* SHORT SHORT STORY 2 *


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過去のweb拍手御礼短文やその他小ネタ。
≫目覚め/銀時×土方

 傍らに誰かのあたたかみを感じて目覚めたのなど、どれくらい振りだろうか。
(いや、こないだ寒かった日に神楽が潜り込んできてたな)
 それで掛け布団を奪われ、自分は陽も昇らぬ早朝にくしゃみで起きたのだ。
 そのときの悪寒を思い出したわけではないが、体温を隙間がなくなるように引き寄せて腕の中に閉じ込める。身じろいで漏れた寝息が素肌に触れた。それにくすぐったさを感じながら重力に従順に、さらりと垂れる黒髪を何度も梳いてやる。布団は被っているけれど素っ裸なのに全然寒くないことが恥ずかしいとも思うが、これはこれで心地いい。
 何しろいつもなら夜が明ける前に彼は銀時を残して消えてしまうのだから。
 なのに今日は一体どういった心境の変化だろうか。いや、銀時がこれだけ熱心に視線を送っていても眼を覚まさない辺りを見ると、単に疲れきって熟睡しているだけなのかもしれない。
「無理させすぎたか?」
 涙の跡が薄っすらと残る頬を撫でて、小さく呟く。
 けれど、拒絶はなかった。抱き寄せてもキスしてもそれ以上に及ぼうとしても、珍しく悪態のひとつも吐かれなかった。その時点で既に抵抗する気も起きないほど疲れていたということは、ないと思う。だったら最初から銀時の家に来たりなどせず寝てろという話だ。
「多串くーん、何があったの…?」
 頬杖を突いてぼんやりと独り言を云えば、言葉は朝の空気に白く濁った。
 そして独り言だったから、それに対して返事が返ってきて銀時は大層驚いた。
「だれ、かと抱き合って寝たかっただけだ」
 ―――誰かって、何! 誰でも良かったってことですかコノヤロー!!
 寝起きの掠れた声でとんだ爆弾発言をかまされ、思わず内心で叫ぶ。かなりショックで、元から白い…いや銀色の髪が白くなるような衝撃を受けている銀時の顔を土方は見上げて、あろうことか鼻で笑った。
「嘘だよ」
「なっ! おまっ、お前その一言で俺がどんだけ疵付いたか分かってんのか!! 一瞬俺って遊ばれてる?って思っちまったじゃねーか、つか実際ちょっと違う意味で間違ってねェじゃねーかチクショー!」
 銀時が一息に捲くし立てても、土方は意地の悪い笑みを引っ込めず肩を震わせていた。
 ―――ああもう、俺ってば弄ばれちゃって可哀想。
 これ以上怒る気になれなくて深い深い溜息を吐いて銀時がガックリ項垂れると、少し離れた距離を埋めるように土方が圧し掛かってきた。また予想外の展開に銀時はもう言葉も浮かばない。
「あー…、えーと、多串くん?」
「オメーと抱き合って寝たかったってのが、ホントウ」
 したり顔で笑う土方に、今この手に持っているのなら白旗を揚げて降参の意を示したかった。
 参りました。考えを改めます。
 目覚めたとき傍らに感じるぬくもりは他の誰でもなくお前がいい。




