水音が、邪魔だな。 曇り硝子を嵌め込んだ浴室の戸に背を預ける。立てた両膝の上に何と無くそれぞれ伸ばした腕を乗せて、眼を閉じていた。 暖房も入れていない冬の朝方の部屋は、上半身裸でいるには寒かったがどうせこの後自分もシャワーを浴びるのだ。一応下だけはジーンズを穿いたんだ。残りは面倒より我慢を選ぼう。 ざぁぁぁぁ。 雨音みたいなシャワーの音。 「……ッ………ん、ぁ…」 合間を縫うように、押し殺した声。 痛いのかなァ。自分の躰のナカなんて知らないしね、彼は。 俺のほうがずっとずっと、何処も彼処も隅々まで知り尽くしている。 だから後始末もやってあげるって云ったのに。ひとの親切心を理解してない。 そんなに俺のこと信用してない? …そうなのかもしれない。彼のナカに出した精液を掻き出すだけの筈がもう一回、なんてことはザラだ。 しかし、さすがに今はもうそんなつもりはない。 夜通し交わって、空っぽになるくらい吐き出した。充分だ。これ以上ヤると本当に枯れてしまう。 「どんくらいブッ通しだったっけ…」 小さな呟きは硝子越しの人工の雨音に掻き消される。 時計の針はもう朝に近い時刻を示していた。 セックスを終えた後、すぐにでも泥のような眠りへ沈もうとする意識と躰を叱咤して引き摺って、土方は浴室にこもっている。けれど、いつまで経っても慣れない作業に躊躇するらしくなかなか終わらない。そして自分は、待っているだけにも飽きてきた。 銀時は一度軽く顎を引き、そして後頭部を戸に打ち付けた。ノックの代わりだ。それから遮られないような声を発する。 「土方ァ、俺がやってやろうかー?!」 ガンッ! と、何より大きな音と背中に衝撃が伝わって思わず前のめりになる。 土方が戸を思い切り足で蹴ったらしい。相当な威力だ。 腰が怠くて重くてつらいだろうに恐れ入る。 少しだけ笑って、よっ、と指先でバスタオルを引っ張り寄せて再び元の位置に腰を下ろした。 浴室から彼が出てきたら包んでやろう。 気温の低さに、床の吸い込んだ冷気が足の裏から伝わって脳天まで突き抜けるように躰が震えた。 防寒具のように肩から被った大きいバスタオルを胸で掻き寄せる。なおざりに水分を拭い取っただけの髪から滴る水が首筋に落ちて冷たかった。 躰が重い。独特の倦怠感。溜まった疲労感。それに、とてつもない眠気。 そうだ今は、何よりも、眠い。 時計は意識して見ないようにしていた。出勤する時間まで後どれほどしか残っていないのか、計算してしまうから。 遅刻せずに間に合うギリギリまで眠っていたとしても、多分それはほんの数時間にしかならないだろう。そんな短時間で、躰の疲労が総て回復できそうにないことなど明白だった。 これでもし仕事が忙しく、サボって寝る間もなければ今日は地獄だ。 銀時の阿呆。ボケ。カス。 次の日に響くからやめろと散々怒鳴ったのに聞きゃしない。俺は夕方まで寝れるから、って自己中もいい加減にしろってんだ。体力さえ残っていれば殴りたい。シメたい。 けれど、今はそれよりも睡眠だ。眠い。本当に、限界。意識が朦朧として、順序立てた思考回路がブツブツと寸断されて、論理的なものの考え方が出来ない。人間これだけ眠気に耐え続けたら発狂するんじゃないかとすら思う。 裸足で歩くフローリングの床は大層冷たかった。歩を早めたかったが躰は思うように動いてくれない。バスタオルだけの躰に早朝の寒さは染みるようにこたえる。 けれど、どうせ数時間後にはまた着替えなければならないんだと考えると、寝具を持っていって着るのも面倒だった。躰は洗った。これ以上ないほどに。だったら布団と毛布に包まれば充分あたたかいのだし、服を着ず寝てしまってもいいだろう。そんな行動すら面倒で、その間も惜しいのだ。眠りたい。 