【 真白のシーツ 】
銀八先生×土方
眼が眩む。ヤニくさいにおい。 肺の隅々まで吸い込んで深く吐息する。 黒髪から覗く耳朶を、明確な意図をもって甘噛みされた。 対比する心象 ≪後≫ ここにきて漸く、此処でこうしていることの意味を覚る。 「先生は、ホモなんですか?」 「いや、両方イケるクチ」 「で、生徒にまで手を出すサイテーなダメ教師だと」 耳の裏側を舐められる感触に感じる擽ったさと困惑を殺して非難すると、突然に抱擁から解放されてベッドに沈んだ。 知らずシーツを握り締めるほど強張っていた躰から力が抜けるのを自覚した土方の脳裏を、何か忘れているような違和感が掠めた。しかしそれは尻尾もつかませずに消えていく。 土方の視界を塞ぐように、頭の両側に腕を突いた男は蛍光灯の白々とした光で逆光になった顔をぐいと近づけてきた。眼鏡はいつの間にか外されていて、呼気がかかる近さで見る眸は底の分からない深さをもっている。 不可視の圧力に息が詰まった。 何か違う。何がとは云えないけど違う。この男か、自分か、何か。鳴り響く警鐘の意味が分からない。唯、何かが決定的に間違っている。 混乱が増せば増すほど、土方はそれを押し隠そうと無意識に表情を固めた。男は半分下りかけた瞼で眠たげなままなのに真面目ぶった顔をする。 「それは誤解。これでも今まで生徒に手ェつけたことなんてないんだから。お前が初めて」 「不名誉極まりないですね」 間髪を容れず土方に冷たい声音で返され、胸がちょっとムカムカした。何でそんなにつれないかなァ。 ついでに、何で自分はこの子に手を出そうとしているのか。確かに云われた通り、ぐうたらでダメな先生だけどそれはやる気が無いってだけで、ここまで道徳に反したことはリスクが大き過ぎるからしたことはない。するつもりもない筈だったのだけれど。 何でかなァ、とこんな事態に陥った理由を自問してみる。それと同時進行で口は勝手に言葉を吐き出した。 「そんなこと云っていいの? この状況で?」 らしくない。気が立っている。 珍しく声にまで感情が表れていることをいっそ不思議に思いながら、襟から覗く土方の首筋に歯を立てる。 「痛っ……ぅ、」 電撃が貫いたみたいに土方は躰を跳ねさせた。噛まれるとは思っていなかったのだろう、予想外に襲ってきた痛みに眼を瞠る。 その反応を見て、この子はもっと違う甘やかなものでも予想していたのだろうかと都合のいい解釈をして、赤くなった噛み痕に舌を這わした。血の味はしなかった。 疵付けるような真似をするなんてまた、らしくないと気付く。 「やめてください」 怯えるのでなく毅然として土方は云う。 君は冷静だな。大人で、俺よりずっと大人な対応をする。先生、威厳台無し? けれど余裕無いなんて知られたくなくてひた隠して、可愛くない口を塞ぐ。少し荒れたくちびるを舐めて隙間から舌を差し込ませようとすると食い縛った歯列が侵入を阻むから、両手で頬を包み込んで顎を押さえた。そうしてムリヤリ口を開かせると焦らされた分だけ丹念に口腔を嬲る。 放課後の学校の保健室のベッドのシーツの上の秘め事なんて、冷静でいるほうが可笑しい。 「……ふ………ッ、っ」 濡れた音を響かせながら息もつかせぬほど深く執拗に舌を絡め口内を貪る。何とか息を継ごうとする土方の口端から唾液が垂れた。 離れると二人の間を繋いだいやらしい銀糸を舌先でプツリと切断する。 苦しげな顔で溺れたみたいに喘ぐ土方はシーツを指の関節が白くなるほど強く掴んでいた。 それなのに強烈な感情を宿した眼で睨みつけられると、ヒドイコトしちゃいそう。だって抵抗されないから。 「何で抵抗しないの?」 「あ? ……!」 低くてゾクリとするような声に耳元で囁かれ、土方の中に立ち込めていた違和感が一気に晴れた。 何故制止しなかったのか。言葉だけではなく態度と行動で。竦んで動けなかったからでは断じて無い。その気になれば蹴り飛ばすことも張り倒すことも不可能ではなかったのだ。 なのにそれをしなかった。違和感の正体はこれだと気付くと、また警鐘が激しく鳴りはじめた。警告音がその先にあるものを霞ませて見えなくする。 次から次に心が掻き回される苛立ちに顔を歪めて土方は吐き棄てた。 「…セクハラ教師」 「今更それ云うか? あ、精神的ダメージ与えて抵抗しようとしてる?」 「煩ェ。離れてください」 「離すと思う?」 僅かにだけ口角を吊り上げる、此方にひとつしか解釈を許さない云い回し。上履きを履いたままの足で教師の股間を思い切り蹴り付けて土方はそれに逆らった。 「イ゛…ッ!!?」 「ええ、思いますね」 蹴られた箇所を押さえて蹲った教師を自分の躰の上から落とし、すっとぼけた調子で答えた土方は床に足を下ろした。 そして軽蔑の眼差しで男を一瞥し、ベッドが置いてある場所を区切っているカーテンを閉めて出て行った。 「あーあ、逃げられた」 痛みが引いてきてから形ばかり残念そうに独りごちる。 ぼふ、と倒れ込んだベッドのシーツにはあの子の名残など何処にもなくて、自分の煙草のにおいしか染み付いていなかった。 (あれ、ちょっとヤバイかも…) 何であの子の名残なんか見つけようとしてるんだ。 瞼を閉じて嗅覚に集中してみる。 それでも嗅ぎ取れるものはなくて少し落胆していたら、ザッとカーテンが一気に引かれる音を耳が拾った。 うっすら目を開けてみると、怒りと苛立ちに眉根をぎゅっと寄せた土方がこちらを見下ろしている。 「抱かれに戻ってきたの?」とでも軽口を叩きたいところだったが、あんまりに意外すぎて喉に言葉はくっついて詰まってしまった。 土方は無言で、右手を振りかぶる。間抜けにもそこではじめて彼がその手に何か持っていることに気付いた。 バシ、と思いきり投げ付けられたのは黒い装釘の日誌だった。胸に受け止めて、それが今回の口実だったと思いだす。 「云い付け、護りましたから」 硬い口調で云い、すぐさま踵を返して立ち去った背中を見えなくなるまで見送って、ぽつねんと残された俺は笑った。取り敢えず一頻り笑い続けた。 ねぇ、何で君はそんな妙なところで几帳面なの。 日誌なんて間違って持って帰って、家で俺とのことでも思い出してくれたらイイのに。 ねぇ、何で俺は―――そんなに嬉しかったの。 あの子が戻ってきたとき、ほんのちょっとだけど期待しちゃったじゃないか。 (ああ、ヤバイじゃ済まない…) オトされた。 * 前篇 * |