≫豹変/山崎×土方

 一体何がスイッチを入れてしまったのか分からない。
 唯、そういう空気になってしまって土方はギクリとした。
「副長…」
 待て。
 待て待て待て待て。
 ひたと視線を合わせたまま土方は息を呑んだ。手が畳の上を滑る。無意識に後退りしようとしている。気付き、茫然と硬直した頭で、何故、と。山崎の顔を直視できず眼を逸らす。
 堂々とは云えぬが、山崎とは上司と部下という間柄だけでなく恋人と呼んでいい関係を結んでいる。だから子を孕むことは永劫ありえないと分かっていても性交渉に及びたいという欲望もまぁ、相手を想えばのことで否定はしない。男女間でだって快楽や相手の気持ちを確認する為だけに交わるのだ。無意味にも有意義はある。
 そうとは思っているにも拘らず土方は怯んだ。
 犯される。
 実力行使に出られても撥ね除けてやる自信があるのにそんな単語が脳裏を掠めた。
 バカバカしいにも程が。山崎ごときに何を恐れている。怯えることなど、ないだろ。それでも山崎の雄の眼に、躰が震えた。口を開き、はくと喘ぐように呼吸する。眼が乾いて痛い。けれどここで瞬きをすることは決定的な間違いを犯すようで土方はどうとも動けなくなってしまう。
 押し倒されるのか引き寄せられるのか。分らないままに距離が縮まって感じるのはひらすらに危機感。紅い警告灯。ちかちかと急かされて必死に制止を吐き出す。
「ちょっ…待て!」
「待てません」
「てめ……ッ」
 口答えされた上、口に噛み付かれる。土方は顔を固定する手の意外な大きさに動揺して眼をきつく瞑った。
 ヤバイ。
 駄目かもしれない。
 いつになく強引な山崎に靡きそうになる。溺れないように息を吸った。そしたらふわりと白粉の匂いがして、そういえば今日まで遊郭へ密偵にやっていたのだと思い出す。
 何となく、この事態を引き起こした要因を悟った。
「待てっつってんだろうが…!」
 あんな安っぽい雰囲気に中てられやがって莫迦が!
 ずっと閉じていた眼を開くと焦点がぼやける。それでも山崎がやたらと切羽詰まった表情をしているのは分かった。しかしそれにしたって顔が近すぎる。土方は不機嫌に眉根を寄せた。
「お願いです、副長。俺……俺、もう」
 ぎゅぅっと痛いほどの力で抱き締められる。いや、これは最早拘束といって良い。

「もう想像だけでヌくのは厭なんです」

 酷く追い詰められた声で何を云うのかと思えば、大真面目にそんなことを告白するものだから土方は莫迦らしくなって気が抜けてしまった。
 目許を手で覆い、嘆かわしげに吐息すると山崎がおそるおそる顔色を窺ってくる。それはまるで従順な飼い犬のように。
「いい、ですか?」
「……仕方ねェな」
 これが、人の眼を欺くことに慣れた男の演技でなければいいと思いながら、土方は許可をくれてやった。




≫もらいもの/銀八×土方

 手のひらを天に向けて、手相を見せるみたいに差し出された。
 曰く、煙草を一本分けろと。
「自分のはどうしたんですか」
「教頭に喫煙室以外で吸ってたトコ見付かって取り上げられたんだよ」
 生徒ならともかく、教員が煙草を没収されるとは情けなくないのか。
 土方は口許の煙草を隠そうともせず担任教師である男と向き合いながら思った。
 屋上の強い風に攫われて紫煙が横へ横へとたなびく。その先を追うようにそっと視線を逸らして、土方は学ランのポケットを探った。すぐにぶつかる煙草のパッケージを教師へと放り投げる。それをキャッチして男は満足そうに笑んだ。
「さーんきゅ」
「今回だけですからね」
 喫煙を黙認してもらっているから、これくらい別に構わないのだけれど。しかし多くない小遣いで買っている税金ばかりの高い嗜好品だ。そんなにしょっちゅうたかられては敵わないので一応釘を刺しておく。
「土方ァ、火も」
「ライターまで没収されたんですか?」
「いや、面倒だから。あ、こっちでイイよ」
 学ランの襟を乱雑に掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。思わず食い縛った歯で煙草を潰すと、僅かに揺れたその先端に新しい煙草が押し付けられる。焦げる音が微細に、しかし妙に大きく耳を打った。
 火がついたのを確認して、教師は手と躰を離す。そして笑った。何が面白いのだろうか。
「今度はこれなしでしたいね」
 これとは煙草のことだろうか。ちらりとそう思うが、男の真意を土方は意識して考えないようにした。
 はー、と蒼く気持ちいい空に向かって灰色の息を吐き出した教師が、教師らしからぬ顔をしてしみじみと云う。
「土方はまだまだ子どもだねェ」
「はい?」
「コレ、子ども騙しみたいに軽い」
 そういう、意味の、笑いか。
 カッとする頭で、お前のが重すぎるだけだと思ったが何も云わない。まだ吸いはじめてからの月日が短いからだと云うのはあからさまに悔しがっているようで癪だった。
 ムッと押し黙るしかなくなった土方を後目に教師は一服を済ませ、煙草を落として便所ゲタの底で踏み潰す。
「じゃあ、ありがとね。お礼にいつか、俺のも吸わせてやるよ」
「そんなお礼別に要りません」
「まァ、そう云うなって」
 屋上から校舎へと戻る扉を開けた男が、酷く意味深に口を斜めに吊り上げた。
 今まで見たことのない、土方の脳内に警鐘を響かせるようなその笑みが陽光のあたたかさを掻き消してしまう。
「でも、キツすぎて泣いちゃうかもね」
 どうしても、それが煙草の話には聞こえなかった。