寝室に入るとグチャグチャに汚れたシーツが床に丸めて放り出されていて、清潔な白いシーツにベッドは覆われていた。土方と交代して今浴室を使っている銀時がやっておいたのだろう。 ベッドにぼふりと正面から倒れ込んだ。銀時は不精だから糊など効いている筈もないシーツだったが、それでもさらりとしていて快い。 土方の意識はそこで耐え切れず、眠って途切れた。 うつ伏せで寝て、息が苦しくないんだろうかと不思議に思う。 ガシガシとタオルで乱暴に髪を拭きながら寝室に戻ってきた銀時は、ベッドから引き剥がした洗濯物のシーツの上にそのタオルを投げた。 顔だけは横を向いて眠っている土方が頭の半分まで被っている布団を少し、退ける。隙間から寒い空気が流れ込んで、反射で土方が身を竦めた。彼の黒い頭髪とは対照的ともいえるほど白い項が曝される。 そこを背筋のほうからついと撫で上げた銀時の指が、一点で止まった。彼には気付かれないように、こっそりと付けておいたキスマークに被せるように付いていた他人の痕跡の上。 あのさァ、誰につけられたのこんな歯型。 俺の嫉妬心煽ってそんなに愉しい? これを見付けてしまったときにはカッとなって、まだきちんと解していなかった後孔を一気に貫いて犯した。 激情に流されるのなんて久々で、それ故に完全に振り回された。気分の昂揚、興奮が収まらず身の内に潜んだ凶暴な攻撃性が牙を剥いて。 なァ、お前は愉しい? 俺は、狂いそうだよ。 毎日会えるわけじゃないのに、会ったらこんな仕打ちだなんて。酷いね。 弾力のある肌を押す指先に束の間力を込めて、執着を忘れようとそっと離す。枕元の棚に腕を伸ばした。 自分がいつもつけているコロンのボトルを手に取る。特にシュミではないのだけれど、つけると客にウケがイイからそのまま習慣になった。拘りがないということはこういうときに便利だ。 薄い笑みが口許に張り付く。そのコロンを、土方の首筋につけてやった。 不自然にならない程度、それより少し控えめに、さり気無く、けれどきっと気付く奴は気付くくらいに。それは見えない敵に対する無言の牽制。 俺のだとはまだ云えないんだけど、悪いね離れられないんだ。だから手を出すなよ。 覆い被さるように身を屈めて土方に顔を近づけると、いつもは自分からしているにおいがほんの僅か漂う。…これは、ヤバイ。自分が勝手につけただけだというのに妙に嬉しい。ウソ、相当重症じゃん俺。 天よ。俺はこんなにコイツに狂わされてしまって、どうしましょう。 信じてもいない存在に問い掛ける自問。何とはなしに天井を見上げ、はぁ、と息を吐く。 そんなもん結局、なっちまったもんはどーしようもねぇし。 ベッドの縁に尻を落ち着けて、組んだ足に肘を突いて手のひらで顎を支える。 余裕は、案外何処にもないみたいだ。いつだってギリギリ崖ッぷち。 もうとっくに後戻りなんて出来ないのに、きっとコレを云ったら本当に俺はコイツから離れられなくなるって言葉を、幾つも堪えるのにいつも必死。 全部で求めているよ。 みっともなくて、情けなくて、どうしようもないくらい。 見限られたときがこわいから、絶対に覚らせはしないけれど。 お前がいなきゃ生きることもやめてしまいそうな、ダメ男だなんて気付かないで。気付かせないから。 空いた手で、横目に見た眠るひとのまだ濡れた艶やかな黒髪を一房すくった。 長めの睫毛が落ちる眼の下には疲労による隈が薄っすらと見える。無理をさせすぎた。でも悪いとは露も思わない辺り、つくづく身勝手な男に捕まったもんだな、と土方に同情する。けれど、諦めてくれ。 もう、ここまで深く交わってしまった。 今更別れるとか離れるなど、どの口が云えよう。 望むものは唯ひとつだけだというのに。 呟きは理性の制御を擦り抜けて、声帯を震わし零れ落ちる。 「俺のモンになれば?」 そして総てのはじまりへ。 |