金時×土方/No.1
難しいように思われた10日間の休暇はいともあっさり手に入った。 特別大きな事件もなく平和な時期だったことと、少し前から上司に溜まりに溜まった有給休暇を消化しろとしつこく云われていたことが理由だろう。急な話だったにも拘らず快諾されてしまって、土方は複雑な心境を呑み込んだ。事態が順調に進むことを僅かに喜ぶ気持ちと、心の片隅にあった此処で計画が破綻してしまえば良いと望んでいた本心。 静かに吐く息にそれらを込め、そっと受話器を下ろした。 こんなものかと、電話に乗せていた手を搦め捕られ背後から抱き寄せられながら思う。 こんなものか。 日常から切り離されるということは。 Ich will ...2 我は欲す 金髪の男の莫迦げた提案を受け入れた後、時間を見て驚いた。窓から差し込む深い金色の光を考慮して考えると、もう夕方近い時刻だったからだ。 無断欠勤してしまったという事実に目の前の男のことも忘れて蒼くなった。 とっつァんにどやされる。 どう見てもカタギとは思えぬ風体の上司に叱られる場景があまりにも容易に思い浮かんでしまい、げんなりする。そんな土方に金髪の男――金時はニヤニヤしながら、じゃァ詫び入れるついでに有給も貰ったら?とのたまった。その云い方はとてつもなく癇に障ったが、とにかく連絡をして謝らなければならないことは確かだったので電話を借りることにしたのである。はじめは携帯電話から掛けようとしたのだけれど、土方の服と持ち物は何処かにやられてしまって見当たらず、金時に訊いても奴は答えなかったのだ。 電話を切ると同時に腰に回された手は、逃げるのなら逃げれば良いという程度の強さでしかなかった。しかしそれは緩やかに着実に土方を征服しようとしている。背中と、肩口と、手に、感じる体温にゾクッと躰の芯が冷えた。これは長く接していて良いものではないと、本能が警告を発する。捕われる。冗談じゃない。土方は金時の腕を引き剥がして怒鳴った。 「ッ…何す、ンだっ!」 「何って、もう話はついたんだろ? だったら良いじゃねーか」 「良かねェ!」 土方が声を荒げるのに、そんなことは気にも留められず借りたシャツの裾から手を突っ込まれる。臍の辺りをさわりと撫でる手慣れた指に土方は狼狽した。 そんなときだ。ぐぅぅと腹の音が餓えを訴えたのは。 「……」 「………」 「ぷっ」 「……っ!」 土方はカッと赤面した。けれど金時が噴き出したことを怒る言葉も見付けられずに口をぱくぱくと開閉させる。意識せず拳をきつく握り締めた。腹を抱えて笑い転げる男を殴って止められるものなら思いっきりぶん殴りたい。こめかみを引き攣らせ、警官にあるまじき衝動を土方は堪えた。 飽きるまで笑い続けた男は切れた息を整えるように、はぁと大きく息を吐く。 「まぁ、殆ど一日中寝てたからな。俺も腹減ったしメシにするか」 そう云って服の袖を捲り上げる男に、土方何とも云えず宜しくない予感を憶えるのだった。 土方が住んでいる部屋より広い分、余計に殺風景な部屋だとは思っていた。 先ず生活臭というものがない。ベッドにテーブルにソファに中身の少ない本棚など、殆ど必要最低限の家具と後は家電製品が少しあるだけの部屋なのだ。 そんな空間で、冷蔵庫の中身だけが充実していると考えるほうが可笑しな話である。 「…これは料理っつーのか?」 「米と卵があっただけでも上等だと思えよ」 金時が台所から持ってきた丼を覗き込んだ土方は呆れた。自分の家でももっとマシなものを作れるだけの材料くらいある。嘆息交じりの言葉に、しかし金髪天パの男は平然と応えた。あまつさえ卵は足が早いんだからな、などと云われて思わずそんなに腐りやすかったかと考える。 いや、2週間くらい保つだろ。充分じゃないのか。 おそらく外食ばかりしているからすぐ駄目にしてしまうのだろうと、何と無く察しがついてしまった。 