≫お名前は?/土方×神楽

 積まれた未処理の書類の上に見つけたのは一枚の紙だった。
 地球で暮らしはじめてそれなりの月日が経った神楽は、それが領収書というものであることは知っている。万事屋でも銀時がたまに依頼主に渡しているのを見るから、間違いなかった。
 だから今注目すべきはそこではなく、それの名前が記される欄に並んだ文字である。
 土方十四郎。
 漢字にまだそれほど明るくない神楽には、どう読んでいいのか分からない。
 けれど多分、この部屋の主である黒髪で常時瞳孔が開き気味の男の名であろうと当たりをつけた。
 ―――ひぃちゃんの名前はこんな字をしてるアルか。
 こうしてちゃんと眼にしたのははじめてであるように思う。しかし、何と読むのだろう。最初二文字は名字だろうからヒジカタだと推察されるが、名前のほうは頑張ってもジュウヨンロウである。この呼びにくさはいかがなものかと思わざるを得ないし、親のセンスを疑わなければなるまい。
 ここで白旗を揚げて本人に訊くのは簡単だが癪なので、神楽は腕を組んでうーんと唸った。
 奴は土方としか名乗らなかったし、銀ちゃんの云う多串は違うらしいし、茶髪のムカツク野郎は土方さんとしか呼ばないから使えない。隊士たちが口にする副長は、工場長とかと同じで名前とはちょっと違うものだし。
 ―――そういえば、ゴリラが呼んでた名前はどれとも違ったネ。
 はたとそんなことを思い出して、詳細を思い出すべく神楽はまた唸った。

「…………トシ?」

 ドガシャッ

「おまっ、な…、なんだよ!」
「ひぃちゃんこそ何だヨ。何でそんなに動揺してるアルか。」

 ぶちまけた書類と、それにシミを作っていく倒れた湯飲みから流れる茶の始末に慌てている男を幾分か冷めた視線で見遣ると、即座に反発が返ってくる。

「してねぇ!」
「してるネ」
「うっせぇ!」
「コレ」

 会話の流れをぶっちぎって、ずいっと件の紙を突き出すと土方は訝しげに眉根を寄せた。それと共に眇められた鋭い双眸にもよく映るように、神楽は氏名欄を指で示してやる。

「ひぃちゃんの名前ネ。何て読めばイイ?」
「……ひじかたとうしろうだ」
「とうしろう? それでトシアルか?」
「文句あっか」
「ないヨ! とうちゃんよりはトシちゃんのほうがいいネ!」
「そりゃあそうだろうな…」

