり付くけれど、無意味な声と音は素通りするだけだ。形が残る筈がなく余韻も呆気なく消える。それは無形で無意味なものの定めだ。
 このたった二日間は、彼の中にどれだけ残るだろうか。何を残すだろうか。

「土方さん、イきやすぜ」

 一生付き纏えばいいと思う。いつまでも。消えずに。





 どうでも良さげに投げ出された土方の足を軽く折り曲げさせて持ち上げる。
 ズボンの裾を少し捲くり、白い靴下を引っ張って脱がせた。現れた日に焼けない素足を、それに劣らない白さの沖田の手が羽で触れるように軽く撫でる。ビクッと、手の中で足が跳ねたのが面白くて、しつこくやさしく手を這わせると空を切って平手が飛んできた。
 表情を変えず、空いた手で沖田はそれを受け止める。

「やめろ!」
「何でですかィ」
「くすぐってーんだよ! 疵見るだけだろうが」
「しょうがねぇですねィ」

 やれやれ、と大袈裟に肩を竦めて沖田は掴んでいた土方の足の爪先を外側に向けた。足首の内側、踝の辺りに手当も疎かな一文字の刀疵がある。そこに薄く張った瘡蓋が忌々しいとでも云うように、沖田はその端を爪で引っ掻いた。
 そっと少しだけ瘡蓋を剥がすと、早くも血が滲み出す。けれどそれは、最初の頃ほど酷いものではなかった。皮膚の下の桃色の肉は、日に日にくっ付いて見えなくなっていく。

「総悟!」
「毎日抉ってるのに、治っていきやすね。土方さん、ボンドでも食ってんですかィ?」
「ンなわけねぇだろ。正常な自然治癒力だ」

 咎める声を受け流し、疵口に眼を向け俯いたまま淡々と喋る沖田に苛立ちを隠さず土方は言葉を返す。
 一思いに剥がされた瘡蓋と皮膚の境目でピリと走った痛みに、握り締めたままだった土方の手がまた沖田を振り払おうとした。反射的に力を込めてそれを押しとどめようとした瞬間、もう一方の自由な手が沖田の頬を強かに打つ。
 そこで生じた乾いた音はいっそ滑稽で、痛みは現実から遠く鈍く感じられた。衝撃で横に振られた顔を戻して、怒りを湛えた土方のいやに清んだ眸をひたと見詰める。
 人間に生来備わった、回復能力を邪魔だと思ったのは初めてだった。異常でいい。狂っても良かったのに。
 この躰は憎らしいほど正しく新陳代謝を繰り返し、皮膚の亀裂を塞いで消していく。

「…俺の背中の爪痕も、もう殆ど残っちゃいねェんでさァ」

 アンタがくれた疵なら、いつまで残っても構わないのに。






「……っ」

 不意に襲った背中の痛みに沖田は眉根を寄せた。皮膚に食い込む、鋭くも鈍いものが背に突き立てられている。
 深く土方の最奥を刺し、揺すり上げる動作に合わせ、その凶器は沖田の肩甲骨に沿うように皮膚を抉った。血流と同じテンポで痛むから、血が出ているかもしれない。

「酷いなァ、土方さん」
「ナニ、ぁ……が…だ? ゃ…痛ゥ……、アッ」
「俺も痛いですぜ。下もキツイけど、背中が。ちゃんと爪切んなきゃ、ッ…駄目じゃねぇですか」
「知るか…っよ、自業自得だ!」

 突き上げられる動きが緩んだ隙に土方は早口に云って、今度は故意に沖田の背に爪を立てた。しかしそれは予測されていたのか沖田は眉一つ動かさず、いたい、と平坦な声で呟く。

「そんなことはありやせん。土方さんがセーブしてくれりゃあ、俺は痛い思いしなくて済むんですぜ」

 そもそも、何で背中に疵などつけられねばならないか。
 原因は判りきっている。土方の腕が背に回っているからだ。視線をちらと横に流せば、天に縋るように伸ばされている腕が見える。
 抱き付かれているのだ。土方に。
 そんなことを今更に認識する。
 抱き締められている。何故。―――何故だ。
 これでは、まるで、求められているようではないか。愛されて、いるようではないか。

「ッ…ぅあ、あ、ああ、ん――!」

 急に激しくなった律動を受け止めきれず、土方の口から悲鳴のような声が洩れる。沖田の背中に立てられる爪が力を増す。
 欲しかったのは錯覚だった。
 土方に突き入れ、昂ぶる躰から切り離されたところで、己の心を覚る。
 錯覚だけで良かった。
 爪が疵を刻む。その痛みの分だけ求められているような、そんな錯覚。
 縋り付かれて、この瞬間だけは自分のものだという甘美で浅はかな錯覚。
 一時の、そんな錯覚だけで良かった。手には入らないから。
 回された腕を受け入れたいのか振り払いたいのか分からなくて吐き気がする。
 信じられない。信じられない。だけど、痛みがそれを裏切る。
 大きな波に浚われるような、快楽に身を委ねて、総てを吐き出す。
 同時に達し、乱れた呼吸を整える土方が怪訝そうに眉をひそめた。

「なに、泣きそうな顔してんだよ」
「……啼いてたのは、土方さんのほうじゃねぇですかィ」

 頬に触れられた手のあたたかさ以上に、苦しいものなんてきっと存在しない。





 疵口にガーゼを押し当てる。手のひらの中に収まったぬくもりはあの時と同じで、同じだけあたたかくて、心に立った細波を沖田は眸の奥に沈めた。
 黙々と、真白なもので疵を、まるで汚いもののように覆い隠す。ガーゼを固定するテープを千切って、剥がれないように貼り付けて押さえた。
 完治に近付いていく疵が憎らしくて、気付かれない程度にガーゼの上から爪を立てる。
 ―――まだ、痕にはなりそうにない。
 白くて形の良い足に眼を落としたまま、顔を上げない沖田に静かな声がぶつけられる。

「……何でこんなことをするんだ」

 毎日疵を見せろと脅してきては、毎回瘡蓋を剥がして抉って、そして手当をする不可解な青年を土方は投遣りに見据える。
 上目遣いに向けられた沖田の眼は感情の読めない硝子球のようだった。無表情の整った相貌と相成って、よくできた人形とすら見える。

「一生残る疵痕にする為に決まってんじゃねぇですかィ」
「はぁ?」

 その花唇は殆ど動かさずに、沖田は答えた。
 ずっと消えない、見る度にあの二日間を思い出す痕跡、沖田の執着の証を、残す為に決まってるじゃないか。
 らしくもなく、あの時は手加減してしまったが為に浅かった疵も、何度も抉ればいずれ痕になる。
 いっそ、醜く化膿して腐ってしまえば良かったんだ。そうすればこんなことをしなくても済んだ。
 そんなことを思っていると知ったら彼は、怒るだろうか。罵るだろうか。恨むだろうか。
 思われるなら、どんな感情でもいい。
 いちばん嫌なのは許されることだ。許されて、なかったことにされることだ。
 それは唯の許容であり、それ以上でもそれ以下でもない。愛ではない。
 だけど分かってる。
 本当に分かってるんだ。
 多分、許されてしまうということも。
 ―――或いは、自分が思うように彼が自分を愛してくれないということさえ。

「また、爪痕をくだせぇよ」

 錯覚の期待と、一時の痕跡を夢見て螺旋を迷っているこの俺に。





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04.08.05




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