【 真白のシーツ 】
銀八先生×土方
白と黒は違う。 冗談と本気が大きく異なるように。 対比する心象 ≪前≫ 「今日はもうこれで終わるが…あー、日直は俺に日誌届けに来ること。以上」 帰りのHRにて、いつものやる気ない担任の言葉に付け加えられた内容に土方は眉根を寄せた。係の号令に合わせて立ち上がり、礼をしながら机から一冊の冊子を取り出す。黒い厚紙の表紙に紐で綴じてあるそれは、何処にでもあるような日誌だった。 今日の日直は土方である。 それ自体は出席番号順に回ってきた役目であるので何の疑問も無い。唯、さっきの教師の言葉は解せなかった。 声音にまで如実に表れているようにぐうたらな担任は、日誌の点検などしない。生徒もそれが分かっているから、適当に書いた日誌を教卓に置いて帰り、次の日直は翌日にそのまま教卓から取って行くというのが自然に通例となっていた。 なのに今日に限って。 面倒くさい、と思いながらも意外に生真面目な一面を持ち合わせている土方は担任の言葉を無視できず、ついでに当番だった教室掃除が終わってから職員室に向かった。 『保健室にいるからちゃんと日誌もってくること』 そこで見付けたのがこのメモだ。 ムカツいて口許とこめかみがヒクリと引き攣った。 整理という言葉をゴミ箱に棄ててしまったような有様の担任の机に、よほど日誌を叩きつけてやろうかと手が震えたが何とか思いとどまる。 あの男の人を食ったような言動は今に始まったことではないのだ、いちいち目くじらを立てても仕方がないと自分に云い聞かせた。 それに付き合わされる身にとっては甚だ迷惑だが、従っておかないと後々までしつこくいびられては堪らない。現状でさえ授業中などに妙に絡んできて鬱陶しいのだから。 担任のニヤけた顔を思い出した土方はムッと口をへの字に曲げたまま職員室を退出して、足音荒く階段を下りる。 特別教室棟の廊下には自分の上履きの音だけが僅かに反響していた。 辿り着いた保健室の扉には校医の不在を示す札が吊り下げられている。 ならば通常は施錠されている筈なのだが、扉の取っ手に手をかけて引くとそれは呆気なく開いた。 中からひんやりと流れ出てくるクーラーの冷気を肌に感じ、眉をひそめる。心地好い筈のそれは不吉な予感しか土方に与えなかった。 後ろ手に扉を閉めると今度は逆に廊下からの熱気が遮られる。 放課後の校舎は静かだった。 深く吐き出した己の息が聞こえるほどに。 「先生、日誌持って来ました」 この部屋にいる筈の教師に向けて声を放つ。が、後には何処か浮ついた静寂が戻ってくるだけで望んだ反応は無かった。 入って直ぐの処に置いてあるテーブルに鞄と日誌を置いて、丸椅子に腰を降ろす。 返事が無かったということはまた何処か別の場所に行っているのかもしれない。 そこまで待っててやる義理はないと思う半面、ここまで来たら日誌を直接突き付けてやらなければ気が済まないという思いにも駆られる。 まさか戻ってこないなんてことはないだろう。この場所を指示してきたのは向こうのほうだ。 しかしあの教師は何でこんな処に。校医は出張だから怪我や急病の場合には職員室に行くように、と今朝連絡されていた。そんな無人の保健室にどんな用があるというのか。不可解ではあるが、自分には関係無いことだと疑問を投げ棄てる。 土方は頬杖を突いて入口を注視していた。担任が戻ってくるなら其処からだろうと思ったのだ。しかし今のところその扉が開く気配はなく、近付いてくる足音も聞こえない。 耳を清ましていると突然、シミが広がるように影が土方を覆った。 その異変に眼を見開く間もなく、今度は圧迫感に襲われる。 「なっ…?!」 頭上から被せられた白い布に視界と動きを奪われて混乱する。状況の把握が出来ないながらも纏わり付く布から抜け出そうともがく土方は、腰から躰を二つ折りにされて荷物のように肩に担ぎ上げられる浮遊感に足掻きを止めた。 心構えもなく躰が持ち上げられる感覚は、脳がぐるりと回るような不快さがあった。 