 完璧に父ちゃんと同じアクセントで発音した神楽に土方は脱力して答えた。




≫意地悪/山崎×土方

「意地悪」
「横暴」
「見栄っ張り」
「短気、」
 ゴツンと頭を殴られる。山崎はうめいてグラグラと痛む頭頂部を手で覆った。刀を扱う男の拳は喧嘩慣れしているのかやたらと痛い。
 書類処理の手を止めて振り返った土方の怒りに吊り上がった眼をじっと見上げ、山崎はくちびるを尖らせた。
「痛いじゃないですか」
「あアん?!」
「図星指されただけで殴らないでください」
「俺ァ単に煩ぇのが気に障っただけだ。てめーが悪い」
 だったら一言でも注意すれば良いのにいきなり殴りつけるなんて、やっぱり横暴だ。といってもそんなことは今更に過ぎるのだが。
 そこで、ピンとひとつの案が山崎の脳裏に閃いた。此方に背を向けて再び書類に集中する土方を見て、すっと息を吸い込む。真剣な声音を作るのは得意で、本心を語るのに羞恥はない。
「好きです」
「好きです」
「大好きです」
「副長のことが、」
「ずっと好きなんです」
 さっきより多く、何度言葉を紡いでも今度は拳が飛んでこなかった。
 土方の赤く染まった耳に気付いた山崎は己の企みが成功したことに満足し、声を出さずに笑った。けれど何も言葉を返してくれないのは、やはり意地悪だと思いながら。




≫嘘吐き/銀時×土方

 ―――好きとかそういうんじゃねェけど、ほら、躰の相性ってあンだろ? 偶々ヤってみたら何か良かったから続いてるってだけで……って、モテねーとか云うなよ。モテねーとか。ヤロー相手に性欲充たして寂しくねェのかよってお前だってそうだろうが。自分だけ特別だと思ってんじゃねーぞコノヤロー。
 瞼の半分垂れ下がったような、無気力な男の無気力な言葉が脳裏にリピート再生される。そしてそれに対し思い付く言葉は唯ひとつだ。
 嘘吐き。嘘吐き。嘘吐き。
(あんな餓えたツラして、)
 克明に思い出す、額に浮かんだ汗を拭うこともせず土方を見下ろす銀時の表情。嬌声になっても良いからヤメロと叫びだしたくなった瞬間。地獄に堕ちると宣告されたとしてもあれほどに恐怖を、後悔を、感じはしなかっただろう。
 深みにハマるな。遊びを棄てるな。本気になるな。
 そんな、そんな――総てを手に入れたいと囁くような眼の色を覗かせるな。
(好きじゃねェって云われるほうが困ンだよ)
 逃げられないではないか。拒絶できないではないか。こっちにまで、熱が伝染してくるではないか。
 クソッ、と小さく罵って煙草のフィルタを噛み潰す。手のひらで目許を覆い隠し、眩む視界を誤魔化してやり過ごした。

(嘘でイイから、好きだって云えよアホンダラ)

