※この話は 学生金時×校医土方 という
パラレルの上にパラレルを乗っけて異次元に旅立ったような代物です。
一応過去、ということになってますが本編とは何の関わりもありません。
読んでやろうと思ってくださる方はどうぞ単品としてお愉しみください。






 産休をとる養護教諭の代わりで、臨時教諭の仕事が決まったと云ったとき。

『良かったじゃん。おめでと』

 笑ってそう云った銀髪の男と全く同じ顔で、金髪の少年はせんせー、と土方を呼んだ。








「せんせー、俺のこと嫌いでしょ?」

 風通しを良くする為にグラウンド側と一緒に開け放した廊下側の窓枠から躰を乗り出し、その生徒はにっこりと魅力的に笑う。生徒指導部長の教師には地毛です、で押し通しているという――実際、染色や脱色では出せそうにない見事な色の――金糸の髪をした生徒の名は坂田金時といった。土方が調べたわけではない。会った当初から耳にたこが出来るほど聞かされたことと、そう浅くない関わりをもつ知り合いの名と一字違いであることから、同僚の名もまだロクに憶えきれていないというのにこれだけはしっかりと脳にインプットされてしまったのだ。
 新学期を迎える9月に入ってもまだ真夏のような気候は衰えることもなく、金時は半袖の白い開襟シャツにだらしなく緩めた臙脂色のネクタイをぶら下げている。教師であれば本来ここで身嗜みをきちんとしろと注意のひとつでもすべきなのだろうが、この蒸し暑い中長袖の白衣を纏っている土方自身が既にかなり辟易としていた。なので衿が少々大きく開いているくらい黙認してやる。
 それよりも問題は奴の科白だ。

「よく分かったな」

 感心したようでさえある声音で土方は呆気なく答え、換気は終わったとばかりに窓閉めに動き出した。とっとと生ぬるい外気を遮断して文明の利器である冷房で根城を快適な温度に戻したいのである。容赦なく床に突き刺さる午後の強い陽射しを窓ガラスとカーテンで遮り、クーラーのリモコンに手を伸ばす。遠隔で電源を入れて、後は邪魔なものがある廊下側の窓を閉めれば楽園の出来上がりである。
 しかしその窓を閉めるのを邪魔している障害物は退くどころか、土方の言葉を聞いて信じられないとばかりに更に身を乗り出してきた。

「は?! マジでか! ちょっと待ってよこういうのって『そんなことないよ俺はお前のことをいつでも見守って愛しているから』とか云うもんじゃねーの!? アンタそれでも教師かよ!」
「安心しろ。オメーみてェな餓鬼はわざわざ見守らんでも勝手に育ちやがんだよ」
「ナニ、そんなに俺のこと分かってるって? けど俺こう見えても繊細なガラスのハートの持ち主なんですけど?」

 信憑性の欠片もない薄っぺらな表情の金時に土方は冷めた眼を向け、窓に手を添えた。後はこの窓を閉めるだけなのである。そして、もうすっかり大人と同じ体格にまで育ってしまった子どもに容赦なく最終宣告を突きつける。

「…顔挟むぞ」
「わ、タンマタンマ! 中入るから閉めないで!」

 狭まる隙間をがしっと手で押さえ、思わず身を引いた土方の前に生徒は鮮やかな金髪の髪を揺らして窓枠を乗り越えた。どういうわけか酷く慣れた様子で、それほど大きくもない枠に躰をぶつけることもなく静かに着地する。
 自分と殆ど変らぬ背丈の生徒を至近に見据え、土方は苛立ったように眉間に縦皺を刻んだ。

「健康人が保健室に来んじゃねェよ」
「つか、だって何で俺のこと嫌いなの?! 俺何かせんせーの気に障るようなことした!? してねーよなァ! なのに何で嫌われなきゃなんねーの、俺の何処が嫌いなんだよ!」
「顔」
「……男前過ぎて?」
「阿呆。とにかく、その顔が嫌いなんだよ。だから用もねェのに俺の前に現れんな」

