沖田×土方/No.2





 土方さんは てふてふ なんでさァ






     蝶の翅 ≪前≫





 少し前を綺麗な身のこなしで歩く土方を眺める。
 彼は相変わらずの銜え煙草で、直ぐ横を流れる川を見下ろす横顔が午後の光に照らされている。病的ではない白い肌は、微風にそよぐ濃い色の髪によく映えた。
 人を射殺すような鋭すぎる目付きを和らげれば美丈夫と云えそうなものだが、しかしそれがなければ土方は土方ではないだろう。それに、あの意志の強い眸は嫌いじゃない。
 ――というより寧ろ、いちばん好きなところ?
 自分は趣味が悪いかもしれないと自覚して、市中見廻りという名目の筈なのに周囲を見ないで土方ばかり注視していた沖田は、彼の意識がある一点に向けられたことに気付いた。
 土方の表情にどうという変化があったわけではない。だが、彼の眼の動きの僅かな変化、硬く鋭くなる気配が、川の向こう岸に集束する。
 立ち止まった土方の視線の邪魔にならない側に並んで、沖田も川向こうを見遣った。
 それなりに幅広の川だ。向こう岸の人は爪楊枝ほどの長さに見える。
 その人波の中に、よく目立つ銀髪の男らしきものがちらついた。沖田はそれが誰かを、記憶の中から探り出す。
 いつだったか土方と戦って、土方を打ち負かした男だ。
 全神経を尖らせている土方の手が軽く刀の柄に掛かっていた。しかし、それはこの人のクセのようなものなので、また斬り合いをしようという意図は特にないようだ。
 ならば、此処で立ち止まる意味もなかろうに。

「土方さん、行きましょうぜ」
「……ああ」

 声を掛けても土方は向こう岸の銀髪男から眼を離さず、生返事をするだけだった。当然、そんな反応で足が動き出すわけでもなかった。
 あの男は別に指名手配を受けているわけではない。だから本来なら土方が気にかけることはないのに。
 なのに、何故わざわざ立ち止まったのか。どうしてあんな小さくしか見えないのに気づく。
 銀髪が目立つとは云ってもこれだけ離れていれば見逃すのが普通だ。土方が意識的にか無意識にか、彼の姿を求めていなければまず気付かなかっただろう。
 沖田は無表情のまま、眼をスッと細めた。はらわたの煮え繰り返る感情が蠢くのを、その眼にだけ映して。

 つまりは、それだけ興味を抱いているということだ。土方は、あの男に対して。
 許せないなぁ、と口内で噛み締めるように声は出さず呟いた。
 土方が真選組のメンバーを――表面上はどうであれ――大事にするのは、まぁ良い。
 局長の近藤のことを想っているのも構わない。自分も近藤のことは好きだから。
 だけど、あの男は駄目だ。
 敵ではないが、味方でも仲間でもないのに、そんな奴を土方が気にかけるなんて駄目だ。許せない。
 利害がなく、理由もないのに、惹かれるなんて、まるで〜〜のようじゃないか。
 自分は昔から、子どもの頃から、ずっとずっと土方を見続けてきたのに。何処からともなく昨日今日現れたような男が彼の興味を掻っ攫っていくなんて、冗談じゃない。
 人が珍しく欲求を堪えて、大人しくしているというのに、土方は残酷だ。全くそれに気付こうともしない。
 気付かないで、今も沖田が隣にいるのに他の人間に総ての意識を向けている。


 これは、酷い、裏切りだ。


「土方さん」
「んぁ?」

 ――こっちを向かないから、悪いんですぜ。

「どっぼーん!」
「ッ?!!」

 両腕を思い切り突き出して、土方の躰を押す。川に向かって。
 そして土方は沖田が云ったのと同じような音を立てて、為す術もないまま川面に衝突した。
 沖田は川岸ギリギリまで近付いて、大きな波紋を描いている水面を見下ろす。ややして、水泡がポツリ・ポツリと浮かんできては弾けた。

「ぶはっ! …ッげほ、ごほ……てめェ、総悟! 何しやがる!!」

 水面から顔を出した土方が濡れて張り付く前髪をかきあげ、大声で叫んだ。きつく吊り上がった眼には殺気が漲っている。
 ――そうそう、そうやって俺だけを見てればいいんでさァ。
 満足感に笑みたくなるのを堪えて、土方の怒気を更に煽るように沖田は無表情で平淡な声を保つ。

「油断してるほうが悪いんでさァ。そんなんじゃ、腕も鈍ってるんじゃ――」

 言葉の途中で顔面目掛けて飛んできた刀を沖田はひょいと躱した。それを拾い上げ、少し後ろに下がって待つ。と、怒りのオーラを立ち昇らせたずぶ濡れの土方が川岸に上ってきた。

「お前、俺に何か怨みでもあんのか?!」
「そんな、土方さんに怨みなんて…………ありやせんぜ?」
「何だその微妙な間は!」

 水気を含んで重くなった上着を土方は怒声と共に投げつけた。
 沖田も近距離から放たれたそれを避けることはできず、胸にぶつかって受け止める。
 土方は外したスカーフの水を絞り、はらりと額に垂れてきた髪をもう一度後ろに撫で付けて盛大に舌打ちをした。

「土方さん、この上着びしょ濡れですぜ」
「誰のせいだと思ってんだよ、てめェは!」

 苛立たしげに云い返してくる土方は、どうやら腕にべったりと吸い付く服の感触が不快らしい。袖口のボタンを外して腕捲りする。
 ポケットから取り出した煙草が水気を吸って駄目になっていると気付くと、眉間に寄せられた皺が深くなった。
 何でいきなり川に突き落とされなければならなかったんだ、と理不尽なものが込み上げてくる。
 現状をひとつずつ確認するごとに不機嫌になっていく土方のか細い神経を呑気な沖田の声が更に逆撫でしてきた。

「俺のせいですかィ」
「疑う余地もなくその通りだ!」
「じゃあ、償いまさァ」
「だから少しは反省しやが……―――はぁ?!」

 思い掛けない――沖田の脳内辞書にあったとは思えない――言葉を聞いて、土方は素っ頓狂な声を発した。
 驚愕の眼差しで沖田のいつもと変わらない顔を見る。いつもと変わらないが、どうやら本気らしいことだけは分かった。

「そのままでいるわけにもいきませんでさァ。俺の家、すぐそこだから行きやしょう」

 確かに、これでは市中見廻りどころではないし、早く躰を拭いて乾いた服に着替えないと風邪を引きそうではあるが。

「別に、このまま屯所に戻れば良いだろうが」
「そっちより俺ン家のほうが近いですぜ。どうせ最近は平和で暇なんですから、ちょっとくらい遅くなったって良いでしょうや」

 土方さんが風邪を引くほうが大変でさァ、と尤もらしくて逆に胡散臭いことを云った沖田は返事も待たずに歩き出した。屯所とは別の方角へ。
 彼は一度云いだすと絶対に折れないし、土方の刀と上着を小脇に抱えたまま行ってしまったので、土方も仕方なしに渋々後を付いていく。
 不意に吹き抜けた風に身震いし、くしゃみをするとそれを聞きとめた沖田がくるりと振り返った。

「ホントに、風邪引いちまいますぜ」

 彼は爽やかな相貌に、堪えきれず零れ落ちたような薄く冷たい笑みを浮かべた。





* 後篇 *
04.07.13




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