お兄ちゃんと十四郎と恋……変人
どたどたどた、と慌しい足音が近付いてくるのが聞こえる。 布団で静かに眠っていた弟の十四郎が、その騒音と床を揺るがす振動に眼を覚ました。まだ下がりきらない熱でぼんやりとした眸だ。 その脇に付き添っていた兄は、手許に置いた刀の鞘を掴んだ。片膝を立て、指先で鯉口を撥ね上げる。右手で刀の柄を握って引き抜いた。そのまま、障子に振り向く。 足音はもうすぐそこまで接近してきていた。昼の陽がまろく射し込む障子に、特徴的なシルエットが映り込む。その人影が障子を開けた瞬間、兄は正面から斬りかかった。 「土方! 熱出して倒れたって聞い……ぅわっほい!!」 強襲する刃に、一言の断りもなく部屋に飛び込んできた男が奇声を発しながら精一杯上体を逸らす。奔放に飛び跳ねた気儘な銀色の天パが一筋、掠った刀にぱさりと斬り棄てられた。後数センチ逃げ遅れていたら、今頃辺りは血の海になっていたところだ。 「十四郎の眠りを妨げやがってゴミ虫が。この罪、その矮小な命でもって贖え」 「いやいや俺が死んだら哀しむ奴がいるからそれは出来かねますね、お義兄さん」 最後の単語に特に力を入れて発音すると、もう一太刀襲い掛かってきた。それを躱し、乱入者――十四郎の恋人である銀時は部屋に転がり込む。そのまま、躰を起こした十四郎の傍に滑り込むように正座した。ここぞというときなのか、普段は濁りきっている双眸が多少きらめいている気がしなくもない。 胡散臭いものを見るような眼をする十四郎の両手を、銀時はがしっと掴んだ。 「大丈夫か、土方? また無理して仕事してたんだろ。まだつらそうな顔してるし、うわっ、手もあっちぃ。40度超えてんじゃねーのか? 超えてるに違いないねコレは。40度超えたらアレだから、解熱剤は経口じゃなくて座や……」 一瞬前まで銀時がいた空間を、刀が切り裂いた。十四郎の手を握ったままにもかかわらず器用にその一撃も避けた銀時は背後を睨み付ける。 「あっぶねーな! 土方に当たったらどうすんだよ!」 「俺がそんな愚を犯すわけねぇだろ! それにテメーが避けなきゃいいんだよ!」 「ちょっ、兄上! やめてください!」 本気の殺意を刀に乗せて振るう兄を、十四郎が慌てて制止した。その一言に、格好以外は酷似した容姿のふたりがぴたりと動きを止める。ひとりは酷く感動した様子で、もうひとりは絶望の淵に立たされたような表情をしていた。 「土方……!」 「十四郎! 何故こんな奴を庇ったりするんだ!」 「コイツは俺が殺りますから」 自分以外の誰かの手に掛かって楽に死なれたんじゃこの怒りは治まらないと、十四郎のこれ以上ないほどに冷酷な表情が語っている。兄でさえも、少しばかり背筋が震えた。 「……この害虫を駆除することに異論はないが、今は体調が悪いんだからまた今度にしなさい。俺が看病するから、そこの害虫は帰れ」 「オイコラそこの天パ」 「テメーにその言葉を吐く権利はねェ」 「あの、兄上……看病はいいから仕事に戻ってくれよ。部下がまた泣くぞ?」 「何を云ってるんだ! 大事な弟を放って仕事なんかできないし、第一お前の看病は誰がするとっ」 「コイツがいるから、大丈夫だって」 殺すのは全快してからにすると付け加えて、十四郎が指差したのは銀時だ。 銀時は、今度こそ感動した。 ―――ついに兄貴離れ!? ブラコンも甚だしい兄に、実は負けず劣らずさり気なくブラコンな弟である。その為、兄の存在は銀時にとって眼の上のたんこぶだった。邪魔で仕方ない。だから兄離れは銀時の悲願であった。その願いの成就に、熱いものが胸に込み上げてくる。兄が世界の終わりみたいな顔をしているのもいい気味だと思う。思わずガッツポーズをしかけた。 しかし、世の中そんなに甘くないものである。 「兄上には風邪が伝染ったら困るが、お前はプーだから困らねェ」 所詮ブラコンは何処までいってもブラコンでしかないのだった。 形勢逆転して、兄が顔を綻ばせる。打ちひしがれ、がくりと項垂れた銀時に十四郎は更なる一言でとどめを刺した。 「そもそも莫迦は風邪ひかねぇしな」 08.Jan. |