真冬の寒風がガタガタと窓硝子を揺らしていた。
 いかにも寒そうなその音を耳の端に捉えながら、あたたかな暖房の効いた室内で熱いコーヒーを淹れる。一杯は自分の分で、もう一杯は冬休み明けにわざわざマグカップを持ち込んできた隻眼の生意気な生徒の分だった。しかし、二学期が終わり新年を迎え三学期が始まった今までに変わったことはといえばそれくらいのことしかない。
 銀時の頬を打った手は痛まないし、奴の頬の赤みももうとっくに引いている。そして以前と変わらぬ周期で顔を合わせていた。いつもと同じ曜日に誘いの電話を入れてきた銀時に、土方は普段通り応えた。どちらも、あのときのことを謝ったりなどしない。少なくとも土方は一々蒸し返すことではないと思っていた。不快な気分になるだけだし、謝って仲直りをするなんていう正当な段階を踏まなければならないほど自分たちは健全な関係ではないのだ。
 煙草を噛み締めた土方は蒼系のストライプ模様というこんなところだけ可愛げのあるマグカップを、片目を眼帯で覆っている生徒――高杉に手渡した。それから空いた片手で短くなった煙草を灰皿に押し付け、コーヒーを一口啜る。舌で感じる苦味と喉を通る熱さが僅かに逆立った気分を宥めてくれる。
 濃いめに作られたそれに口をつけ、高杉は眉根を寄せて呟いた。

「砂糖とかねーの」
「ねぇよ。嫌なら飲むな」
「別に、嫌なんざ一言も云ってねーぜ?」

 ないならそれでいいと云って、ひょいとカップを傾け飲む動作が生意気で小憎らしい。だったら最初から訊くな、という言葉を呑み込んで土方は中断していた事務仕事に向き合った。
 高杉は椅子の背凭れを跨いで座り、その上に腕を乗せて何をするでもなく土方の横顔を見ている。放課後の校舎は静かで、暖房の音が聞き取れるほどだった。後はグラウンドで部活動をしている生徒の声と、吹奏楽部の楽器の調べが時折耳を打つ。
 そこへ更に割り込んできた小さな音に、高杉は反射的に足元に置いた鞄へ手を伸ばした。その中に放り込んである携帯電話を引っ張り出してサブディスプレイを表示させる。しかしメール受信も着信もなく、自分ではなかったのかと元の場所に戻して顔を上げると、土方が常以上に不機嫌さを露にした顔で手の中にあるケータイの画面を睨みつけていた。
 それはずっとバイブで振動し続けているのだが、土方はディスプレイを睨んだまま煙草を咥えて銀色のライターで火をつける。それでもまだケータイが震えているのを見て、いい加減観念したらしく親指でボタンを押すと耳に押し当てた。
 何の用だ、と薄いそのくちびるから吐かれた声は機嫌の低さを如実に表している。相手方の声は多少洩れてきているものの、かろうじて男の声であろうと判断できるだけで内容までは聞き取れなかった。尤も、ここで耳をそばだてて盗み聞きをするほど悪趣味ではないのだが。
 土方の返答は短く坦々としていたのだけれど、そうかと思って高杉が傍観してコーヒーを啜っていたら土方は突然声を荒げた。

「は? 今から!?」

 指に挟んだ煙草を思わずへし折って、用無しになったそれを灰皿に放り込んだ土方が素早く腕時計に眼を走らせる。そして隠しもせず露骨に舌打ちをした。やめろだの何だの繰り返し云っているがその度に土方の眉が吊り上がっていくのを見ると、相手の男は是と頷かないらしい。
 ガン、と机に手を突いた土方は深く溜息を吐いて低く呻いた。

「五時までどっかうろついてろ。それまでは絶対に来んじゃねーぞ!」

 それと裏門で待ってろと付け加え、すぐさま乱暴にブツリと通話を切る。そして瞳孔を真ん丸に開かせた凶悪な顔のまま、高杉のほうを睨め付けた。

「高杉、帰れ。すぐに。今すぐ出てけ」
「おーぼー」
「うっせぇ。今日はもう店仕舞いだ」

 立ち上がる素振りを見せずに渋ったが、にべもない土方相手に粘ることができず高杉は仕方なくコーヒーを飲み干してから荷物を拾い上げると重い腰を上げる。空になったマグカップを土方に押し付け、また明日なセンセー、と厭味たっぷりに笑んで告げた。
 廊下に出てケータイの時計を見ると、まだ最終下校時刻でもある五時には早い。
 金も労力もかからないから、下校時間ギリギリまであそこに居座って直接バイトに行こうと計画していたのがおじゃんだ。微妙に余ってしまった時間をどう潰すか考え、面倒くさくなって高杉は特別教室棟の最上階にある図書室に足を向けた。
 ひとも少なく、物音ひとつ立てるのも躊躇われるような部屋で、本を読むでもなく窓際の机に突っ伏す。うたた寝する時間くらいはあるだろうと思いながら顔を向けた窓からは裏門が丁度良く見下ろせた。
 その大きく取られた窓枠の中に、職員玄関から駐輪場を通って裏門に回ってきた土方が現れる。彼は真黒なコートのポケットに両手を突っ込み、ずかずかと早足に進んでいった。顔が見えなくとも、その歩調で怒っていることは一目瞭然だ。
 それが、今まで校門の塀の陰になって見えなかったところから男が出てくると更に速まった。
 おそらく、土方がケータイで話していたのはあの男だったのだと覚る。しかし壁掛け時計にちらりと眼を遣ると、まだ約束の時間より二十分も前だった。
 男は土方の要求に従わなかったのだ。
 そしてそれを土方も予測済みで、だからいつもより早く保健室を閉めたのだろう。
 横暴教師。
 そんな単語が脳裏に浮かぶものの、実際は別にどうでもいいことで気に食わない点はそこではない。

 ―――それがアンタの男?

 土方は男の正面で立ち止まったとほぼ同時に足を振り上げ、硬そうな革靴の底で思い切り胴体に蹴りを食らわせた。しかし相手は咄嗟に身を引いてダメージを軽減させたらしい。大して堪えた様子もないのに大仰に蹴られた腹をさすっている男に、土方は何か怒鳴っているようだった。ここまで声が聞こえてきそうな剣幕で。
 けれど男はこれにも平然としている。人を食ったような横顔で、その男は酷く目立つ銀髪をしていた。
 銀髪は土方の腕を掴んで引き寄せようとし、振り払われている。そうしてそれだけでは引き下がらずにポケットから出された教師の手を迷いのない仕草で捕まえていた。
 あの教師はやはり迂闊だ。徹底できているようで何処かに隙がある。だからこそ、高杉が付け入ることができたのだがこうして他の男に触れられているのを目の当たりにして気分のいいものではない。
 机に突っ伏したまま、高杉は口内で小さく声を零した。



 ―――やめちまえよ、そんな野郎。





性懲りもなく。

07.Jan.




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