煙草を吸う指先は血の巡りが悪く、いつも冷たい。
 紫煙のにおいが染み付いたその手を恭しく掬い上げ、銀時は薄く笑んだ。細く長い指へ誓いを立てるようにくちびるで触れ、そのまま手の主――土方と視線を絡める。突っ撥ねるように胸へ伸ばされたもう一方の手も搦め捕り、硬く骨の浮いた手首を捕らえた。そこに籠められた力は緩く、しかし振り解くことは許さないと節くれだった指が巻きつく。
 鬼ごっこをしようか、と銀時は云った。
 そして、誰がそんな子供の遊びに付き合うかよと云う土方の反論は聞き入れられず、一方的にルールを取り決めていく。
「鬼は俺で、お前が逃げるほうな。で、捕まえたら終わり」
「……交代するんじゃねぇのかよ」
「しねェよ? だって、そこで終わりだから」
 的を射ない銀時の言葉に、土方の眉根が訝しげにひそめられた。銀時が言葉を紡ぐ間も口吻けられたままの指の節がむず痒く感じる。
 名残惜しげに、銀時は土方の手をそっと解放した。
「なァ、全力で逃げろよ? 俺はお前を捕まえたら、誰の手も届かない場所に閉じ込めちまうからよ」
 だから、逃げて。
 これは俺の最後の良心と、忠告だから。
 そう告げる銀時の眼は捕食者のそれと同じ、凶暴な光を宿していた。それを目の当たりにし、土方の脳内で警告音がけたたましく鳴り響く。
 土方の足は殆ど無意識に地を蹴り、男から逃げ出していた。



「そこのお巡りさん、パフェ奢ってくんね?」
「奢ってやんねェよ消え失せろや」
 巡回の邪魔をする声を、土方は反射的に迎え撃つ。
 それでも一応歩みを止めて振り向くと、ケチだななどと厚かましいにも程がある言葉をぼやきながら、たかってきた男は銀色の天然パーマをぼりぼりと掻き毟った。
 その手が己の手に触れた感触を不意に思い出し、ギクリと心臓が跳ねる。あまりに気安い空気で話しかけられたものだからすっかり失念しかけていたが、自分はこの男から逃げなければならなかったのではないか。
 しかし、先日の銀時との落差に土方は対応を決めかねる。あれは、その場限りの冗談だったのではないかという可能性が頭を擡げた。
 じっと凝視してくる土方に銀時は髪を掻き毟る手を下ろし、死んだ魚と同じ濁った眼を向ける。
「土方くん? どしたの?」
「……別に、何でもねェよ」
 やはり、自分は遊びを真に受けていたのだというバツの悪さから土方は気まずく眼を伏せた。そうすると銀時は不思議そうに首を傾げ、土方の表情を窺うように覗き込んでくる。
「そ? ―――忠告、しといたのにな」
「あん?」
「全力で逃げろ、って」
「……っ!」
 冷えた指先に熱が触れて、土方はビクと肩を揺らす。
 指の間を擦り抜け、絡められた指が手のひらをきつく握り込んだ。
 銀髪の男が、ゆうるりと笑む。

「捕まえた」

 これでお前の世界は俺だけのもの。



 部屋には窓ひとつなく、裸電球だけが唯一の光源であった。
 幾つの夜と昼をここで過ごしたのか、最早土方には分からない。今や正常に流れているのかさえ疑わしく思ってしまう時間を数えることの虚しさに耐え切れなかったのだ。与えられる食事を機械的に食し、寝ているのか覚醒しているのか判然としない夢現の状態で銀時の熱に溺れさせられる。日に日に衰えていく精神は、もう何もかもを忘れて今の状況を受け入れることを支持した。それが精神の安定を図る唯一の術だと甘く囁く。
 しかし最後の一片で、それを拒絶する魂があった。
 土方十四郎であることをやめて、自分に何が残るというのか。そうして銀時の愛に微睡みながら生き永らえることに何の意味があると。
 暗く狭い部屋に閉じ込められ、逃げ出そうともせずにいるなど真平御免だ。
 殺意さえ籠もった苛烈な双眸で睨み付けると、対する銀時は皮肉げに片頬を歪めた。
「まだ、逃げようとすんの?」
「鬼ごっこ、なんだろうがよ。だったら逃げさせろや」
「そ。まぁ、いいよ? 逃げたけりゃ、幾ら逃げてくれても。けど、これだけは憶えとけよ」

 ―――最後にお前が帰ってくる場所は俺の腕の中だから。



 追ってくる足音がないことを確認して、土方は漸く足を止めた。
 暗い部屋を抜け出し、がむしゃらに走った。外へ、陽の射す世界へと帰ることだけを考えて。そうして今、望み焦がれた光の下に、自分は立っている。
 逃げ切った。
 その安堵感が疲労と共にどっと躰の内を充たす。
 土方は両膝に手を突き、酸欠にぐらぐらと揺らぐ視界で地面を見詰めて荒く上下する肩を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。疾走し、酷使された肺や気管が軋むかのように苦しくてゼェゼェと喘ぐ。
 しかし人心地ついてからふと視線を上げた土方は、その動きの一切を凍りつかせた。
 視線の先、太陽の下、眩い光を鈍く弾く銀の髪をもつ男が、いつものふざけた格好で佇んでいる。男は数歩を残すだけの距離まで近付いてくると、ゆっくり口を開いた。
「云っただろ? 最後に帰ってくる場所は俺の腕の中だって」
 幸福か悲哀か、そのどちらでもない感情か判然としない複雑な笑みを、男――銀時は浮かべる。
 総ての色が入り混じり混沌としたその双眸に、土方ははじめて心の底から這い登る純粋な恐怖を感じた。
 世界はまた、銀時だけを残して閉ざされる。
 耳元で落とされた声が脳裏にこびり付いた。
























嘘ですよ。










以上、またやったんかお前らと思われそうな嘘予告でした。
今回は表紙絵を見た羽月が「シュミレーションゲームの画面みたい」と云い出したのを聞いて、てんさんがタイトル文字の代わりに『捕まえた。もう逃がさねェよ?』という科白の入った画像を送ってきたのが発端でした。やっぱり瞬間爆発するみたいです、もふ教。
内容が監禁モノ仕立てになっているのは、構図と絵柄の雰囲気のせいかと思われます。(笑)
ホラーっぽいのを狙ったのですが、結果はこの通りで残念。難しいです。

さて、それでは本来の本文サンプルは以下になります。
表紙は上の画像の科白の箇所に本のタイトルである『指先から心まで』の文字が入ったものです。

【本文サンプル】
 てんサイド
 羽月サイド


おまけ。

こんなんも作ってみました。


【イラスト・てん/文責・羽月】