 そうでなければ永遠に影の踏み合いで、俺らは何処にも行けなくなってしまう。



≫お子さま/土方×神楽

「子ども扱いするの、やめるネ」
 云うと、さっきから黙々と書類にペンを走らせていた男が肩越しに視線をチラと投げ掛けてきた。
 不可思議な生態不詳の生物を見るような眼。
 男――土方にはきっと神楽の心情など露も理解できていないのだろう。それが男と女の、そして大人と子どもの違いだと神楽は思う。この場合には種族の違いは関係無いだろうから、きっと、自分たちが理解し合えないのはその所為なのだ。
 何処で神楽の好物だということを知ったのか、いつもお茶と一緒に出されるようになった酢昆布を齧って男が何か言葉を発するのを待つ。関心を引かれた様子もなく視線を書面に戻してから、彼は溜息を吐いた。
「…その薄っぺらな躰がマシに成長したら考えてやるよ」
「ひぃちゃんは私の躰だけが目当てだったアルか!?」
 殆ど平らといっていい胸を押さえ、神楽は元から真ん丸な瞳を大仰に見開く。思わずずっこけた拍子に思いっきりデタラメな線を引いてしまい、書き損じた書類を握り潰して土方は語気を荒げた。
「違ェし! 少なくとも外見が餓鬼じゃなくなったらってこった!」
「銀ちゃんと同じこと云われても面白くないヨ」
「つまらなくて結構。大体なぁ、ンなこと云わなくてもそのうち嫌でも大人になんだよ。だから今は餓鬼に甘んじとけ」
 そのほうが得だぞ、と大人の男は云う。例えば、窓から侵入しても対して怒らずに苦笑で許してくれる、などだろうか。―――それは何度叱りつけても懲りない神楽に根負けしただけかもしれないが。
 子どもで良かったと思うことも確かにある。自分は捻くれ者ではないから、甘い顔をされるのは嫌いではない。
 けれど、幼子を宥めるようにわしゃわしゃと乱暴に頭を撫でる、その色気が欠片もない土方の手付きに、神楽はやっぱり大人になりたいと思った。
(しかしそれで酢昆布がもう貰えなくなるのなら困る)



≫二月一四日/神楽×土方×神楽

「コレあげるヨ」
 ぽん、と何ともまぁ気楽に渡されたものを見下ろして、土方の思考は一瞬硬直した。目の前にいる桃色の華やかな毛色をした少女に何かを貰うことなど初体験だったから、というそんな些細な理由からではない。手の中には10円20円で買えそうな小さなチョコレイト。今日、それを男に渡す意味を神楽が知らないワケがないだろう。この少女はやたらとテレビが好きだ。この時期に30分でもテレビを見ていれば今日のことが話題に挙がらない筈がない。
 毎度のように屯所に不法侵入し、土方の仕事部屋に窓から入り込んでくる神楽を咎めることも忘れ、暫し茫然としてしまった。それは、少女と自分とは殆ど間接的な関わりしか無いからとか一回り以上も年が離れているからとかではなく、どうも、義理でもそういうことをするタイプではないと思っていたのだ。
「…どんな天変地異の前触れだ?」
「ひぃちゃんの反応を見てみたかったネ」
「悪趣味だな、お前」
「いちばん面白そうだと思ったアル」
 銀ちゃんにあげてもビックリした後に喜ばれるだけネ。
 そんなのは面白くない、と仁王立ちでキッパリ云ってのける少女を胡坐に片肘を突いた体勢で土方は見上げた。
(そりゃァ、そうだろうな…)
 糖尿病も深刻らしい神楽の保護者兼雇い主の甘党っぷりを思い出す。あの男がチョコを喜ばない筈がない。そして自分は、甘いものはあまり得意でなかった。正直、酒や煙草やマヨネーズのほうが断然美味いと感じるのだ。チョコにちらっと視線をやり、土方はその手を神楽に差し出す。
「要らねェ。お前にやる」
「私の気持ちが受け取れないって云うつもりアルか!」
 芝居がかった風に神楽が憤然とした。短くなった煙草を灰皿に押し付けて揉み消し、土方は思う。
 気持ちがどうとか云うより先に。
「お前なァ…自分がどんな顔してんのか分かってんのか?」
「ドンナ?」
「羨ましそうな顔。今にも涎垂らしそうな、な」
「なっ、レディに向かって失礼ネ! そんな顔してないヨ!!」
「はぁん、そうかい。じゃ、やっぱやらねェ。俺が食ってやる」
 何処かからかうような意地の悪い顔をして、土方は手早く包み紙を剥がす。カラフルな包装の中から表れた艶やかな褐色のチョコに神楽は思わず視線を引き寄せられた。ふっと土方の手元を見てしまい、それに気付くと悔しくて奥歯を噛む。骨ばった男らしい手が、いやにゆっくりとした動作でそれを取って口許に運ぼうとする。
 長くすらりとした指に摘み上げられたチョコレイトは、何故だか堪らなく美味しそうに見えて。神楽は負けを認めた。
「やっぱり食べたいネ!」
 云うが早いか、がしっと土方の手を掴む。
 急に腕を――少女の外見からは予想もつかない力で――引っ張られて横目に神楽のほうを向いた土方は眼を見開いた。バランスを崩しそうになって慌てて片手を畳に突く。
 その間にチョコレイトは土方の手から奪われた。神楽の口に。
「おっ前…ッ、もっとマシな食い方があるだろうが!」
「こっちのが手っ取り早かったヨ」
 土方が何故焦るのか分からずきょとんと首を傾げ、神楽は口内で甘く蕩けるチョコレイトを大事に咀嚼した。しかし小さなそれはすぐに無くなってしまう。こんなことならもっと大きいものを銀時から貰って(盗んで)くるんだったと神楽は思った。
 はぁ、と土方が呆れきったような疲れきったような嘆息を吐く。何がいけなかったのか、問おうとしたが教えてくれない気がしてやめた。この男はいつもそうだ。神楽を子供だと思って何も教えずはぐらかす。
 脱力して畳に垂れた土方の指先に、僅かだけチョコレイトが溶けて付着しているのが目に付いた。触れればひやりと冷たいその手にも固形を溶かすだけの体温があるのかと思うと変な感じだ。両手で包み込んで土方の大きな手を持ち上げた。舌をぺろりと出してチョコを舐め取る。
 驚愕した男に神楽は笑いかけた。

