コンコン、と窓硝子を叩く音が聞こえてそちらを見た土方は、驚きに眼を見開いた。

「土方さーん、入れてくだせぇ」

 ―――何でコイツがここにいるんだ。
 ダッフルコートを着込み、肩を寒そうに竦めて窓硝子を叩き続けている少年を信じられないものを見るような眼で見る。しかし、抑揚の少ない声も生粋の淡い茶髪もやたら整った顔立ちも、間違えようもないほどに見覚えのあるもので、冷静さを取り戻してきた土方はひくりとこめかみを引き攣らせた。

「早く開けろィ、寒さに震えてる生徒を放置なんざ教師の風上にも置けませんぜ」
「て、んめぇはこの学校の生徒じゃねぇだろーが!」

 乱暴に錠を外し、窓を開け放って怒鳴ると少年はニヤリと口の端を吊り上げた。
 持ち前の運動神経で窓枠を軽々と乗り越えてきた少年に、土方は泥に汚れたスニーカーを指差して脱げと忌々しげに云う。その言葉には素直に従った少年は、あたたかな室内で着ていたコートも脱いで鞄と共に診察台の上に放り出した。
 焦げ茶色をしたそのコートの下は、この高校の制服である学ランではなくブレザーである。幾らコートを羽織っているとはいえ、それでよく堂々と校内に入ってこれたものだなと土方はいっそ感心してしまう。元いたキャスター付きの椅子に再度腰を下ろして、年の離れた幼馴染を見上げた。

「何しに来た、総悟」
「お悩み相談でさァ」
「はぁ?」
「保健室ってのァ怪我人病人だけじゃなく悩める青少年の悩みを受け止めてくれる処でもあるんじゃないですかィ?」
「俺に悩みを相談しようなんざ思う奴は滅多にいねェがな」

 モテない男の苦悩が先生に分かるかァ!と八つ当たりされて聞き流したことはあるが。
 それでなくとも、今でこそ土方が一人暮らしをはじめたせいで家は近くないものの昔から何かにつけて土方の頭を痛くさせるサディスティックな言動ばかりとってきた少年――沖田総悟の悩みなんて予想も付かないから酷く面倒くさい。どうせ、ロクなものではないのだろう。

「じゃあ俺が記念すべき第一号ってことで。あ、部外者に入ってこられちゃ困るんで表に不在の札掛けてきまさァ」

 そう云って廊下側のドアに靴下のまま平然と歩いていく沖田の背中を見て、お前が部外者だろ、と突っ込む気にもならず土方は脱力して溜息を吐いた。
 足音を立てず土方の正面に戻ってきた沖田は丸椅子を置いて座り、きょろ、と辺りを見回してから感情のほぼ窺えない無表情で口を開いた。

「茶の一杯くれぇ出ないんですかィ」
「出ねェよ。寛ぐ気でいんじゃねェ。で、悩みってのは何だ」
「いえね、うちのクラスにいけ好かねェ奴がいるんでさァ。何かっていやァ暴力振るってくる凶暴女なんですけどねィ、」
「お前、それに仕返したりしてねェだろうな?」
「何なまぬるいこと云ってんですかィ。やられたら三倍返しは基本ですぜ?」
「……手加減しとけよ」
「嫌でさァ。それでね、そいつが今日突然自分にはカレシがいるからもう突っ掛かってくんなって云ってきたんでィ」

 いつも突っ掛かってきてるのはあっちのクセにですぜ、と付け加えて沖田はまだ幼さの残る整ったかんばせにほんの少しだけ不愉快そうな色を混ぜる。
 その僅かな、珍しい変化が意外で土方は何ともいえず微笑ましい気分になった。からかっていると受け取られそうなので表情には出さなかったが。

「ほお。それで何だ、大人しく引き下がるべきかどうかってトコか?」
「下がるも下がらねェも俺ァ別にあんな暴力女のことなんざ何とも思ってやせんし、土方さんのトコに来たのは別の理由ですぜ。あのチャイナがね、自分のカレシは年上で銀髪だって云ったんでさァ」

 そのキーワードに、ぎくりと心臓が嫌な音を立てた。
 脳裏に否応なく結ばれる像を土方は眉ひとつ動かさずに振り払い、いつもの低い声音で嘯く。

「その年でジジイ好みってことか?」
「いえ、年上と云っても二十代らしいですぜ? 俺ァその、銀髪の若い男ってのに引っ掛かりやしてね。明日の放課後学校まで迎えに来るから見てろって豪語してたんで嘘じゃなさそうですし、それにそんな男をアンタん家で一遍だけ、見たことある気がしたんでさァ」

 嫌な予感ほどよく当たるというが、こればかりは外れてほしかったと思う。あの男の影がこんなところでも付き纏うことを思い知らされて、とてつもなく煩わしかった。
 たまたま沖田が遊びに来ていたときに、何かにつけて土方の家に入り浸りたがる銀髪の男――銀時が押しかけてことが一度だけあったのだがそれがこんな形で影響してくるなど誰が予想できようか。笑えない。
 あのとき銀時は即刻追い出したのだが、何しろあの派手な外見である。沖田の空っぽな頭にもしっかり残ってしまっていたらしい。

「世間ってのは案外狭いもんですからねィ、もしかしたらと思って訊きに来たってわけでさァ。何か知りやせんかィ?」
「世の中にンな酔狂な外見した奴がふたりもいるとは思えねェが、俺ァ別にアイツの私生活何でもかんでも知ってるわけじゃねぇんだよ。だから生憎とテメーが知りたがってる情報はねェな」

 言外に沖田の喧嘩相手の話が本当かどうかは知らないと含め、土方は白衣のポケットから取り出した煙草を咥えた。そして丁寧に扱っていないものだから細かな疵のついた銀色のライターで火を灯す。
 沖田は特に落胆した様子も見せずほぼ無表情のままで土方を見返した。

「そうですかィ。まぁ、あんなまな板女にカレシなんざちゃんちゃらおかしいですけどねィ。生意気でさァ」
「なんだ、羨ましいのか?」
「土方さんのカレシになるより面白くない冗談ですねィ」
「それァ笑えねェな」

 よっと反動を付けて椅子から立ち上がり、コートに袖を通しながら沖田が無感情な声で切り返す。その言葉に土方は紫煙を吐き出し、喉で笑った。
 話に出てきた銀髪の男が本当に銀時と同一人物であるのか、確証は何処にもない。しかし、何となく別人ではないような気がした。
 ―――未成年か。そりゃ手は出せねェわな。
 別に、身代わりにされていると思ったことはないのだ。そもそも、あの男の本心を見たことがない。あの濁った双眸と酷薄な言葉から窺い知れるものなどなくて、何も理解できないから。
 唯、そこにあるのが欲だけであるということだけは分かる。嫌というほど、躰に刻み込まれている。
 行為にはいつも感情が伴わないのだ。
 深く立ち入らないことが最初に交わした契約で、土方もそれを利用している。

「オイ総悟。明日、本当にその白髪野郎が来たら教えてくれよ」
「おや、やっぱり気になりますかィ?」
「ああ」

 紫煙の立ち上る煙草を指に持ち替え、土方はニヤリと殊更性悪に笑んだ。

「本当にあの野郎だったら思いっきり笑ってやろうと思ってな」





大切にされていないことを知っている。

07.Jan.




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