平静を欠いた思考で、思い出したようににじり寄ってくる恐怖を土方は覚える。 土方に布を被せた人物がいるのだ。しかし布に覆われ何も見えないから、それが誰なのか何をされるのかどういう状況なのか、何も分からないということに気付いてしまう。 再び暴れようとしたが、土方を担ぎ上げた者がゆっくりと歩く振動に感じる不安定さから躰は思うように動いてくれなかった。 シャッ、と金具がレールを滑る音が聞こえると、そこから数歩も進まぬうちに土方の躰は放り出された。一秒にも満たない自由落下だったとはいえ、恐怖に血管が収縮して呼吸が詰まる。 何も見えていないのに更に眼をぎゅっと瞑った土方が落ちたのは硬いリノリウムの床ではなかった。厚めの布の下で、スプリングが体重を受け止める軋んだ音が鳴るのを聞いてホッと息を吐く。 それから土方は自分を包み込んでいる白布から抜け出そうと布の端を手繰り寄せた。窮屈感からやっと解放された土方の視界に、ベッドサイドに突っ立っている男の姿が映る。 それが銜え煙草で、死んだ魚のような目を更に曇らせる眼鏡をかけた白衣姿の教師だと認識すると、怒りに思考がカッと焼けた。 質すまでもなくこの男が犯人だ。 「てめェ…!」 「あれ、教師にそんな口利いてイイと思ってんの?」 どれだけ手を加えたところで変わり映えのなさそうな天パの銀髪を弄っている担任は、人をムカつかせる為としか考えられない厭味ったらしい声音で喋る。 おおよそ教師らしいとはいえない男に尤もらしく指摘され、土方は悔しがるように歯軋りして食って掛かろうとするのを堪えた。それでも感情を抑え込みきれぬように、拳を固く握り締める。 拉致みたいな手段で運ばれた先は、何てことはない保健室の奥に幾台か備え付けられたベッドのうちのひとつだった。 奇麗に整えられていたであろう掛布は、ベッドの横に設置された洗面台に吸殻を棄てた教師によって乱雑に剥がされており、そこに土方は転がされていた。 意図のサッパリ分からない状況を訝る土方が躰を起こそうとすると、それを押さえる手がある。土方の両肩を掴んで自分もベッドに上がりながら押し倒してくる男に、土方は俄かに狼狽した。 「なっ、にするつもりですか?!」 「秘密。安易に答えを聞こうとするんじゃなく自分で理解しようとしろ」 「先生、そんな場違いな言葉で納得すると思いますか」 はぐらかしてやると土方は逆に冷静さを取り戻したようだった。彼はそんなふうに時々わけの分からない思考回路をしている。 先程だって、返事をしなかったら自分が待っていたベッドのほうまで探しに来るかと思ったのに来なかった。その諦めの早さというか、投遣りっぷりが何と無く生意気だったので背後から布を被せて奇襲をかけてやったのだ。足音を立てない為にわざわざ便所ゲタを脱いで。おかげで靴下の裏は埃で灰色になってしまっているだろうなどと、さして気にしてもいないことを考える。 それをやめてから、真意を問うようにじっと見詰めてくる土方を見下ろした。 今まさに襲われてます、という自分の体勢と状況に気付いていないのか単に無頓着なのか、土方の眸は疑念こそ浮かんでいるがキレイなものだった。 真白いシーツの上に短めの真黒な髪が拡がっている。土方の額に掛かった長い前髪を横に払うと、サラリと音でもしそうな真っ直ぐさで流れ落ちた。 色も髪質も自分のそれとはまるで異なる。こういう深い漆黒の髪を先人は何と云っただろうか。 「…烏の濡れ羽色ってんだっけ」 理系のクセに詩的な表現をする教師の腕がずっと土方を押さえ込んでいて、それを退かせることに成功したら今度はぎゅっと抱き込まれた。 担任の語彙力の意外性と、その行為に土方の思考はまた混乱しだす。 力強い腕に抱かれ、シーツから背中が浮いた。後頭部も支えられて顔をうずめた衣服からは、眩暈がするようなきつい煙草のにおい。自分が吸っているそれとは比べものにならなくて、くらくらするのにこめかみにキスされる感触だけはいやに克明だった。 * 後篇 * |