 どちらも嫌な思いするだけだろう。
 そう言外に込め、これ以上話すことはないと早々に踵を返す。しかし、強引に腕を捕らえられてそれは叶わず、白衣の裾がふわりと靡いただけであった。
 土方は非難の眼を鋭く向けるが、かち合った蒼い虹彩の眸が思いがけず真摯な色を宿しているのを見てしまい、触れた腕がひく、と痙攣した。

「嫌だ」
「あン? オメー、俺の云うこと聞いてたか?」
「聞いてたけど聞けねーよ。だって俺、」


 せんせーのこと好きだし。








 好き。好きだよ。大好き。俺と付き合ってよ。
 歯の浮くような科白を毎日会う度にぽんぽんと、恥ずかしげもなく放つ金髪の餓鬼に土方はいい加減うんざりしていた。だが、こうも飽きずに繰り返されれば慣れもしてくるというものである。今や土方は金時の告白を挨拶程度にしか受け取っていなかった。尤も、最初から殆ど受け流してはいたのだが。
 そんな莫迦げたことにも、学校の空気や仕事にも慣れてきた秋も深まる頃、金時ははじめて本来の目的で保健室を訪れた。

「せんせー、すっげェ痛え。早く治して」
「あのなァ、俺ァ治療はできるが治せるわけじゃねーん、だ…って、テメーどうしたんだその怪我!」

 痛い、と云っている割には随分と暢気な声音にまた来たかと悠長に回転椅子を回して肩越しに振り向いた土方は、金時の姿を認めて眼を剥いた。
 所々土に汚れた紺色のブレザーを肩で提げた金時の顔が、口元に滲んだ血や眦近くの痣で彩られていたからだ。灰皿でぎゅっと煙草を揉み消し、土方は素早く腰を上げた。
 顔を顰める土方に、金時は情けなさそうに笑う。カッコ悪ィとこホントは見られたくないんだけど、なんて云うと怒られそうだからそこのところは黙っておいた。

「ちょっと、喧嘩」
「何やってんだ。あーもう、そこ座れ」

 乱暴に指で示された椅子に金時は大人しく腰掛けた。正直、躰のあちこちが痛むので立っているのもかなりきつかったのだ。手近なテーブルにブレザーを放り投げ、衣服についた汚れを慰め程度にはたき落とす。躰の底から息を搾り出して肩の力を抜くと、冷たい濡れタオルが飛んできた。反射的に受け止め、とりあえず瞼を下ろした目許を覆ってみる。ツン、と殴られた箇所が痛んだ。

「頭もやられたか?」
「……ちょっと殴られた、気もする」
「じゃあそっちも冷やさねェとな。後で病院行けよ」
「えー、めんどい。いいじゃん、そんな大したことないって」
「莫迦。頭は甘くみてっとこえーんだから、ちゃんと検査してもらえ」

 閉じた視界の中で聞こえる土方の声は、何となくやさしい気がするから不思議だった。何処が痛い、と問われて手で答えた後頭部に氷水を突っ込んだ袋を宛がわれる。タオルに包んでほしいと云ったら贅沢云うなと返された。そういうものなのだろうか。いや違うだろ。面倒くさいだけでしょ。
 声音の含有成分にやさしさを感じたのは、矢張り気のせいだったかもしれない。乗せたタオルを落とさないように上向き、氷水の袋を持たされてじっとしていたら、部屋に響くのはカチャカチャと土方が手当ての準備をしている音だけだった。
 沈黙を勿体無いと思い、金時が何か――いつものように土方に下らないと云われるようなこと――を云いかけるより一瞬早く、ぼそりと呟かれた土方の言葉が耳を刺激した。

「そんでちったァ頭の中身もマシになりゃいいんだがな」
「うわ、ひっでェ! 俺、本気でせんせーのこと好きなのに」
「はいはい。ほら口閉じろよ、沁みるぞ」

 常套句じみてきた言葉を簡単にあしらった土方が、消毒液を沁み込ませた脱脂綿をくちびるの端にある疵に押し当てる。それが本当に痛くて、飛び跳ねそうになる肩を金時は何とか押さえ込んだ。
 ぬるんできた瞼の上のタオルを持ち上げて眼を瞬かせていると、土方が顔を覗き込んでくる。開き気味の瞳孔で真黒に見える双眸が、意外にも酷く気遣わしげに目許の怪我の具合を見てくるものだから、金時の軽い口は勝手に動いた。