「さ、喰おーぜ」 箸を揃え、ぺしぺしと自分の横のスペースを叩いて此処に座れと主張してくる男を冷ややかに無視し、土方はテーブルを挟んで向かいに腰を降ろす。 丼の卵掛けご飯に醤油を掛けようとしたが、醤油差しは口が詰まっているのか苛々するほど少しずつしか出てこない。仕方なく蓋を外した土方に金時は世間話の口調で話し掛けた。 「何探ってたの?」 「云えねぇ」 「ウチ関係してる?」 「さぁな」 醤油を黄色い米に掛けて蓋を戻し、箸で掻き混ぜながら土方は無愛想に顔も上げず答える。その視界の隅でひらひら、と手を振った男が両拳を合わせて手錠を掛けられたようなポーズをした。 「神楽、これンなったりする?」 「さぁな」 「俺は?」 「さぁな」 「俺のこと好き?」 「嫌い」 「……」 そこははっきり云っちゃうんだ。 瞳孔が開き気味の眼を伏せていても消えない印象の鋭さは、このつんけんした空気からも表れているのだろうと、飯を掻っ込む土方を見て思う。 警察官で結構なヤリ手、らしい。仲間で何人かしょっ引かれたという知人――断じて友人ではない、俺は良民だから――もいた。中の下といった家賃のアパートに一人暮らし。そこの管理人は家庭菜園が趣味のお婆ちゃん。交友範囲は広くはないがその分深い模様で、多分一度懐に入れた人間に対してはかなり気を許すのだろう。自分とは大違いだ。 これが、土方が意識を失っていた間に仕入れた情報。 直接知った追加項目としては相当なチェーンスモーカーで重度のマヨラー。マヨラーなのを知ったのは、まぁ、ついさっきマヨネーズを所望されて卵掛けご飯が見たこともない代物に変貌を遂げたからなのだが。そんで他には、随分とキレイな箸の使い方をする。 相手が愛想の欠片もないせいか、言葉少なに食事は終わった。 箸を置いて立ち上がり、金時は椅子の背に掛けてあったジャケットを掴む。そろそろ出勤時間だ。女の人は待たせると拗ねられてしまうから時間には厳しくしている、つもりである。 「じゃ、俺もう行くわ。食器洗っといて」 「あァ?!」 何で俺が。 そう云いたげなのがありありと分かる表情で眉尻を吊り上げる土方に、金時はあくまで自分のペースを崩さず上着を羽織り、自分の云いたいことだけを告げる。ちらっと見た鏡には、今日もやっぱり彼方此方に飛び跳ねまくった金髪が映っていて、気休めに手で弄ってみる。だが哀しいかな、効果があるとはまるで思えなかった。 「それと、お前の着てた服な。かなりボロボロだから棄てたほうがイイと思うんだけどよ、一応風呂場で浸け置きしたあるから。まだ着るつもりなら洗濯機使ってもイイぜ」 風呂場と洗面所に続くらしい扉を指差して金時はそう云う。そしてその後に、けど、と言葉を付け足した。 「そンときは俺のもやっといてね。最近暇がなくて溜まってんだよ。てなわけで、ヨロシク」 「てめっ、それって単に家事やらせる奴が欲しかっただけなんじゃねーかよ!」 10日間だけ此処にいないかという男の提案は、それだけの為に吐かれたのではないか。だとすればそんな巫山戯た話があるものか。 云いたい放題雑事を押し付けてくる金時にキレた土方が、ガタンと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。手を叩きつけた机の上で食器と箸がぶつかって音を立てた。すると反動で強調された一瞬の沈黙の間に、金時は我が意を得たりとばかりにニヤと口許を歪めた。それは、笑みの深さに比例して厭な予感を土方に齎す。 「え、何。構ってほしかったの? だったら早く云わねぇと分かんねーじゃん。後10分しかないけど、それでもいい?」 玄関から土方の元へと引き返しながら、愉快で仕方ないという声音で畳み掛ける。そんな金時の底意地の悪さに土方は激昂した。悔しいことに、この男には敵わないのを半ば自覚しながら。それでも一言は、何か云い返してやらねば気が済まなかった。 「っンのクソ野郎…!!」 しかし罵詈にも金髪の男は笑むだけだ。 05.06.27 |