何故、自分はこんな処にいるのだろうかという居心地の悪さにも、十四郎は最早慣れきってしまった。
 周囲にいる人間がみんな自分を見ている気がする。そしてそれは恐らく、気のせいではない。
 だって、目立たないわけがないのだ。
 机も椅子も備え付けのロッカーも、何もかもが自分が過ごしていた頃よりも圧倒的に低く小さくなったように感じられる部屋の後方にずらりと並んだ大人は、その殆どが女性だった。その中にひとりだけスーツ姿の男が交じっていれば、視線を集めてしまうのも当然のことだった。
 感じる視線を気にも留めず見遣った教室は、黒板やボードに手作りの掃除当番表や時間割が貼られている。そこに使われている漢字の種類が増えてきているのは、子どもが成長しているのだということを示しているようだった。
 黒板に向かって、子どもたちが行儀良く何処か緊張した姿勢で席についている。
 小学校の授業参観であった。
 この行事に、十四郎が父兄として参加するようになってもう三年目だ。まだ結婚すらしていないのにこんな場に立つことになっているのは、小学生の異母兄弟である銀時が未だに駄々を捏ねまくるせいであった。
 ―――兄ちゃんが来てくれなかったら先生に怒られても母さんに怒られても会社まで迎えに行くからな! そんで次の日からはずっと兄ちゃんにくっ付いてってやるから覚悟しろ!
 最近弟は、脅迫という手段を憶えたらしい。
 兄への懐きっぷりが日増しに酷くなっていっている気がしてならない弟の、自分とは似ても似つかないくるくると飛び跳ねた銀糸の天パを撫でてやりながら十四郎は諦念たっぷりに溜息を吐いて、今回も参観日のスケジュールを空けた。有給をとった今日の間に溜まっているであろう仕事のことはもう考えないようにして、黒髪ばかりの小さな後頭部が並ぶ中で酷く目立つ弟の銀色の頭に視線をやる。
 今日は一年生のときにもあった、宿題で書いた作文をみんなの前で発表する授業らしい。
 いつも母に云われなければ宿題に取り掛からない弟が、一生懸命憶えた漢字を使いながら文字を綴っていたのを思い出しながら十四郎は弟の順番がくるのを待っていた。
 僕の私の好きなものというテーマに、まだ幼い生徒たちは希望に溢れた作文を読み上げている。
 そして、銀時の番が回ってきた。
 名前を呼ばれて立ち上がった銀時は、ちらっと後ろに立っている十四郎を見てから紙を目の前に掲げて作文を読みはじめる。


『おれが好きなのは、この世界にたったひとりしかいない兄ちゃんです。しょうらいは、海のそばにたてた家に兄ちゃんと二人っきりでくらすのが夢です。
 広い庭がある一けん家で、二人っきりでしあわせに暮らします。兄ちゃんがはたらかなくてもいいように、おれは一流きぎょうにしゅーしょくして、いっぱい給料をかせぎます。兄ちゃんはずっと家にいたらいいとおもいます。そして、めくるめくあいよくの日々を過ごします。それというのも、おれは兄ちゃんが大好きで、あいしているからです。理想はかんき……げふん! けっこんです。』


 十四郎は、ピシリと固まった。
 呼吸が詰まり、嫌な汗がたらりと流れる。

 ―――何か、二年前にも聞いたコレ。似たようなの聞いたコレ。けど、何で犬がいなくなってんの? 何で二人っきりって二回も云ってるの? 何でそんな強調?

 そして、監禁という言葉を誤魔化す術を何で弟は憶えているのか。
 咳払いをしたところで誤魔化しきれていないし、第一兄弟で男同士なのだから結婚もできないし。というか、そういうことをされるとより一層本気さが窺えて怖ろしくて堪らないのだが。
 何処にどうツッコんでいいのか分からない弟の言葉に十四郎が頭痛を覚えている間も、銀時はスラスラと作文――進展した犯罪計画――を朗読する。

 八歳児が「おれから兄ちゃんがはなれられなくなるように、今からしっかりと調教したいです」と云い放ったのを最後に、十四郎の意識は途切れた。





07.10.30




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