金時×土方/No.1




 餌をあげて。
 遊んであげて。

 さて次は何をしようか。







     Ich will ...3 我は欲す





 この街を埋め尽くす夜の空気は、浮ついているのにいつも何処か濁っている。
 自分にお似合いすぎて少し嫌な気分になるそれも今日は気にならず、ちょっと上機嫌で出勤したらアゴ八、もとい見事なケツ顎の新八に視線で咎められた。新八は、金時が機嫌を良くしている理由を知っているからであろう。ひとでなし、とでも思っているのかもしれない。全くもってその通りであるから反論できないのだけれど。
 拾ってきた神楽に条件付で譲ってもらった男。
 出掛けにも少し遊んできたのだが、アレの反応は存外に金時を喜ばせる。決して媚びない感じが、いいのだ。
 それでも仕事になればいつもと変わらない態度で客に接していると思っていたから、今日は何かいいことがあったの、なんて訊かれたときには少し驚いた。

「そう見える?」
「だって、とっても愉しそう」

 何でだろう、久し振りに会いに来てくれたから無意識にテンション上がってるのかな、とかチープな科白を吐き、金時は少しの照れを隠すような笑みを計算して模る。そう云われれば悪い気はしないのか女はくちびるを綻ばせるが、それが本当の原因ではないと分かっているようだった。
 そんなにも分かり易くツラに出ていたのだろうかと思うと、まだまだ力不足だなと身に沁みて感じる。そのせいで相手に気分を害されたわけではないのがまだ救いではあるが。

「ねぇどんなことがあったの? 聞きたいな」
「……似合わないとか、云わないでね。実は猫を貰って昨日から飼いはじめたばっかでさ。まだ馴れてくれないんだけどコイツが可愛くて」

 よく噛まれるけど、と付け足すとそういうものよと女が笑った。
 そういえばこの客は猫を飼っていると以前云っていた気がする。犬を飼っていると聞くことのほうが多いから何となく印象に残っていた。
 グラスに酒を注いでやりながら、彼女のお喋り好きな傾向を利用して水を向け、猫の飼い方なんてものを尋ねてみる。金時が手に入れたのは本物の猫ではなかったけれど、それでもアレを猫と喩えるのは酷くしっくりときて気に入ったのだ。
 客は金時が思っていた以上に、様々な情報を与えてくれた。
 飼う為にはできるだけ危険のない環境を作ること。
 買わなきゃいけないもの。
 餌。トイレ。後は躾のこと。
 それに、首輪。
 只管聞き役に徹していた金時は、そこではじめて相槌以外の言葉を発した。

「首輪って、必要?」

 そう問うた金時の、不意に落ちた声のトーンに気付いた風でもなく彼女は綺麗な笑みで答える。

「人それぞれだと思うけど、私はあったほうが良いと思うな。外に出したときに飼い猫だって分かるようにしておいたほうがいいし、お家で飼ってても狭い隙間に入り込んだりして何処に行ったのか分からなくなるときがあるから鈴付きのとか」

 そうだよね。
 あのコは、眼を離した隙にすぐいなくなっちゃいそうだ。





 健全な朝の街を、少し寄り道して家に帰る。
 脱走を阻むものではなく外部からの侵入を防ぐ意味しかない鍵を開けて扉を開けると、ひとの気配がある部屋に銀時は口の端に薄く笑みを刻んだ。

「たでーまー」

 一人暮らしをはじめてからというもの云ったことのなかった言葉を口に乗せる。
 当然の如く返事はなかったが、予想していたことではあるので金時は革靴を適当に脱ぎ棄ててリビングに向かった。腕に下げたビニール袋が歩く度にガサリガサリと音を立てる。そこに印字されているのは大型ホームセンターの店名だった。
 リビングのソファに座っている黒い毛並みの猫に、にっこりと笑いかける。

「俺の声聞こえてたよな? おかえり、くらい云ってくれねェの?」

 金時の言葉に相手はちら、と寄越した視線を無言のまますぐテレビのニュース番組に戻した。その明らかに機嫌を損ねている様子に、昨日の記憶を探った銀時は思い当たる節を見つけた。
 黒猫――といってもれっきとした人間である土方の言葉尻を捕らえて、金時の出かけ際に10分だけ構ってあげると称し手淫でもってひとりだけイかせたのだ。
 その屈辱を、彼はまだ引き摺っているのだろう。