「ひぃちゃんの指も甘いアル」



≫朝/銀時×土方

 洗面所で歯を磨いて、部屋に戻ってくると布団の上でぼんやり躰を起こしている男が眼に入った。
「あれ、多串くん起きたんだ」
「腰がだりぃ…」
 目覚めの挨拶のひとつもなく、向けられた非難がましい眼差しは大層鋭く、グッサリと突き刺さる。
 寝癖で二割増しの天パを乱暴に掻き乱しながら昨夜の己の所業を顧みると、云い訳しか思い浮かばなかった。
「だぁってよォ、次の日オフとか云われたら止まれるわけねーじゃん」
 それに、お前もノリノリだったっしょ?
 足した一言は分かっていたが余計だったらしい。殺気100%で飛んできたティッシュ箱を間一髪で躱す。
 男は忌々しげに大きく舌打ちして、それから何もかもどうでもよくなったような嘆息を吐いた。いつも大概煙草を咥えている口から発せられる声は、心成しか掠れている。
「責任取れ」
「…俺の希望としては教会より神前なんだけど、」
「違ェしこのウスラボケ! 手を貸せってェことだよ」
「ああ。何だ残念」
 差し伸べられた白い腕を掴んで引き上げようとしたら、思いがけず逆に力を込められてつんのめる。慌てて男の両肩に手を突いて転ぶまいとすると、今度は襟に手を伸ばされた。
 そこに顔が近付いて、鎖骨の上の薄い皮膚に噛み付かれた。
「イ…ッテェ!! 何すんだよ!」
 確実に歯形が残ったと思える痛みに男を引き剥がす。
 と、男は意味ありげにゆるりと眼を細めた。
「浮気防止」
「…………マジ?」
 思いっきりポカンとした間抜け面を曝してしまって。

