ソファにごろりと仰向けで寝転がり、レポートに使う資料を読んでいた十四郎はくいっと服の裾を引っ張られる感覚にそちらへと視線を移した。すると風呂から上がってきたらしい弟が、何故か十四郎のシャツの裾を捲り上げようとしているのが見えて眉根を寄せる。 「……銀時、何してんだ?」 露になった脇腹をぺたぺたと小さな手で撫でる弟――銀時に訝しむ声で問い掛けると、銀時は悪戯が見付かった時のようにハッと顔を上げた。弟の手はあたたかいので悪寒や不快感を感じることはないのだが、行動の意図が分からないので話しかけずにはいられなかったのだ。しかも、そんな反応をされれば尚のこと気になってしまう。子どものすることだから、明確な理由などないのかもしれないけれど。 銀時は、十四郎の腰から離した手を今度は兄に向けて目一杯に伸ばした。 「にーちゃ、だっこ。だっこ」 「ンだ、抱っこしてほしかったのかよ」 だったら最初からそう云えばいいのにと思いつつ、十四郎は資料をローテーブルに放り出して上体を起こそうとする。しかし、それを制止したのは幼児特有の高い声だった。 「ダメ! まんま、だっこ!」 「寝たままで、か?」 またおかしな要望を出してきた弟に確認するように訊くと、今は生乾きでぺったりと落ち着いた銀色の天パを振り乱さんばかりの勢いで首が縦に振られる。寝そべった十四郎に抱っこされたいとは、ラッコごっこでもしたいのだろうかと思った。 もう危なげなくひとりで立って歩けるようになった銀時が、ソファの横から期待の篭もったキラキラした眼で十四郎を見上げてくる。 十四郎は、ふぅと溜息を吐いて己の腹の上をぽんぽんと叩いた。すると途端に銀時がぱっと笑って、ソファによじ登ってくる。短い足で十四郎の腹に跨り、両手は胸に突いた。 そして、また笑う。 ゾクリと、背筋が震えるのを十四郎は感じた。 幼子といえば邪気なくきゃっきゃと笑うものだ。殆ど笑いかけてもらえないと時折しょげている父と違い、十四郎は銀時のそんな笑みをよく眼にしている。しかし、今の銀時の笑い方は、今までに見たことのないものだった。 湯上りで赤くなった頬の丸みに似つかわしくない、やけに満足げな口許が声もなく笑んでいる。 まるで、やったった、とでも云いたげな、達成感と征服感に浸った子どもらしからぬ表情だった。認めたくはないし、気のせいだと思い込みたいのだが、はっきり云って完全に雄の眼をしている。 ―――何か、スゲー顔してね? とてもじゃないが、きゃっきゃと笑うような顔ではない。ククク、と喉の奥で笑っているかのようだ。まだ二歳の赤子が。兄に跨って。 このとき十四郎は、銀時から底知れぬ黒い雰囲気が漂ってきている気がしてならなかった。 07.10.31 |