「昨日は、アレだけじゃ足りなかったの?」
「っ、ンなわけあるか!!」
「ふぅん。じゃあ俺が帰ってくるのを粗相もせずに大人しく待ってたんだ?」
「殺したくなっからその巫山戯た云い方はやめろ、金輪際だ」

 テーブルの上にビニール袋を置いて金髪の男は自然な動きでするりと土方の隣に腰を据える。性悪な笑みを湛えた表面上だけ穏やかな声音で囁く金時に、土方は低く唸った。
 ソファの背凭れに乗せられた金時の腕が土方の肩を抱くように滑り、もう一方の手が艶やかに流れる土方の黒髪を撫で梳く。あまりに慣れ過ぎている金時の一連の動きが、土方の眉間に皺を寄せさせた。真意の見えない接触を、好む者など誰もいないであろう。
 無造作に飛び跳ねた見事なまでのブロンドに、色の深い真青な眸。この男が微笑むと、その顔の造作も相成って何もかもが作り物めいているような気がするのだ。
 密に縁取る睫まで蜂蜜色をしているのだと思って、土方は詰められた距離の近さに気付いた。咄嗟に金時の胸に手を突いて距離を開けると、くすりと笑われて腹が立つが最早一々怒鳴っていても無駄な気がしてならないのでくちびるを真一文字に引き結ぶ。
 そして触れるだけで高級だと知れる生地のスーツから手を離し、許される限りで躰を引いた。するとあっさりと、体温は離れていく。

「分かった、気をつけるよ。あ、そうそう。今日は土産があんだ」
「土産?」
「そ。コレね」

 そう云って気軽な笑みを刷いた金時が、テーブルの上に置いた袋を土方に手渡した。
 大きくもなく大した重みもないそれを、土方は不可思議そうに見下ろす。早く袋を開けて中を見てと急かす金時の視線を感じて、土方は袋の口を破った。片手を受け皿にして、それを逆さに返す。

 チリン

 涼やかな音が、手のひらの上で転がった。
 赤くて細い革のベルトに、金時の髪と同じ色の鈴。取り付けられた商品名や簡単な用途の書いてあるタグに大まかに眼を通してくらりと感じた目眩は、心因性のものだと断言できる。
 手にあるものを凝視する土方の耳元で、耳障りなほどに弾んだ金時の声が紡がれた。

「赤がさ、やっぱ似合うと思ったんだよね」
「……ペットでも、飼うのか」
「まァ、似たようなもん?」
「…………」
「分かってると思うけど、お前のだから。その首輪」
「だ、れがこんなもん付けるかァァァ!!」

 激昂し、猫用の首輪を握り締めて振りかぶる。
 しかしそれを投げ棄てることは敵わなかった。思いの外大きく力強い金時の手が、土方の拳を捕らえる。ギリ、と籠められる力に土方は顔をしかめた。

「そんなこと云うと明日は大型犬用の買ってきて首から鎖で繋ぐぜ?」

 鼓膜を震わせる声は飽くまでやさしく、緩やかなのに纏う雰囲気と言葉が土方を雁字搦めに搦め捕って抵抗を奪う。
 絶対主義の頂点に立つ者の眼差しを、しかし土方は負けじと睨みつけた。

「冗談じゃねェ。ンなことされんだったらこの契約は破棄すんぞ」
「……ああ、そっか。じゃあそんときには契約じゃなく監禁になっちまうな」

 そう呟いて細められた青い眼が形作っているのは笑みだ。
 だからこそ、ゾッと冷える背筋に土方は蒼褪めた。
 本気なのだと、分かってしまう。
 震えそうな手を押さえ込み、ぐっと奥歯を噛み締めて土方は耐え切れず視線を逸らした。
 本当はこの関係が対等でないことなど、知っている。
 認めたくなくとも、こうして思い知らされる。
 ゆるゆると拳から力を抜いた土方に気付いて、金時は満足そうにくちびるを吊り上げた。






07.02.04




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