「アイツら顔ばっか狙ってきやがって、ムカツク。将来の商売道具かもなのに疵が残ったらどーしてくれんだ」
「…役者にでもなりてェのか?」
「残念、はっずれー。でも、ちょっとは似てるかも」


 俺、夢を売る仕事に就きてェんだよね。


「………」
「あ、今ちょっとドキッてした?」

 治療の手を止め、更に丸く瞳孔を開かせた土方に金時は小首を傾げて悪戯が成功したみたいに笑う。するとすぐさま常の仏頂面に戻った校医は、絆創膏を張った上から金時の口の端の疵をぺちりと叩いた。いてっ、と生徒が呻くのを自業自得だと云わんばかりの表情で見下ろし、手当てに使った道具を片付けはじめる。

「自惚れんじゃねーよ」

 心底呆れたように云っても少年が表情を変えないから、土方もほんの少しだけ口元を緩めた。








 5月は冷房も暖房も不要な過ごしやすい気候で、窓を全開にした保健室に入り込んでくる風も涼しく快かった。
 1年をかけてすっかり昼休みの常連と化した金髪の生徒は、今日も相変わらず土方の元を訪れていた。問診用に据えられた丸テーブルに突っ伏して冷たい天板に頬をくっ付けて呟く。

「ひーまー」
「クラス戻れ。そこで駄弁ってろ」
「せんせー冷たい。せんせーを大好きな生徒がこうして会いに来てるっていうのに…」

 仕事の邪魔をしたら即刻放り出すからな、ときつく釘を刺され、金時は健気に大人しくしていた。しかし如何せん暇なのである。独り言のつもりで吐いた言葉に反応してくれるのはとても嬉しいのだが、内容と声音がつれな過ぎて何だか泣きたい。

「何かさァ、退屈だし。刺激的なことが起こったらなーとか、思わない?」
「思わねェな。後2ヶ月で終わりだっつーときに面倒起こされて堪るか」

 その言葉は余りに何気なく、耳に飛び込んできたものだから金時は咄嗟に意味を理解することが出来なかった。

「………後2ヶ月って、なに」
「俺の任期は今学期までなんだよ。来学期には産休とってた先生が戻ってくるからな」

 滔々と紡がれる内容に、頭がグラグラした。
 何それ。いや、そういえばせんせーって臨時だったんだっけ。けど、もうずっと、1年以上この学校に当たり前にいて…あ、だからもうそろそろ前の先生が戻ってくんのか。前の先生ってどんな顔だったっけ。思い出せない。せんせーの顔なら目の前にいないとしても簡単に思い出せんのに。でも、もうすぐいなくなっちゃうんだ。そっか。…そっか。それで、忘れちゃうのかな。前の保健室の先生が今思い出せないみたいに、そうだ、卒業くらいになったら。忘れられるのかな。
 ムリだよ。
 ていうか、卒業するまで、自分がけじめをつけるまで、ずっと手の届く場所にいるのが当たり前だと思ってた。莫迦みたいに、そう思い込んでいたのに。違ったんだ。
 そんでせんせーはきっと、その日が来るのを心待ちにしてんだ。こんな風に生徒に付き纏われたりしない日が来るのを。離れたら、きっと俺のことなんかすぐに忘れちゃう気なんだ。

 ―――そんなこと、させない。

 不意に過ぎった思いに愕然とした。
 眼を瞠る。心臓がドクン、と嫌な音を立てた。

「…坂田?」

 急に黙り込んだ金時を不審に思い、回転椅子の背凭れに肘をかけて土方がゆっくりと振り返る。
 その眼を見たら、越えてはいけない一線を踏み越えてしまいそうな予感がして。金時は椅子を蹴倒す勢いでガタリと立ち上がった。そうして脇目も振らず保健室を飛び出る。後ろから聞こえる土方の金時を呼ぶ声と、己の妄執を振り切るように廊下をとにかく走って逃げた。


 どうしよう。

 ひどいことをしてしまいそうだ。







後篇≫


土方先生の任期は金ちゃんが高1の2学期〜3年の1学期くらい。

05.Sep.




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