最近は教育熱心な親が多いんだな、と十四郎は他人事のように思った。 小学校の教室の、後ろの壁際には大人がひしめき合っている。一クラスの生徒数と殆ど同じ人数だ。授業参観でこれだけの出席率を誇っているのはこのクラスだけだということを、十四郎は知らない。 授業参観に通うのも六年目になれば、十四郎は保護者の母親たちの間でちょっとした有名人になっていた。 何しろ若くて滅多にないほど整った容貌の男である。 それが授業参観とその後の懇談会に必ず出席しているとなれば、噂にならぬわけがなかった。 しかし珍獣扱いにも慣れきってしまった十四郎は背の低いロッカーに体重を預け、周囲の視線を受け流して黒い後頭部が並ぶ中でぽつりと目立つ銀髪の少年の後姿に意識を向ける。 六年生になるともう大人と並んで遜色ないほどの背丈まで成長した生徒もちらほらと見受けられた。弟の銀時は背の順に並んだら後ろから八番目だと云っていたから、丁度真ん中くらいだろうかとぼんやり考える。 この行事に参加することに、十四郎は何の疑問も抱かなくなっていた。会社に休暇申請を出しても、そこに書かれた理由に上司ももう驚かない。それどころか、同じ年頃の子どもがいる上司に今年もそんな時期かとしんみり云われてしまった。 今日の授業は一年生のときと同じ、宿題で書いた作文をみんなの前で発表するものだった。 作文、というものに十四郎はイイ記憶がなくて気が重い。それというのも毎度毎度、とんでもない内容の作文を弟が発表するからであった。 十八歳年下の弟、銀時の十四郎に対する懐き様は、一種異様でさえある。何しろいつまで経っても兄離れする気配が全くないのだ。 来年中学生になってくれれば少しはマシになるだろうかと思いを馳せて吐いた溜息を、聞き止めたわけではないのだろうが、絶妙なタイミングで銀時がちらりと十四郎を振り向いた。 そして、ふと笑う。 その顔はどうにも、十四郎に向けられたものではないように思えた。この例が適切だとは全くもって思えないのだが、例えるならば、俺の恋人美人だろ、と周囲に自慢する男のような笑みだ。何故だか物凄く、誇らしげなのだ。 とてつもなく嫌な予感がして痛むように不規則な脈を刻む心臓を十四郎はスーツの上から押さえる。その動悸が治まらぬうちに、銀時の順番が回ってきた。 作文は、テーマまで一年のときと同じ『将来の夢』で、また嫌な感じがする。 すっくと立ち上がった銀時が、作文を読み上げはじめた。 『おれの将来の夢は、めくるめく愛欲の日々を過ごすことです。大人になったら一流企業に就職して一生けん命働いて、お父さんとお母さんに楽をさせてあげて、おれは兄ちゃんと一緒に二人っきりで暮らしたいです。いえ、暮らします。』 十四郎は、ピシリと固まった。 呼吸が詰まり、嫌な汗がたらりと流れる。 ―――暮らします、って決定事項か。それは決定事項なのか!? てか両親に楽をさせたいと云いつつも別居なのか! 今回もまた、ツッコみ処が満載の作文だった。この六年の間に成長したことと云えば、将来設計が内容はそのままにより具体性を増していることだけだ。凡そ現実的とは思えないそれを、銀時は本気で実現させようと思っているらしい。 一年のときの作文から削除されることのない初っ端の一文は、脳が理解することを拒否していた。 『父さんと母さんは、今でも恥ずかしいくらいラブラブなので、おれ達も幸せな家庭を築きたいです。』 子どもにまでラブラブと云わしめる微笑ましい家庭の一端に、クスクスと保護者の間から密やかにあたたかな笑みが零れる。どうやら序盤の強烈な単語は聞き流されているようだった。 和やかな雰囲気の中で、しかし十四郎の表情は緩むどころか益々血の気を失っていく。 ―――俺、たち? 作文に出てきたのって親父と母さんと銀時と俺……だけだろ。え、俺? 俺たちに含まれてるのって、俺か!? いや、いやいやいやいや作文には出てきてねぇけど将来の嫁とかそんなんだよな。うん。そうそう。 『おれが好きなのは、この世界にたったひとりしかいない兄ちゃんです。おれ達は愛し合っています。おれと兄ちゃんの愛は、誰にも引き裂くことはできません。だから将来は、海のそばに建てた家に兄ちゃんと二人っきりで暮らすのが夢です。』 ―――あ、やっぱ俺か。薄々勘付いてはいたけどやっぱ俺か!! しかもやはり海の傍の家は外せないらしい。 けれど、最も危惧していた物騒な単語が出てこなかったことに、十四郎は少なからずホッとしていた。 それは、監禁、という犯罪そのものな単語だ。 その言葉が出てこなくなっただけ、安心すべきなのかもしれないと思う。 そう思い込もうとしている十四郎には見えていなかった。 銀時が作文をしたためた原稿用紙の端々に、監禁の文字を書いては消しゴムで消した為に黒ずんで残った跡が。 07.11.06 |