「ウソ」

 鼻で笑われた。



≫午前/土方×神楽

「ひぃちゃん、遊ぼ」
「遊ばねェ」
 ホッチキスで束ねた書類をパラパラ捲っていた男のにべもない返答に、ふっと時間が抜け落ちたような沈黙が落ちる。あまりにスッパリと云い切られたので咄嗟に反応できなかった少女が、一拍遅れて憤然と腕を振り上げた。
「ちょっとくらい悩めヨ! アッサリ断り過ぎネ!!」
「俺ァ仕事してんだから悩む余地ねーだろ。つーか窓から入ってくんのやめろ」
 午前の冷たい風が吹き込んでくる窓をピシャリと閉め、今度からはきちんと鍵を掛けておこうと心に決める。書類の最後の一枚にペンを走らせて横に避け、未処理の山に手を伸ばそうとしたら、一瞬早く小さな手がその頂上を押さえた。
 苛々と、煙草のフィルターを噛み締める。
「手を退けろ」
「つまんないアル。構わないと此処にある書類で紙ヒコーキ作るヨ?」
「や・め・ろ」
 子どもに云い聞かせるよう一音ずつ区切って、本当に悪戯しかねない両腕を捕まえる。書類に妙な折り目をつけられ、あまつさえ飛ばされたりなどされては堪ったものじゃない。悪乗りされると困るから口にはしないが、機密文書だってここには積んであるのだ。
 少女は、振り向いて上目遣いに男を見上げ、ニィっと笑った。
「キスしてくれたら大人しくするネ」
 ぐらりと、後ろに引っ繰り返りそうな眩暈を男は確実に感じた。
 うっかり意識さえ遠退きそうな疲労感だ。両手が塞がっていなければこめかみを揉んで頭痛を追い払いたかったが、眉間に力を込めるだけで我慢する。
「マセ餓鬼が」
「失礼アルよ。立派に女ネ!」
 だったらこんな猿の蚤取りみてェな体勢になるかよ。
 そう思うが捨て鉢になってツっこむ気にもならない。重い息を吐いてから男は少女の軽い躰を反転させ、片手でやや乱暴に抱き寄せる。大きな蒼い眸が零れ落ちそうに見開かれていたのに溜飲を下げて口吻けを落とした。前髪を払い、額に。
 そしてすぐに少女を離して、元のように文机の書類に向き直る。
「……意気地なし」
「餓鬼に出す手を持ってねぇだけだよ」
 これ以上邪魔するなと仕事をする男の背中は云っていた。



≫午後/沖田×土方

「総悟」
「……」
「総悟!」
 インクの出ないペンを机でトントン叩きながら声を荒げた。
 しかし、さっきからずっと背中に背中をくっ付けたままの男から返事はない。肩越しに窺うと例のふざけたアイマスクをつけているようだったが、微妙に調整された掛かる体重の加減で寝てないことは分かっていた。
「総悟!」
「総悟くんは昼寝してまさァ」
「明らかに嘘を吐くなァァァ!!」
 血管の一本や二本、ブチ切れてそうな形相で背中の男に肘鉄を喰らわせる。
 それで取り敢えず、一時的には退けることができるのだが、気を抜くとまた背凭れにされた。もう何度似たようなことを繰り返したか。全くもって埒があかない。
 こうなれば多少重いが仕方ない、我慢しようと諦めの息を吐いた。

 声を掛けてこなくなった男を、アイマスクを額にずらして見遣った。
 小柄な自分より広い背中。そこは背を預けていると布越しに意外なほどあったかい。このぬくもりを知れば誰も彼を冷血漢などとは云うまい、と愚にも付かぬことを考える。
 横目に見える、白い項が眼に眩しかった。全体的に色素が薄いせいで日に焼けにくい自分とは違う質の、すべらかな白さだ。それが、短い黒髪の襟足から覗く。
 隊服などというストイックな衣服を纏っているときほど、男の僅かに露出した肌と空気は奇妙に色気を帯びていた。タチが悪い、と思う。だがそれを忠告してやる気は更々なかった。
 男の誘惑を瞼で遮断する。呟きは小さ過ぎて聞き取れまい。

「喰い千切りてェ」



≫夕刻/高杉×土方

 夕暮れの光に細く長く落ちる影を踏み付けるように足を進める。咥えた煙草は完全に噛み潰していた。だが、それでも腹の底から突き上げてくるような感情は収まることを知らない。
 その抑制されない殺気に似た只ならぬ雰囲気に、通りを歩いていた時には人はみな彼を遠巻きに避けていった。今はぐねぐねと曲がりくねった人気のない裏路地を歩いて、荒れ果てた廃墟があるだけの敷地に入り込む。風雨に曝され腐った板が今にも抜け落ちそうな縁側に靴を履いたまま上がり込んで、声を張り上げた。
「オイ、いるんだろう……高杉!」
「何だ、お気に召さなかったか」
 陰湿な笑いを含んだ声に、気に入るも入らぬもあるものかと吐き棄てる。
 のっそりと奥から現れた、包帯で片眼を覆った男にずっと手に握り締めていた煙管を突き返した。
「こんなモン屯所に送りつけてきやがって、何のつもりだ」
「別に。何も企んじゃいねェよ。唯の土産だ」
 男はそう嘯いて、女物のような派手な着物を緩めに着崩している肩を竦める。そこに裏はないのかと勘繰らずにはいられなくて、つい胡乱げに片眼を眇めた。
 用心の為、屯所に届いた物は個人宛であろうが総て中身を検められる。手配書や資料の中に高杉晋助は煙管を愛用しているなどとは書かれていないし、感付かれることは万にひとつもないとはいえ、軽率な行動ではなかろうか。警察組織をナメているのか、絶対に捕まらない自信があるのか、度の過ぎた酔狂か。どれにしても、大差はないのだが。
 それよりも、ならば何故真選組副長である自分がそんなことを知っているのか。そちらのほうが問題だろう。本来自分たちは追う者と追われる者だ。だから今この瞬間こうしていることでさえ、特異な状況であるというのに。
「俺がつけてやった火傷はもう消えちまったか?」
「…………」
 ク、と口を斜めに歪めて男は嗤う。
 チリ、と完治した筈の煙管に灼かれた痕が疼いた。
 善くない徴候だ。この焦らすような痛みは躰の芯をじわじわと焙る。熱がこもって紫煙を吐けなくなった。
 男はそんな微細な変化も見逃さず、いやらしい笑みを纏う。

「なァ、裏切りってのは存外甘ェだろう?」

 否定する言葉を、土方は持たない。



≫夜/山崎×土方

 紅い光がすっと上昇する。それが止まると、蛍のように一瞬光が強まって、萎む。
 屯所の中庭の端にそんな煙草の火を見つけて、下駄を突っかけ地面に下りるとそちらに足を向けた。そして自分の存在を主張するように、はっきりと声を掛ける。
「副長、何してんです?」
 呼びかけに男が自分のほうを向いたのが、彼の咥えている煙草の火で分かった。男が立っている処は壁と塀で角になって、落ち窪んだような暗がりだ。夜の闇そのままの暗さで、表情はまるで見えない。
「…此処は、星が見えねェな」
「ああ、空見てたんですね」
 彼の一言で総てを心得て云う。意外に風流なものが好きなこの男には、遠くのけばけばしいネオンで夜も不気味に明るい空は気に入らないのだろう。何処となくくすんでもいるし、故郷のような満天の星空など望むべくもない。
 男の指先から離れて落ちた火は靴底で踏み躙られた。しかし片時でも無ければ落ち着かないらしく、すぐに新たなものを咥え、ライターを擦る。
 あたたかな光が男の端整な容貌を浮かび上がらせたが、また夜が押し寄せてきて沈んだ。それでも暗順応した視力は男が言葉と共に紫煙を吐くのを捉える。
「誰にも云うなよ」
 彼は、男が夜空を眺めているのなんて恥ずかしいことだと思っているのだろう。だけど、自分には誤魔化したり隠し立てしたりせずに此処にいる理由を教えてくれたことが嬉しかった。
「分かってますよ」
 男と肩を並べて自分も夜空を見上げてみる。チラチラと点滅しているのは残念ながら星ではなく天人の船の灯りだが、空に雲は少ないようだった。風も乾いて冷たく、不穏なにおいがない。
「明日は晴れますね」
「そうか?」
 あんまり信用しているのではない、興味なさげな声に胸を張って答える。

「ええ。イイことがあった次の日はいつも晴れるんです」